第10話 彼女の駄目だし、修正案。
翌日の五月九日、日曜日の夜、十時。この週末を原稿作業に全振りした僕は、冒頭五話分、しめて一万文字程度を描き上げ、作品管理のページに下書きとして投稿した。
その一時間後。
少し休憩と、部屋で缶コーヒーを飲んでいると、久田野からラインの無料通話がかかってきた。
「……原稿読んだ、けど」
スマホのマイクから聞こえてくる声は、どこか低い。……少し不安になってきたぞ。
「プロローグからメインヒロインの
ああ、やっぱり……駄目だしの電話だったあ……。ちなみに明花とはサブヒロインの名前。
「何? 何なの、あのシーン、文哉ラブコメのラノベも結構読んでるよね? FM文庫とか普通に買って読んでいるよね? それであれなの?」
FM文庫とは、言わずもがなライトノベルレーベルのこと。どちらかというと萌え要素が強い作風が多く、今回路線変更したラブコメ路線の作品も多い。ただ、僕も読みはするけど……って感じ。
「よ、読んでるけどそんなにじゃないし……」
「文哉のそんなにじゃないは一般人にとってのたくさんなのっ。先月の新刊何冊買った?」
どこか怒ったような声で久田野は僕に聞いてくる。
「……確か、三冊」
「ふつうそんなに読まないしってレーベルは月に一冊買うかどうかなの、それを三冊で少ないほうにされたら会話噛みあうわけないでしょっ」
お、怒られた……。本読んでいるだけなのに怒られたよ僕……。
「それはさて置いて」
さて置かれた。
「……あまりにも明花と主人公の会話のつなぎ方が不自然。文哉ってもしかして私以外の女子と話さない?」
「ぐっ……」
何故だろう、今すごい心臓が痛いんだ。ナイフでも投げられたのかなあ。いや、石ころくらいは当てられたよこれ。
「その様子だと図星みたいね……だからかもしれないけど、きょどりすぎ。主人公。明花に話しかけられて返す一言目が『うわっ』ってどういうこと? 別に驚かせたわけでもないのにそんな反応って。それにほとんど会話が成立していない。涼音とのシーンがよかっただけに落差がありすぎ。……っていうか、文哉って大人しい女の子のほうが好きなの?」
流れるようにぼろくそに言われた……。いや、うん、いいんです……普段描かないものだから下手なんだろうなとは思っていた。
でもここまで言われるとは……。
「まあ、描けないもの、いつもとは違うことしろって言っているのは私だから、ここまで言うのはあれかもしれないけど……ちょっと……ね」
やめて、そこをぼかさないで。ぼかしてもぼかさなくてもちゃんとダメージ入るんだからその言葉回しは。じゃあどっちでも同じか。
「……だ、だから……明日の朝、一緒に登校しよう?」
突如、口ごもったようにはっきりとしない調子で久田野はそう言った。
「……え?」
「……その、あれよ。五話の明花とたまたま朝一緒に登校するシーンも不自然だったから、それの修正もかねて私と一緒に登校しようって言っているのっ」
「いっ、いや……一緒に登校って」
わけがわからないよ状態だよ。
「だから、明日、先に学校行ったらだめだからね。とりあえず、今回の原稿、プロローグから二話までいいと思うけど、それ以降は一旦保留。描き直しってことで。じゃあ明日。おやすみ」
「えっ、ちょっ、久田野──」
僕がスマホに向かってそう叫ぶころには通話が終了していて、画面には通話終了のアイコンが浮かんでいた。
……ええ? 勝手にもほどがないですか……? そこまで小説のためにやるの……?
そんな疑問を浮かべつつも、修正を入れなきゃいけない原稿があるのに先に進めるわけにもいかず、結局手持ち無沙汰になって僕は読んでいない本を開いて寝るまでの数時間を読書に費やした。FM文庫の本で。……き、気にしているわけじゃないから。
翌日、またもやいつもより朝早く目が覚めてしまう。なんだろう、ここ最近久田野のせいで睡眠時間が削減されているような気がする。
……先に学校行ったらだめって。普段から一緒に登校しているわけでもないのに。
朝ご飯を済ませてから歯をしゃこしゃこと磨きつつ、寝ぼけ眼そう思う。
久田野は僕の普段の登校時間を把握してそれを言ったんだろうか。高校に入って一度もタイミングが被ったことはないはずなんだけど。
口をゆすいで、顔を洗う。少しは目が覚めた。よし。
部屋に戻り制服に着替え、ネクタイを結び終えると時刻は七時三十五分。
いつもより十分早いけど……もういいか。
カバンにノートパソコンを忘れずに入れ、僕は家を出る。
「行ってきまーす」
ドアを開けて鍵を閉めると……。
「……おはよう、久田野……」
僕の家の前に、本を読んでいる幼馴染の姿があった。
「いつもより早いんだね、文哉?」
「別に、そんなことは……」
やばい、語気が少し強い。彼女は開いていた文庫本をパンと閉じ、肩にかけていたカバンにしまう。そして、つま先を踏むか踏まないかくらいの位置にまで近づいては、僕の顔を見上げる。
「いつもより、十分早いよね? 昨日先に行ったらだめだよって言ったのに」
「な、なんで久田野が僕のいつもの時間を知っているんだよ……くっ、苦しい」
ネクタイをきつく締め直してくる久田野はジト目を浮かべてさらに続ける。
「そんなことはどうでもいいの。……よかった、文哉が逃げること予想して早めに待っておいて。じゃ、行こっか?」
ネクタイから手を離し、何もなかったように久田野はマンション内のエレベーターへと向かう。揺れる水色のチェック柄のスカートが、少しだけ跳ねる。外から吹きつける風が、強くなったからだろうか。
彼女は慌てて後ろ手にお尻を押さえて、僕を睨む。
「み、見てないよね……?」
「見えてないし見てないよ……この間僕を襲いかけた口が何を……」
「あっ、あれは襲ったわけじゃないし、自分からやるのとそうでないのは違うのっ」
……どんな理論だよそれ。
すぐにエレベーターはやって来て、僕と久田野はそれに乗り込み、徒歩三十分の学校へと向かいだす。
代り映えしない風景も、すぐ隣に幼馴染が歩いているだけで大分変わって見えてしまう。主に緊張という理由で。
朝特有の、どこか清々しい空気、鳥のさえずりが遠くまで聞こえ、車道は通勤ラッシュでそこそこ詰まっているいつもの景色。まだ朝早い時間なので、開いているのはコンビニくらい、そんな感じ。ゴミステーションに集まるカラスやハトが、歩道を歩く人の邪魔になるくらい集まるのも、時折あることだ。
でも、それはいつも一人で見ていたものであって、こうして隣に誰か歩いている状態で見るものではなかったもので。
「それで、文哉は大人しめな女の子のほうが好みなの?」
……ましてや、こんな朝から返答に神経を使うようなこと聞かれたら、尚更気が疲れる。
「……大人しめっていうか……そもそも女の子が苦手っていうか……」
「うわー出たー。陰キャラオタクあるある」
あからさまに引かれた。オーバーリアクションで。そんな口元に手を当てて衝撃、って表情をしないでよ……。
「く、久田野だってオタクのくせに……」
と、なけなしの反撃を試みるけど、
「私は文哉と違って友達たくさんいるし。男子とだって普通に話せるし」
あっさりと跳ね返されてしまう。……うん、わかってた。そうだったね。久田野はみんなに人気のある、僕とは別世界の住人だったよね。
「でもさ、ラブコメ描くにせよ描かないにせよ、女子が苦手っていうのはどうにかしたほうがいいと思うよ? 創作やる上で。まさか文哉が男しか出てこないゴリゴリの小説を描くっていうなら話は別だけど」
「……どんな小説だよ。BLとかは描かないよ僕」
「だよね。なら、やっぱり女の子に慣れないとっ」
軽い足取り、隣を歩く久田野はポンと僕の前に飛び出しこちらを向く。白い歯が漏れる笑みはいっそ純粋で、太陽の光と重なって眩しい。
「じゃあさ、これから毎日、こうやって一緒に登校しよ?」
「……は?」
隣に戻った彼女は、いきなりそんなことを言い出す。
いやいや待て。どうしてそういう話になる?
「だって、女子は苦手でも私とは普通に話せているでしょ? じゃあ、まずは私で慣れていくためにもさ。ねっ? 部活だけだと効果なさそうだし」
「……いや、それってみんなに誤解されるんじゃ……」
「誤解するやつにはさせとけばいいのっ」
……あー、まただよ。この否定できない雰囲気。これが昔っから強いというか、なんというか。
「……もう好きにしてよ……」
「うん、好きにするね」
なんか、廃部予告されてから、久田野が妙に僕と絡みたがるというか。一年のときは全然こんなこと言わなかったのに……。
そんなにしないといけなくなるほど、僕の描いたラブコメシーン、ひどかったのか……。
色々な意味で先行きが不安になる、朝の登校の時間だった。
しかし、しかしだ。久田野の暴挙は終わらなかった。
二年の教室が集まる第一校舎の二階、中央階段を上り僕は一組、久田野は三組の教室に向かうのだけど、その三組の教室の前で、
「じゃあね、文哉っ、またあとで」
と、あろうことか教室にいるクラスメイトにも聞こえるくらいの大きさで僕の名前を呼んだ。
「っ、そ、そんな大きな声で呼ばなくてもっ──」
視線を横にずらし、久田野のほうを見ると、三組の生徒全員の目が僕の姿を捉えていた。その目は、「あいつ誰?」「知らなーい」「なんであんな冴えない地味な奴が久田野さんと」「許せぬ……」的な意思を示しているように見えた。
「……いい、だろ……」
いたたまれなくなった僕はそそくさと三組の教室を離れ、自分のクラスに急いだ。
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