第5話 目指せ、甘くて辛いカレー
それから数日経ち、ゴールデンウィーク直前の金曜日。四月三十日。
眠そうな目をこすりつつ、久田野は何やら持ち込んだ私物のタブレットPCをいじっている。調べものをしているのだろうか、無線のマウスをカチカチと音を鳴らしては時折食い入るように画面に顔を近づけてメモを取っている。
……何やっているんだろう……。
僕も僕とてそんな久田野の目の前でノートパソコンを開いて大詰めとなった企画立案の詳細を考えていた。
こんな光景、火曜水曜、祝日木曜を挟んでずっと続いている。やっている行動も、眠そうに時々舟をこぐのも。
三時半から始まった部活、一時間が経過した頃だった。
「よしっ!」
突然久田野はそう言い席を立ちあがる。……だ、だから大切に椅子と机使って下さい……。
「決めたよ、文哉!」
「な、何を……?」
「これを見て!」
彼女は何やら大量に書き込みをしたノートを僕に差し出す。そこには、
「……『PV10万獲得作戦』?」
小さくて丸っこい文字でそう書かれていた。
「そう! 今週はずっとどうやって10万のPVを獲得するか考えていたの」
彼女は僕の隣にわざわざ椅子を移動させそこに座る。手を膝の上に置き、顔だけにゅうっとノートの上に寄せるので、なんかいい香りがすぐそこからしてくる。
「文哉のアカウントで公開している小説の最高PVは1023。どうあがいたって普通の手段では10万PVなんて夢のまた夢。何か劇的な変化がないと」
ぐっ……傷を抉ることを言う……この幼馴染。
「別に文哉の小説、面白くないわけではないけど、あまりキャッチ―じゃないっていうか。ジャンル設定、ラブコメにしているのが多いけどそんなにコメディ要素多めじゃないというか」
……一口にラブコメといっても、定義として色々なラブコメがある。今久田野が言ったいわゆるキャッチ―なラブコメっていうのは、きっとキャッハウフフ的な展開がある、ニヤニヤできるもの、つまりはドタバタ喜劇的要素が強いスラップスティックコメディのことを指しているのだと思う。ライトノベルでラブコメって言ったら大体これを指すと僕は考える。
でも、そうじゃないラブコメも存在する。コメディ要素が薄くて、どちらかというと青春模様を描き出すことに注力したものも、ラブコメに含まれることが多い。
僕はどちらかと言うと、後者のようなラブコメをよく描いていた。っていうか、突き詰めると、それしか描けない。
「文章もある程度はしっかりしているし、たまにおっ、凄いってなる表現もするしで、いいところはあるんだけど……いまいち展開にキュンと来ないというか……」
え? あ、これもしかして僕へのディスり始まっている? だめだよ、感想言うときは事前に言いますって告げないと。いきなり叩かれたらメンタル死んじゃうから。
「ま、まあそこは一旦置いておいて」
一旦置いておくのね。
「『かけかけ』において、多くの読者が吸い寄せられているジャンルは、異世界ファンタジー、現代ファンタジー、ラブコメ。この三つ、それはいいよね?」
手にしたシャーペンでノートに書かれた表を指している。なるほど、月間ランキング上位百作品のPV数を合計したのと、平均したのを載せている。他のSFだったり、エッセイだったり、ホラー、ミステリー、ドラマよりかは、その三つのジャンルが抜きんでている。他のジャンルでは、本当に上位数作品しか10万PVを突破していない。
「なかでも物凄い需要と供給を持っているのが異世界ファンタジー。……でも、文哉はそういうのあまり読まないし描けないもんね」
久田野は一応僕の幼馴染。僕の読む本の嗜好は把握している。
「それに次ぐ現代ファンタジーも同じ。じゃあ、10万PVを達成するために私たちが残された選択肢は、ラブコメってわけだけど。ここで文哉の作風と、ラブコメを読む読者層のニーズがずれているのがネックになる」
ペンの位置を右にずらし、「文哉の作風」と「読者が求める作風」を箇条書きにしてまとめている。
「文哉はどっちかというと青春ものっぽい、大げさに言うとキャラクター文芸よりのものを描いている。でも、ラブコメに集まる読者の求める作品像の多くは、ライトノベルらしい可愛い女の子とイチャイチャしたりすれ違ったり、そういう恋をする物語。そこのずれが、致命的」
……さっきの話的には、読者は前者のラブコメを求めている、と。……まあ、それもわかってはいたけどね。
「キャラ文のようなラブコメを読む人はいるにはいるけど、その枠で高PVを叩き出すには、余程精度の高いものを挙げるか……既に人気を得ている作者であるか、の二択しかないと思う」
なんとなく久田野が言いたいことが見えてきた。
「……お世辞にも今の文哉が、人気を集めている作家とは言い難い。それに、精度が高くても読まれる保証がないウェブ小説で、そのジャンルで挑むのはあまりにもリスキー」
「……つまり、路線変更をしないといけない、と」
僕がゆっくりとそう間を挟むと、久田野は頷く。
「でも、百八十度路線変更すると、不慣れなジャンルで今度は全然上手くいかないこともありえる。文哉がいきなり女の子の着替えに遭遇するシーンや、下着見えちゃうシーンとか描いて来たら逆に私もびっくりするよ」
……そうそう、これも言っていなかったけど、久田野もラノベを読む。まあ、想像はついていると思うけど。嗜好は僕とほぼ同じ。それゆえにラブコメのお約束とかもちゃんとわかっている。
「だから、九十度路線変更しよう。多少青春っぽい要素も残しつつ、甘い展開も用意する。そうすれば、ある程度の読者数の確保は期待できる」
一見うまそうに見える手だけど、果たしてちゃんと成功するのか? 一粒で二度おいしい作品なんて簡単には作れない。狙いはひとつに絞ったほうが描きやすいんだ。例えば、甘いカレーが好きな人と、辛いカレーが好きな人がいるとする。そのどっちの人にも好きになってもらいたいから、甘くて辛いカレーを作ってみました……って意味わからないよね? そういうこと。
僕が渋い顔をしたのに久田野も気づいたのだろう、そして、どういう理由でそんな顔をしたのかも、きっと彼女は同じ創作をやる身からちゃんと理解している。
「……でも、方法はないよ。これしか。甘くて辛いカレーを作るしか、ない」
頭のなかの例えまで同じって……さすがというか。
「大丈夫。私も協力する。……『かけかけ』には、挿絵を入れる機能があるし、小説を表示するときに出てくるキャッチコピーをイラストに変更することもできる」
久田野の言う通り、「かけかけ」は実際のライトノベルと同じようにイラストを挿入できるし、検索画面で表紙の絵を表示させるように設定もできる。実際、ランキング上位に食い込むような作品には、大抵イラストがついている。
「……イラストがつくだけで、三割増しのPV数が期待できるの。イラストがつくだけで」
ノートは次のページに移っていて、吹き出しにイラストの有効性と書いてあるところをペンで指す。
「……久田野の言いたいことはわかったよ。でも、どうしてそこまでやってくれるの? こんなにたくさんの調べものに、ましてや僕の小説のために絵まで描いてくれるんでしょ? 結構久田野も大変だと思うんだけど……」
僕がそう尋ねると、久田野は今までキリっとした表情で説明していたのに途端にあわあわと顔を赤くし出して、
「だっ、だって、あのまま会長の言う通り廃部になるの悔しいし、絶対にできないって思われてあんな条件出してきたんだよ? ……文哉はちゃんと凄いのに、馬鹿にされたままなのは、嫌だよ」
膝と膝の間に両手を合わせてモジモジしつつそう言う。
うーん、気持ちは嬉しいけど……。
「買いかぶりすぎだよ。僕は凄くなんてないし……」
「いや、文哉は凄いんだって! 福島先輩だって言っていたでしょ? 『泉崎は私よりも文章がしっかりしている、きっかけさえあれば跳ねる』って」
僕が否定しようとすると、あっという間に久田野は窘める。
「ふ、福島先輩は優しいから……きっと僕に気を遣ってそう言ってくれているだけだよ……僕なんかが、福島先輩より優れているところなんて、ないって……」
すると、久田野は少し悲しそうな顔を一瞬浮かべてから、首をブンブンと振って続けた。
「と、とにかく、私がイラスト描くから、だから、さっき言った方向性でやってみようよ! でないと……廃部になっちゃう……」
「え、で、でも僕これから公募用に原稿一本描こうとしているんだけど……?」
「そんなのいつでもできるでしょ? 部活を守れるのは今しかないの! いい?」
有無を言わさず、というような態度で久田野は椅子を僕に近づけ顔と顔を見合わせる。だ、だから近い……。そんなに近づかれると泣きぼくろとか色々普段見えないものが見えて緊張しちゃうからやめて欲しい……。
「わ、わかったけど……プロット立てるのに一週間は欲しいから……さ。ちょっと待ってよ」
「あ、ならさ」
ピコーンと電球が灯ったように久田野は手を挙げる。
「明日からのゴールデンウィーク、合宿しよ?」
「は?」
いきなり出てきた合宿というワードに、思わず変な声を出してしまう。
「だって、慣れないジャンルで企画立てたら、まーた同じような作風のプロットが出来上がるかもしれないじゃない? だったら、私も一緒に考えてあげるからさ。ちょうどゴールデンウィークだし、文哉の家で一緒にやろ?」
「……は?」
「もう、察しが悪いなあ文哉は。だーかーら、私も文哉の家に泊まるから、休みの間は一緒に考えよう? って言っているのっ」
「…………」
ようやく思考が久田野の言葉に追いついた。いや、光の速さで久田野が情報を伝達するから反応が追いつかなかった。
「いや、泊まるって……僕ら高校生だぞっ? そ、そんな幼稚園とか小学生のときじゃないんだからっ、第一、親がいいなんて言うはず」
「ああ、それならきっと大丈夫だよ。私の両親、文哉のこと信用しているから。あんな草食系の文哉君が婚前交渉なんてするはずないってね」
……なんか冷や汗出てきたんですけど。
「じゃあ、決まりね。明日の昼過ぎくらいから、家行くから。それまでにちゃんと部屋綺麗にしておいてよ?」
「……もう綺麗だから安心していいよ」
あれよあれよと話が進んでしまった。
大丈夫かなあ、これ。
僕の心境を表すように、窓の外からカラスの鳴く声が夕焼けとともに聞こえてきた。もう、空はオレンジ色に染まりつつあった。
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