第7話

 まだ暗いうちから目を覚ましてしまった。まるで遠足の日の朝だ、生まれて初めて迷宮に入るからって張り切りすぎだな、とフィルは思ったが、いい香りとものを刻むトントンという音が台所から聞こえてくる。どうやらこれで目が覚めたようだ。台所へ顔を出すと、昨日の美少女ヤバスがいた。

「お早うございます」

「おはよお」

 ヤバスは板の間に置かれた机みたいな大きさのまな板で、野菜を刻んでいる。板の間の中心には囲炉裏いろりがしつらえてあり、鍋からはぐつぐつと汁が香り立つ。先程刻まれた野菜が放り込まれる。ヤバスは囲炉裏端いろりばたに座るようにフィルをうながし、山盛りのマッシュポテトと汁物、半円形の魚の練り物―カマボコ―を手早く並べる。

「お上がり」

「いただきます」

 一口二口と探るように味わい、それから無言で猛然と飯を書き込む。フンフンカチャカチャモグモグ。

「ガンドウさんはどちらですか」

 一息ついて、しかし箸と口は動かしながら訊ねる。

「裏の井戸で水かぶっとる。もう戻るころやで。朝ごはんはもう済んどるから自分が全部食べてもええ言うとった。それにしてもあんたの食いっぷりええなあ、気に入ったで。そんなにウチの料理、気に入った? ちゃあんと考えて作っとるんやで。あんた今日初めて生き物斬るんやから、気持ち悪うなったり罪悪感持ったりして戻してもくさならんように卵入れてないんよ!」

 蠱惑こわく的な響きの異国いこくなまりでなかなかすごいことを言う。

「斬られた時も、お腹のもんが出てきて臭かったら相手に失礼やしなあ」

「どうもご馳走様でした」

 食欲を失ってはしを置くと、ストストと足音が近づいてきてガンドウが姿を見せる。フィルの左前にすっと胡坐をかく。

「腹いっぱい食ったかえ」

「ええもう十分に」

「お前さんのお家から装備一式が届いてるよ。上から下までぴかぴかでまるで五月人形。但し、無銘ながら鍛えに鍛えてある名品だ、あれだけのものを仕立ててあったということはお前さんのお家は相当な分限者ぶげんしゃと見えるね。その息子が果し合いだの試し斬りだのどうしてこうもすさむかねえ」

 ガンドウはあごしながら上目遣いにフィルをにやにやと眺める。フィルはほおを心持ちふくらましてガンドウに向き直る。

「試し斬りは私が言ったわけじゃないでしょう。荒むと言いますがね、私に言わせりゃ親の方がおかしいんだ。うちも昔は武門の誉れ高い家だったんです。今だってまあそれなりの家柄ですよ。でも親父は私と一緒で戦を知らない。武人の心を無くしてると面と向かって言いたいところです。本当なら今回のことだって立派だ、心おきなくやれ、となんで言ってくれないのか判りませんよ」

「そうかねえ。ま、これが終わった後にまだ首がつながっているようなら腹割って話したが良いよ」

 膝を払って縁側に出ると、家紋入りのよろいびつが置いてある。着付けを手伝おうかとからかうガンドウを黙殺し、手早く鎧を身に着ける。

「兜はまだかぶるんじゃないよ。そんな恰好かっこうで往来を歩いちゃ笑われるよ」

「ガンドウさんはどうするんです。さっきから何の準備もしてないんだから私のことはほっといて自分の準備してください」

「俺らこのままでいいよ」

「冗談じゃありませんよ」

「冗談じゃないよ。なに、俺らお前よりかはお穴に詳しい。要らぬ心配はおよし」

 驚いたことに剣まで準備されている。父親の「真二つの剣」。父親の道具を手にすると、悔しいが少し誇らしい気分になる。

 いつの間にかヤバスがいなくなっている。支度に戻ったのだろう。

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