第9話

 迷宮の構造は、フィルが士官学校の模擬訓練所で習った通りであった。ヤバスの魔法で照らし出された通路は完全な幾何学的構造で、通路の断面は一辺5メートルの正方形。玄室と呼ばれる大部屋は、広さはまちまちながら、高さは8メートル。地下独特のひんやりとした空気。迷宮について判っていることは、ほとんど無い。42年前のある日、突然完成し、そして40年前のある日、「星団せいだん」が最深部に到達したことで突然休眠状態に入った。

「何もいませんね」

「おるわけないやん、学校でも習うたやろ。迷宮が元気やったときはそらもうポンポンポンポン化け物がいてにぎやかやったけどねえ、玄室に入るたびに何かおったし、迷宮遺物おたからもあったし」

「ヤバスさんは当時をご存じですか。でもそうすると妙だなあ」

「何がいな」

「ガンドウさんは未だに昔と同じような有様だって言ってました。そもそも私がここに来たのだって、果し合いをする前に人を斬っておけということで連れてこられてるんですが」

 ヤバスが首をかしげると、頭に乗せた巨大な宝冠ティアラがずり落ちそうになり、慌てて両手で支える。

「迷宮が寝とるだけで死んだわけやない、という意味では昔とおんなじやけど。迷宮遺物おたからは知らん間に増えてたりするしなあ。でも、化け物は最下層まで行っても――今は通路がふさがっとるから行けんけど――居らんはずやで。なあ、ガンドウ」

 二人の後ろを少し離れて歩いていたガンドウがおうと片手を挙げて応える。

「あんた、迷宮の中に化け物が居るってこの子に言うたん?」

「言ってねえよ」

 あごでながらにやにやしている。

「ええ? 話が違うじゃないですか。度胸付けるなら実戦が一番だって確かにおっしゃいましたよ。とぼけられちゃ困るなあ」

「とぼけちゃいないよ。まあ黙って付いておいで。約束通り人を斬らせてやるよ。安心しな」

 変なかたをされて調子が狂うフィル。

 玄室を五つほど通り過ぎたところで、何やら人の気配を感じてフィルはぎょっとする。しかしどうも気配を隠すこともせず近づいてくるようなので待つうちに、番所で見かけた隊長と眼帯が入ってきた。二人とも官給の軽鎧に盾を携え、松明を掲げている。通路に屈強な体付きの影がより大きく映る。

「何でえ、まだ半刻はんとき[一時間]も経ってねえよ。気が早くないかえ」

「うむ。催促しに来たわけではない。定時の警邏けいらだ」

 と言いながら、隊長はガンドウを玄室のすみの方へ誘う。

「どうだ。子供の御守おもりは」

「うーん、どうでんしょう。二人とも降りて来た時はやれ涼しいの暗いの広いのときゃあきゃあ騒いじゃいたが、少し手持てもち無沙汰ぶさた、というところかねえ」

「ちょっとしたスリルは要らんか。坊主の方なんかはまるで火竜討伐みたいな恰好で来てるじゃないか」

「坊主より小娘の方が喜ぶかもしれねえね。なんせ今日のために家庭教師までつけて魔法を覚えたって言うから」

「実はな、鬼天竺鼠カピバラの入り込んでる玄室がこの先にある。ちょっとした観光コースだな」

「というと、また別口の横穴でも空いたかね」

「知らんよ。あいつらはどこからでも入り込んでくる。さっきはちと多めにもらったんでな、無料で案内してやるよ」

 そこから十分ほど奥に進んだところで、また玄室の入口があった。その手前にはメッセージが書かれている立て看板がある。

 **汚水 悪臭 落石注意**

「そこを入ると巣だ。居るかどうか保証はないぞ。万が一にも怪我をすることはないだろうが、帰りが遅ければ見に来てやる。行って来い」

 隊長に促されて玄室への通路を通り抜ける。この玄室は入口が狭く、奥へ行くにしたがって広がっているようだ。しばらく進んだところでフィルが立ち止まった。

「何かおかしくありませんか」

 緊張感を帯びた声音で声を潜めてささやく。

「獣の匂いがしない。その代わり火と人の匂いがする」

「あと、入口も消えてるね」

 ガンドウの声にはっと後ろを振り返ると、確かに入ってきたはずの入口が存在していない。一方通行の仕掛けである。

「元より戻るつもりはねえ。心配するねえ、人の気配がするってことは出入り口は他にもあるってことよ。さ、行くよ」

 ガンドウとフィルが前に出て、ヤバスはその後ろと陣形を組む。

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