第7話 曰く、刺激的な朝。
「……できた」
それから一時間くらいが経ったころ。机にかじりついていた久田野の口からそんな声が漏れた。
「ごめんね、お待たせしましたっ」
彼女はタブレットを持って僕のもとに近づいては、僕の腕のなかに差し出す。
「ラフだけど……とりあえず」
目の前には、僕が素案で出した主人公とヒロインの出会いのシーンが、ぼんやりだけど描かれていた。まだモノクロで、輪郭も大雑把だけど、そこには確かに二人の人間が生きていた。これは……通学路かなんかで一緒に歩くイメージだろうか。
「ぁ、ありがと……」
「どう? なんかつかめそう?」
「う、うん」
「まず設定として、主人公が冴えない普通の男子高校生なのはいいとして、ヒロインの子」
彼女は僕の膝上に置いたタブレットの画面右、スラリと長い髪が腰にまで伸びたヒロインをペンでぐるぐる囲む。
「なぜか主人公との記憶を失っている昔馴染みっていう、やや重ためな設定なら、それを活かして出会い、っていうか再会? の場面もヒロインが転校してくるだけの描写じゃなくて、専用のちょっと淡めなシーンを作ったほうがいいと思う。例えば、朝の登校の場面でたまたまヒロインと出会って学校までの道を案内するとか、放課後たまたま一緒になって下校するとか。その場面を描くだけで主人公がどれだけヒロインのこと知っているのか、どれだけの関係だったのかってことを並べられると思うし、あっさりヒロインの状況も伝えられるはず」
「で、でもそれだとやっぱりいつもの僕っぽくなるんじゃ?」
「そうだね。だから、サブヒロインの子いたでしょ? あの子をうまく使おう。メインヒロインの子との出会いのシーンの直後にサブヒロインとの軽い絡みを一個、入れよう。それが二枚目のラフ」
「え? 二枚も描いてたの……?」
僕は画面を左にスワイプし、次のラフ画を見る。
二枚目は、主人公とサブヒロインと思われるミドルヘアーを髪留めでとめている女の子が楽しそうに教室で会話をしているシーンだった。
「一枚しか描いてないならもっとはやく終わるよー。で、これがそのイメージなんだけど。まあ、文哉もラブコメのラノベは読むから想像はつくと思うけど、ここは軽く、とにかく軽く。ほんとに軽口を叩き合うような、そんな感じに。できればサブヒロインの子が好意をちらつかせるような台詞とか仕草を混ぜれば完璧だと思う。そうすれば、読者は三角関係を想像してくれるから、こっちから何かする必要はなくなる。三角関係って、鉄板だからね。外れることはないはず」
「な、なるほど……」
「とりあえず、序盤のつかみはこんなふうにして修正かけて? できるだけ細かくね。その間に、さっきやってくれていたキャラの特徴のデータ、頂戴? キャラのラフもこの時間に描いちゃうから」
「えっ、そ、そこまでやるの?」
僕の膝からタブレットをひょいとつかんで机に向かう彼女に、思わず僕は尋ねてしまう。
「当然だって。部活存続のため、だからねっ」
その問いに対して、彼女はニコッと微笑んでそう答えた。
その日は、こういうようなやり取りを終始続けていた。晩ご飯を挟んで、一旦お互いの家でお風呂に入った後も、僕の部屋での企画の話し合いと作業は日をまたぐ時間まで行われた。
「んんー、さすがに眠くなってきちゃった……」
深夜二時。机に向かってイラストの作業をしていた久田野は体を伸ばしてそんなことを呟く。
正直、この時間帯はお互いパジャマを着ているということがあってとてもじゃないけど集中できなかった。……久田野はピンクのパジャマだった。だってそうでしょ? 言ってみれば可愛い女の子が登場する小説の企画を立てているのに後ろを振り向いたらお風呂上がりでシャンプーとかもうその他諸々いい香りがしてくる某ランキング二年連続三位の美少女であられる幼馴染がいるんだから。
うん、とんだ拷問だと思う。このお風呂からの三時間、全然進まなかった。
……これが、あと四日も続くのか? 今日は五月一日。土曜日。今年のゴールデンウィークは五日までの五連休なので、もし全部この企画作業に費やすならそういうことになる。
うう……僕の心臓、もつ気がしないよ……。
「そろそろ私、寝るねー」
そう言って彼女はタブレットの電源を切り、そのまま部屋を出る。あれ? 持って帰らないの……?
僕は机に乗ったままのそれを不思議そうに見つめていると、
「よいしょっと。ほら、そこ邪魔だからどいてよ文哉」
どこから持ってきたのだろうか、布団一式を抱えた久田野が僕の部屋に戻ってきた。
「……へ?」
いや、そんなことより。
「……え、ま、待って久田野、ね、寝るって、ぼ、僕の部屋で寝るの?」
あまりの出来事に口がうまく回ってくれない。
「え、そうだけど?」
「なんで?」
何を言っているの? みたいな顔をしないでって……。だって家すぐ隣でしょ? 泊まる意味ないでしょ……。
「なんでって……私言ったよね? 文哉の家に泊まるからって」
「ぼ、僕てっきり泊まるってこんな感じに深夜まで一緒に作業することだと思ってたから……そそんな、僕ら付き合っているわけでもないのにこんなことしたら駄目だって」
「……私の家、門限が十時なんだー」
「え、じゃあもう家帰れないって言いたいの?」
「うん」
「……嘘だよね……」
「ほんと」
ああ、胃が、心臓が……。
「だ、だったら僕リビングで寝るから」
僕は立ち上がり部屋を出ようとするけど、ドアの前に立ちふさがった久田野に両肩をがっちりと掴まれて外に出ることができない。
「……女の子に、恥かかせるつもり……?」
一見柔和な、優しい微笑みを浮かべているようにも見えるけど、違う、この裏は。
有無を言わさぬ強制が見える。
「っっ……」
駄目だ……こんな至近距離にずっといたら、僕どうにかなりそうだ……。なんで女の子の手ってこんな柔らかいし、肌って真っ白なの? どうしたらこんなにいい香りがするようになるの?
「はーい、だから、文哉はちゃんと自分のベッドで寝てねー」
ここまでして僕と同じ部屋で寝たい理由って何なの……? 僕をからかって、楽しんでいるだけなのかなあ……?
結局押し切られ、一瞬歯を磨くために部屋を外していると、戻ってきたときには部屋の真ん中に布団が堂々と敷かれていて、その上にちょこんと座った久田野は僕の本棚から一冊ラノベを抜き取ってパラパラとページをめくっていた。
「……僕はもう寝るから……好きなタイミングで電気消して……」
二段目にあるベッドにはしごをつたって上がり、仰向けになって横になる。しかし、それだと視線の端にゴロゴロと寝そべって本を読んでいる久田野の無防備な姿が、しかも上から覗き込むような形で目に入ってしまうことに気づいた僕は、慌てて体を壁側に傾けて目をつぶった。
露わになっていた鎖骨が……いけないって、駄目だって。忘れろ、忘れるんだ。
部屋の電気が消えたのは、それから三十分くらいが経過してのことだった。
翌朝。いつもより遅い時間に眠りについていつもより早い時間に目が覚めた僕は、なかなかベッドの下に降りることができなかった。なぜかと言うと。
「すぅ……すぅ……」
なんで久田野僕のベッドに入っているのおおおおおおお! なんか起きたら甘い香りと柔らかい感触がするなあって思ったけどさ、まさか。
僕がラノベでよくある起きたら美少女が一緒の布団に入っていましたって経験するとは思わないじゃん! しかもさ、しかもだよ。
僕の腕をしっかり久田野の両手が絡みついていて、起きるに起きられない……。
朝だと言うのにダラダラ額に汗をかき続ける僕。かれこれこうして一時間くらいは経ったと思う。部屋の外、リビングがバタバタと音がしているのは、きっと今日は両親が仕事に出る日だからだろう。言っていなかったけど、父親は警察官、母親はフリーライターをやっている。
「文哉―、お父さんとお母さんもう仕事に出るから、朝ご飯葵ちゃんと一緒に……」
だから、世間が休みの日でも出勤することはざらにあるのだけど……。
今この瞬間の姿だけは見られたくなかったああ!
部屋のドアが少しだけ開き、顔だけこちらに向けた母親は僕の顔を見るなりニヤニヤしだして、
「あらあら実はもうやることやっちゃっていたり……?」
「ちっ、ちがっ……! これはっ……!」
僕は上半身だけ起き上がって説明をしようとするけど、久田野がさらに力強く僕の腕をつかむからうまくいかない。
「仲良いのはいいけど、ちゃんと避妊とか対策はするのよ? じゃあ、行ってきまーす──あなたー、次の休み被る日はお赤飯にしましょう?」
「ぁぁ……最悪だ……」
挙句父親にまで話したよ……。これ何の罰ゲームだよ、朝から両親に事後だと思われる息子の気持ちって何だよ……。参考にならないよこんなの……。
「……すやすや寝ているしさあ……」
久田野……恨むよ……。
その後、僕の平穏な日常をぶち壊した幼馴染が起床し、リビングで母親が用意してくれた朝ご飯を一緒に食べる。テーブルに向かい合って座る僕らは、どこか探り合うような空気のなかどちらが話を切り出すか駆け引きしているようにも感じた。
「……なんで、僕のベッドに入ったの?」
何食わぬ顔で牛乳を飲む彼女に僕は尋ねる。久田野は悪びれもせず、
「刺激的な朝を迎えれば文哉のラブコメも面白くなるかなあって思って」
と言い、手元にあるトーストを口にする。
「おかげで僕の両親に、僕と久田野はそういう関係だって思いこまれたんだけど……」
「……文哉は嫌なの?」
ポロっと少しのパンくずがお皿の上やテーブルに落ちていく。彼女はそれを見ては、近くにあったティッシュを一枚取って、拭いとる。
「嫌とかそういうのじゃなくて……単純に久田野に迷惑っていうか……。僕みたいな奴と付き合っているって思われたら鬱陶しいでしょ……? 久田野、可愛いからみんなに人気あるし……僕とは全然違う世界にいるから、そういう誤解は避けたいっていうか……」
と、僕の思いを口にすると、怒ったように一気に久田野は残りのトーストにかじりついて、付け合わせのサラダとヨーグルトも早々に食べきってしまった。
「ど、どうかした……?」
何か、怒るようなこと言ったのかなあ……僕。
「別に。どうもしてないよ」
むすっと不機嫌そうな顔を急にしておいて何を……。
「いっ、いやだって……」
「文哉のバカ……知らないっ」
タンっと音を鳴らして最後に牛乳が入っていたコップを置き、久田野は「ごちそうさまでした」と言って食器を流しに持っていく。そのまま洗おうとしていたので、
「あ、僕が後で一緒にやるからいいよ」
と伝えると「いい」とだけ短く返してそのままスポンジに洗剤を落とした。
ええ……? 僕もしかして地雷踏んだ……? わかんないって……。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます