第12話 更新開始!
迎えた金曜日の夜、五月十四日の二十三時五十五分。プロローグ公開の、五分前。
僕はじっと「かけかけ」の作品管理画面とにらめっこを続けていた。そんなことをしている暇があるのなら、原稿を進めるべきなのかもしれない。実際、木曜と今日でまた数話書き溜めは下ろして、久田野に共有している。きっと、そのうちフィードバックが来るんだと思う。
胸の高鳴りがトクントクン早くなる。でも、これはときめきのドキドキではなく、緊張のドキドキだ。
ウェブ小説において、何より重要なのは初速だ。ここで躓くと二度と這い上がることはできない。俗に言う、エタる──完結させることができずに放置する──ことに繋がってしまう魔の立ち上がり。
初速の評判が、これから僕が解き放つ作品のPV数を大きく左右する。
コケれば絶望、伸びても難関、難しいことには変わりない。しかし。
それでもスタートダッシュは決めないといけない。
そんなプレッシャーが襲っていた。
やがて、時計の針が一直線に並ぶ。五月十五日の、零時。
僕は左上の更新ボタンを押し、再度画面を確認する。
連載中 1話 だあるまさんがこおろんだ
「……始まった……」
無事、公開は済んだようだ。タイトルは、久田野と相談して決めた。やはり目を引くタイトルがいいこともあり、最近の流行の長文タイトルにする案も出た。ヒロインとサブヒロインの属性を並べて、例えば『僕との記憶を失った昔馴染みと明るい元気っ子がいつの間にか三角関係を作り出している件』のような。これはこれできっとありだったと思う。でも、久田野はそれを選ばず、いつもの僕が選択するようなタイトルの案を出した。それが、このタイトル。
実際のところ、僕も同じ案を考えていたので、都合はよかった。最後まで長文タイトルとどちらがいいか検討はした。そのうえで、僕らはこの答えを出した。
そうこう考えているうちに、五分経過した。僕は恐る恐る、再度更新ボタンを押す。
画面右に映し出されるPV数の羅列、一番上に来ている『だあるまさんがこおろんだ』のそれは、0、だった。
「まあ、いくらイラスト付きだからって……そんなすぐには増えないよね……?」
これ以上待ち続けていても、精神衛生上よくないと踏んだ僕は、サイトを最小化し、中断していた原稿作業を再開した。……週末のうちに、ある程度進めておかないと。……ラブコメっぽいシーンに厳しい編集者兼イラストレーターから、ボツが来るかもしれないから。
それからというもの、数時間キーボードをガチャガチャしているうちに、僕は寝落ちしてしまったようだ。朝起きたときに、謎の怪文書が完成していて寿命が縮む思いをした。……まあ、間違えてバックスペースキー押していなかっただけましか……。
そして、習慣のようにスマホをつけて通知を確認すると「文哉、出だしはまあまあみたいだよ、50PVっ」というラインが来ていた。僕は最小化していた作品管理画面を開き、更新ボタンを押す。そこには、公開後九時間で50PVを記録している部存続をかけた作品の名前があった。
確実に足りない。そんなことはわかっている。しかし、今までは公開後半日以内に二桁PVを稼ぐことなんてなかったんだ。
これは、小さな一歩かもしれないけど、確かな手ごたえは、感じていた。
満足気にパソコン画面を眺めたのち、スマホの通知に引き続き目を移す。
「あ、あと今日送ってきたエピソード、屋上で明花とお昼食べるシーンだけど、ボツ」
「……ははは、手厳しいことで」
忘れずに原稿をチェックしてくれていることが、妙に嬉しくて、僕は思わず一人で笑い声をあげてしまった。
「はいはい、修正しますから待ってくださいっと……」
勉強机の先にある窓から部屋に走る朝陽が、どこか優しい気がしたのは、気のせいではないと思う。
溜まっていたエピソードを土曜と日曜にも一話ずつ公開し、迎えた週明け月曜日。五月十七日。PVの伸びはまずまずで、公開三日目で三桁は突破した。作品フォロワー数も5まで増えている。やっぱり久田野のイラスト効果はでかいのかな……。
一緒に登校することは変わらず、朝僕の教室に押しかけて話しかけてくるのも変わらず、そして、昼休み。
僕は一人母親が作ってくれたお弁当を食べようとすると、
「文哉―、いるー?」
これまたピンクの弁当包みを片手にした久田野が教室に乱入してきた。クラスの目線を引きつけながら、彼女は僕の席にまっさきに向かう。
「さ、行こ?」
そして、僕の手を取って無理やりどこかへ連れて行こうとする。
「え? 行こってどこ? え、どういうこと久田野?」
「いいからっいいからっ」
軽やかな、例えるなら自転車に乗って雲ひとつない青空の下、河川敷を走り抜けるような、そんな爽やかな顔をして久田野は僕をどこかへと引っ張っていく。二階から中央階段をどんどん上り、三階、四階と。そして、これ以上上がるフロアはないところまで来た。
「ちょっ……一体どこに……連れて行く気だよ久田野……」
そして、僕の息はもう切れている。何やらドアをガチャガチャやっている久田野はまだピンピンしている。これが運動能力の差ってやつか。
「屋上、行ってみたくない?」
いたずらをしかける子供のように、彼女は汚れのない笑みを僕に向け、曇りガラスが貼られている扉を開いた。
「……屋上って……」
開けられたドアの向こう側には、白い床と、緑色のフェンスで囲まれた世界が広がっていた。
「ほら、文哉もはやくはやくっ」
「いや、立ち入り禁止なんじゃないの? 屋上って」
だから、屋上に繋がる扉には鍵がかかっているはずなのに。どうして。
「へへー、鍵なら、ここに」
久田野は自慢げに鍵を僕に掲げて見せる。
「……なんかやったの?」
頼むから誰かを脅したとか、そういうんじゃないことを願うよ。
「福島先輩がくれたんだ。私はもう使えないから、久田野にあげるよって」
「なんで福島先輩は持ってたんだよ……」
「学校の屋上は創作者にとっての夢の場所! そこに行くためなら手段は選ばない! って言ってたよ?」
ああ、うん。わかった。……福島先輩、確かに優しい人ではあるけど創作に関しては変人だったから……。なくはない話だ。でもよかった、危ない入手経路じゃなくて。
「ほらほら、誰もいないし、ここでゆっくりお弁当食べようよ?」
そして、作業用に置いてあるかわからないけど、なぜか置いてある屋上のベンチに彼女は腰かけ、持っていた弁当箱を広げ始める。
「文哉―! はやくっ」
ああだめだ、また断れない。……ばれて怒られるのはきっと僕なのに……。
「わかったって……」
僕は仕方なく屋上に足を踏み入れる。ドアを閉め、久田野の座るベンチへと向かう。
実際に屋上に入ってみると、確かに絶景ではあった。いや、何の変哲のない街並みが映るだけなんだけど、それを学校の屋上で見ているっていうことが背徳感を加えさせて、より魅力的に映し出すというか。
背の高くないビルが並び、平日の昼でさして交通量も多くない道路。緑が溢れているわけでもなく、潮風が吹きつける街でもない。山だってあるわけではない。ただの、平凡な街のはずなのに。
「んんー! 教室で食べるよりおいしいー! だよねっ?」
「……僕まだ食べ始めていないから」
そんなありきたりな背景でさえ、隣に座る彼女は楽しそうに眺めつつお弁当に入っていたミニトマトを口にしている。
……やれやれと思いつつ、僕は持ってきた弁当箱を開け、もぐもぐといつもより近くが騒がしいお昼を食べる。
「『だあるまさん』、出だしはまあまあよかったね」
久田野はお弁当を食べ進めながら、作品の話をし始める。『だあるまさん』とは、もちろん略称のこと。『だあるまさんがこおろんだ』って全部言うと、それでも長いからね。
「……僕にしては出来過ぎな数字なんだけどね。やっぱり久田野のイラスト効果は強いよ」
「いやっ……文哉の文章ないと、そもそも読んでもくれないんだよ?」
だから、と。
「そんなこと、ないよ」
彼女は柔らかい笑顔を、そっと目を細めて作る。
何かを見守るようなその温かい表情に、僕は一瞬あてられる。
「そんなこと、ない」
大事なことを言い聞かせる母親のように、しかしそこに厳しさとかは受け取れず、包み込むように久田野は僕に囁く。
「…………」
僕はその言葉に対し、何も返すことができない。言ってしまえば、僕と久田野の二人きりの密室空間。穏やかに凪ぐ風が彼女の髪をなびかせる。
「まだ、全然PVは足りないかもしれないけど、話数がたまって、ランキングに載るようになれば、きっと福島先輩の言う通り、文哉は跳ねる。これから、だよ……。まあ、そのうえで屋上のシーンもあれだったからこうして文哉を屋上に連れてきたんだけどねっ」
ですよねー。今なんかいい感じになっていたけどそうだよねー。
「さ、屋上での雰囲気も慣れてもう少しまともなラブコメなシーン描けるようにしようね。文哉」
「……う、うん……」
結局、行きつく先はそこだよね。わかってた。
その後、僕と久田野は取り留めのない話をして、昼休みの時間を過ごした。
五時間目の予鈴が鳴り響くと、
「あ……もう終わっちゃった……そろそろ教室戻らないとね」
名残惜しそうに彼女はそう言い、空のお弁当の入った包みを持ってベンチから立ち上がる。
「また、どっかのタイミングで一緒に屋上行こ? 文哉」
「……別にいいけど、事前にラインなりして欲しいかな……。今日みたいに拉致みたいな感じだと目立っちゃうし……」
「ほんと、文哉って周りの目気にするね、もっと堂々としていればいいのに」
「僕は……久田野とは違うから……」
彼女を追いかけるように僕も腰を浮かせ、屋上から出ようとする。その間際、
「……また、そんなこと言う」
ぼそっと小さい声が、耳に入った。
「……何か言った? 久田野」
「いや? ……何も言ってないよ。さ、戻ろう?」
屋内に戻り、久田野は屋上と校舎を繋ぐ扉の鍵を閉め、僕らは連なって中央階段を下り始めた。
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