第15話 気分転換(後編)
「ご、ごめんね文哉……ちょっと調子に乗り過ぎたよ……」
さっきまでのハイテンションはどこへやら、しょんぼりと沈んだ顔をした久田野は保冷剤を僕の裸足になった右足に当てつつ謝った。赤く腫れた足は痛々しく、実際にまだじんじんとするからちょっとしんどい。
当然だがスコアボードは1フレームの途中で中断したままだ。両脇のレーンにいた人も、既に入れ替わっていてさっきとは違う人達が楽しんでいた。
「……まあ、久田野が調子乗って僕が怪我するっていうこと、昔はよくあったから……」
「そ、それは……そうだけど……」
小学生中学年くらいまでは、何かと元気に遊びまわる久田野に付き合わされることも多く、そのたびに久田野の行動で僕が痛い目に遭うことはしばしばあった。ジャングルジムの最上部めがけて久田野と一緒に上らされて、そこから落ちてたんこぶを作ったことや、縄跳びで二重飛びを僕にやらせようとして、僕があえなく失敗して挙句顔から血を流したこととか。枚挙に暇がないくらい、そういうことはあった。
「別に……気にしてないからいいって」
だから、今更こんなことくらい、どうだってよかった。
「ほんと……ごめんね」
結局、ボウリングはそのまま打ち切りにした。足の痛みが引いてきたころに、僕と久田野はレーンを後にした。
「……少しだけ、寄ってく?」
ラウツーの一階にあるゲームセンターを指さし、僕は落ち込んだ様子の久田野に声をかける。まだ条例に引っ掛かる時間ではないし、ちょっとくらいだったら遊んでいける。
「……い、いいの? でも、足」
「足はもう平気だから大丈夫。それに、当たったのが僕の足でよかったって。これが久田野の右手とかだったら、手に負えないことになったからさ」
僕は最悪どっちかの手さえ動けば普通に小説は描ける。なんだったら音声入力とかもできる時代だから、両手両足動かなくなってもどうにかなるかもしれない。しかし久田野はそうはいかない。イラストレーターにとって利き手は命だ。万が一にも落ちたボールが久田野の右手に当たっていたらと思うと、痛みが落ち着いてきた今はゾッとする。
「……じゃ、じゃあさ。命令。……あそこのプリクラ、一緒に撮って」
彼女は頬を桃色に染めつつ、ボウリングが終わって着込んだブレザーの袖先をゲームセンターの一角へと伸ばす。
「……命令なら、仕方ないか」
ほんとは久田野と一緒にあのキラキラとした空気漂う空間に足を踏み入れるなんてしたくないけど……。それに、どうせこれも僕のラブコメ経験値を上げるためとかなんとか言うんだろうきっと。
黙って久田野に手を引かれて、空いていた筐体に僕らは入る。
レンズの前にとりあえず並ぶ。久田野は慣れた手つきで画面を操作していき、やがて、
「カメラに映るように立ってね。十秒後に、シャッターが切れるよ」
というガイドの声がする。普通に彼女の隣に立っていた僕だったけど、ガイドが残り三秒をカウントしたところで、
「……もっとくっついていいよ、文哉」
何の前振りもなく久田野は僕の体を彼女のそれに引きつける。……さっきのボウリングのときと、いや、もしかしたらそれ以上に。
……なんでさっきまで運動して汗をかいていたのに、久田野はいい香りを漂わせているのだろうか。女の子には魔法がかかっているのだろうか。それとも僕が見えないところでの努力がすごいのか。どっちにしろ、一瞬のその出来事に僕の頭がショートしてしまう。
久田野が為すがままになり、僕は彼女の右脇の間に顔が入り込むような形になる。
その少し後、僕が瞬きをしたかしないかくらいの時間が経ったタイミングにシャッターが切られた。
すぐに前の画面上に今撮られた写真が映し出される。
「ふふっ、文哉の顔っ。間抜けっぽいよ?」
……久田野の言う通り、僕は彼女の唐突な行動により、口は少し空いていて視線もレンズではなく久田野に向いているしでそれはそれは可笑しいものだった。
「だ、だっていきなり久田野が……」
「……プリクラだよ? これくらいしないと、面白くないよっ。ささ、二枚目二枚目っ」
すぐにガイドが次のカウントダウンを始め、再び僕らはレンズを向く。今度は普通に、普通に……距離も少し離して……。
と、思ったのに。
隣の活発な幼馴染は僕の腰に手を回し、僕が逃げ出せないようにがっちりホールドしていた。
「離れようったって無駄だからね? 文哉」
……やっぱりいいよって言わなければよかったかも。許しちゃったから久田野元気になっちゃった。
なんなら一枚目よりもくっついているし、さっき脇の間だったのが、今度は久田野の胸のあたりまで僕の顔きているし。……大丈夫、当たってないから。当たるほど大きくないから。
「いてっ」
「今何か失礼なこと考えたでしょ」
「……別に」
頭こつんって叩かれた……。考えが読まれている……幼馴染怖い……。
「目線、カメラ向けて? もう時間」
久田野がそう言うと同時に、二度目のシャッターが下ろされた。
「うーん……二枚目かな? 文哉もそれでいいよね?」
「久田野が好きなほうでいいと、思います……」
写真選択の画面で、彼女は僕に確認する。
「オッケ―、じゃあ二枚目にするね。よしっ、じゃあ次は落書き落書きー」
一旦筐体から出て、僕らは次に写真を加工する段階に移ったのだけど。
冷静に考えてみれば、僕の隣にいるのはツイッターでそれなりの「いいね」を稼ぐイラストレーターなんだ。そんな彼女を差し置いて、僕がプリクラの落書きで何かをする必要があるだろうか。いや、ないだろう。
というわけで、僕は何一つ久田野の邪魔をすることなく、ただ「うん」「いいと思う」の二言を呟く機械となった。……こんな密着している僕と久田野の写真、恥ずかしくて見ていられない。
「ふふんふふふー」
テンポも音程もよくわからない鼻歌を奏でる久田野を隣にしながら、僕らはラウツーから家へと帰っていた。時刻は午後九時頃。もうすっかり陽は沈んでいて、藍色の夜空には微かに見える星が浮かんでいた。
「立ち直り早いね……久田野」
「クリエイターは切り替えも大事だからねっ。いつまでもくよくよはしていられないのさっ」
「……そうですね」
「……少しは、気分転換になった?」
今までの明るい口調から一転、久田野は僕の横顔をじっと見つめながら真面目なふうにして尋ねる。
「前向いて、危ない」
「わかってるって。……で、どうだった?」
「まあ、多少は気分がサッパリしたというか……」
「そっかそっか。それならよかった」
彼女は不意に僕の背中をポンと叩く。
「……何?」
「……まだ、時間はあるからさ。慌てずにいこうよ」
きっと、今日僕を遊びに連れて行ったのは、それが狙いだったのだろう。
「……うん」
今日という日が終わる頃には、今まで感じていた焦燥感とか、歯痒さなんてものは一旦掃き出されて、クリーンな状態に持っていくことができたと思う。
そういう意味では、久田野に感謝しないといけないのかも……。
「これで、文哉の気分転換にもなったし、散々ラブコメっぽいこともしたし、きっと大丈夫だよね?」
「……何? その無言のプレッシャー」
「いや? 次の原稿、期待してるよーっていうね?」
……ごめん、訂正する。やっぱり感謝しない。ただの鬼だ。
少し蒸すようになってきた空気、ほとんど人も車も通らない帰り道を、そうやって僕と久田野はくだらない話をして歩いていった。
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