第2話 35℃
「ありがとうございましたっ!またのご来店お待ちしておりまーす!」
カズヤは元気良く最後の客を見送った。そして客の背中が見えなくなるかならないかのタイミングで、店の看板の電気が消えた。
またか、、、、
「おいおい!ミキちゃんさ、電気消すの早いって!」
レジの方からそろ〜っと大学生アルバイトのミキが顔を覗かせる。
「お客様からクレームでも入ったらどうすんのさ?毎回言ってるけど、自分だって店出た途端に電気消されたら嫌だろ?」
「店長考え過ぎー。やーっとこの忙しいのが終わったんだから、ちょっとは気楽に、ねっ?」
はぁ〜。カズヤは溜息をついた。
ミキはそれなりに可愛い。なんていうか小動物みたいな愛らしさがあって、元気一杯な女の子だ。元気過ぎて正直ウザったい時もたまに、、いや多々ある。
「あー店長!溜息つくと幸せが逃げますよー!」
ミキは反省する素振りもせずに、親が子供に教えるように、腰に手を当て、人差し指を立ててカズヤに言った。カズヤは心の中で舌打ちをした。
「店長!怒ってばっかじゃなくて少しは従業員の事、労ってくださーい!」
そんなミキに再度深い溜息をついた。けれどもミキにはこの連休中、正直かなり助けられた。というのも大学生アルバイト達は揃って、旅行やらイベントやらでほとんどシフトに入っていない。昼間は主婦のアルバイトの協力もあってなんとかなったけど、夕方以降はその協力も乏しい。そんな中でミキはオープンからクローズまで毎日シフトインしていた。今日だってミキがいなければ、夕方からずっと1人で営業するハメになっていた。
「あぁ、そうだな。ジュース飲むか?奢るよ?」
「やっすーい!たまにはご飯くらい連れてってくださいよー」
そう言いながらも、ミキは店の目の前にある自販機に駆け寄り、コレコレといつものジュースを指差す。お決まりの流れなのでカズヤは何も言わずに小銭を入れた。
ガチャン。
ミキはジュースを手に取り、プシュッ!とやったかと思うと一気に飲み干した。
「クゥゥ〜〜ッ!!やっぱりバイト終わりはコレだよねー!!」
見ているこちらまで飲みたくなるような、そんな飲みっぷりと笑顔だ。
「飯はまた今度な」
そう言ってカズヤは店に戻り、閉店作業を続けた。
「店長、今度っていつ〜?」
ミキを無視して作業を続ける。
「なんか急いでるんですかー?昨日もその前もすぐに帰ったしー。前は少し残って書類とか色々やってたのに」
「、、、あぁ、ちょっとな」
売上日報を記入し、ファイルをパタンと閉じてカズヤは言った。
「さっ、帰るぞ!明日は久しぶりの休みだー!」
カズヤはミキに帰りを促した。
「店長、彼女出来たの?」
、、、ドキッとした。ミキに彼女が出来たのかを聞かれた事よりも、聞いてきたミキの声のトーンがいつもと違って聞こえたからだ。閉じたファイルから顔を上げミキの方に目をやろうとした、、
「!!!、どわっ!!」
カズヤは仰け反った。余りに勢いが良くて、座っていた椅子から落ちそうになった。
「あはは〜っ!そんなに驚かなくても良いのにー!」
目の前にミキの顔があったからだ。鼻と鼻が触れそうなくらい近くに、むしろ触れてたんじゃないか!?
「ばっ、、かやろ、、いきなしなんだよ!」
体制を直してカズヤは言った。
「だって店長が全然アタシの話聞いてくれないからー」
ニヤニヤと、イタズラっぽい生意気な笑みを浮かべてミキは言った。
そーゆうお前も人の話聞かねぇだろ!カズヤは少しイラついた感じで
「くだらないことすんなよ、疲れてんだから。ミキちゃんも明日は休みなんだから早く帰ってゆっくり休んでよ」
黙ってこちらを見るミキに
「彼女が出来たら報告するから、な?もう今日は勘弁して」
そう言ってミキにリュックを渡した。
「ふーん、そっかそっか」
ミキはカズヤからリュックを受け取り、腕を通しながら
「こんなにシフト貢献したんだからご飯はちゃんと連れてってくださいね!」
「分かった分かった!今度な!」
「今度じゃダメです!いつですかっ!?」
「次の給料日!いいだろ?」
「絶対?嘘つかない??約束する???」
「分かった分かった、するする。」
ようやく満足したのか、「やったぁ!」と言いながらミキは店の外に出た。
「はぁ、、、」
カズヤは溜息をつきながら、ガスの元栓や電気の最終確認をして店を出た。戸締りをして、店の前でミキと別れ駅に向かって歩いた。
カズヤは急いで電車に乗った。急ぐ理由があった。あの日の夜から。
あの日の夜、マユと再会した夜だ。「少し話そうか?」とあの後、駅前の個室のある居酒屋にマユを誘った。ファミレスやファーストフード店でも良かったけど、今にも泣き出しそうなマユを見ると流石によろしくない。
「ここなら個室もあるし、明け方までやってるしどうだろ?」
マユを見るとうつむいている。
「あ、居酒屋とか嫌だった?マユはお子様だもんなー!」
困ったな、この時間だとあとはファミレスくらいだぞ。カズヤが辺りを見渡していると
「・・・・・」
マユが小さな声で何かを言った。
「ん?どっか行きたいとこある?」
カズヤはマユを見てギョッとした。顔を上げたマユの目には、これ以上は溜まりませんというくらいに涙が溜まっていた。泣くのを必死で堪えている子供のように。
ぼろっ、ぼろっ、と涙が溢れた。そして唇を噛み締めながら、なんとか声を絞り出した。
「カ、、カズヤ君の家に行ったら、、ダメでずが、、ゔぅ」
後半はほぼ聞き取れなかった。カズヤの知る、明るくて元気なマユはもういなかった。何か、とてつもなく大きな
黒い何かが、マユを取り囲んでいるようだった。カズヤはマユの手を引き電車に乗った。電車に乗っている間は出来る限り、周囲の目からマユの顔を隠した。限界量の涙を溜め込んだマユの目からは、只々涙が溢れていた。カズヤは震えるマユの肩を抱き寄せ、自分の胸にマユの顔を押し付けた。明るい電車の中でまず1つの異常に気付いた。よく見ると口紅はハミ出し、眉ペンやアイラインもガタガタだった。
カズヤの胸より少し低いところが、じわ、、じわ、、と熱くなる。マユの涙と吐息と恐らく鼻水とで。マユは声を必死にかみ殺していた。最寄駅に着く頃、カズヤのシャツはぐしゃぐしゃだった。
「散らかってるし狭いけど、とりあえず入って適当に座ってよ」
カズヤはマユを家に入れ、衣裳ケースからタオルを取り出しマユに渡した。
「ほんとにごめんね、急にこんな、、」
またマユの目から涙が溢れた。目が腫れ、メイクも涙で流れ落ちてもうボロボロだった。
「いいよいいよ!えっと、なんか飲む?ビールとチューハイぐらいしか無いけど」
カズヤは出来るだけ明るく言った。
「あの、、お風呂借りても良い、、?」
「風呂?あ、ああ!気にしないで使って!そこのドアのとこ!バスタオルとか置いとくから!」
女子なんだしそりゃそうか、顔もメイクもボロボロじゃあ気持ち悪いんだろうな。
カズヤは給湯器の方に行き
「40℃くらいでいい?」
マユに聞いた。
「んーと、、35℃とか、、」
「35℃ね、りょーかい!」
ガチャ、、。マユは脱衣所に入りドアを閉めた。
「ん、いやいや、マユ?35℃っていくらなんでも低過ぎじゃ、、」
言い終わる前に浴室からシャワーの音が聞こえた。マユからは何の返事も無い。普段自分の家でもそうなのか?カズヤは少し驚いたが、普段からそうなのだろうとあまり気に留めなかった。マユがシャワーを浴びている間に、部屋着のスウェットとバスタオルを用意して、脱衣所のドアの内側に付いてる手すりに掛けておいた。間違っても覘いてしまわぬようにドアを少しだけ開けて手を伸ばして、、。
部屋の片付けや、ちょっとした酒のツマミを作ってマユを待った。
もうすぐ1時間、、、シャワーで1時間はさすがに遅いんじゃないか?
カズヤは、心配になり脱衣所のドアをノックした。
「マユ?大丈夫か??やっぱり寒かった?」
いつからだろう、シャワーの音は止んでいた。少し間を置いて
「ううん、大丈夫。ありがとぉ」
少しだけ声も明るくなった気がした。柔らかい語尾も戻った。ちょっとは落ち着いたのかな?カズヤはホッとして居間に戻った。
かちゃ、、、
程なくしてゆっくりと居間のドアが開いた。
「あーさっきはごめん、シャワーにしちゃ長かったからちょっと心配になっちゃってさ」
そう言いながらカズヤは振り返った。、、、言葉を失った。
カズヤが振り返った先に立っていたマユは裸だった。髪の毛はまだ濡れていて、オールバックのように後ろに掻き上げている。左手で右の二の腕を掴むようにして胸を覆い、完全に陰毛を除去したアソコは露わになっていた。でも言葉が出なかったのはそれのせいじゃない。
マユの身体には複数のアザがあった。アザはまだ新しく、内出血しているのか赤黒くなって血が滲んでるようなものもあった。髪の毛で隠れていて気づかなかったが顔にもあった。35℃の理由はこれだった。
「はは、私の身体、きったないよね」
渇いた口調と冷めた笑顔でマユは言った。
「ちょ、、、お前、、。それ、どうしたんだよ?誰にそんな、、、」
マユの身体を見て愕然とするカズヤの前に、マユは腰を下ろした。
左の胸の先、、、、乳首は抉れたように無くなっていて、そこに蓋をするように、まだ乾く前のジュクジュクとした瘡蓋が出来ていた。胸や腹、脇腹から尻、陰部の周囲には無数のヤケドの痕があった。そして左手首には無数のナイフ痕。
「私ね、、、」
マユが話すのを遮るようにカズヤはマユを抱きしめた。どうすればいいのか、どうする事が正解なのか分からなかった。だけどこうする事以外、今の自分には何も出来る事が無いのだけは分かっていた。
そしてマユが再び話し始めた。
「あのね、、、。」
そこからは耳を覆いたくなるような話だった。
マユは看護学校を卒業後、看護師として県外の病院に就職した。要領が良く、容姿も整ったマユは患者はもちろん院内の医師達からもチヤホヤされた。それを良く思わなかった同期の看護師達からイジメを受けた。最初は無視や陰口程度だったイジメも徐々にエスカレートしていった。それでも持ち前の明るく前向きな性格で、マユはイジメに負ける事なく勤務を続けていた。それから数年経った先月の末に事件は起きた。イジメの主犯格であった1人が昼食時にマユの持参していた水筒に睡眠薬を入れた。薬物依存に陥った患者が使うような強力な薬を、許容量を超えて。それを口にしたマユはすぐに意識が朦朧とし、その場で意識を失った。そこからは記憶が無い。途切れ途切れに発狂した男達の姿と、同期の看護師達の笑う顔だけが記憶の端々にあるくらいだった。
マユは睡眠薬を飲まされ意識を失った後、精神病棟のとある一室に放置された。そこで2日間、マユは狂ったように発狂する男達に犯され、殴打された。抉れた乳首はその時に噛みちぎられたものだった。同期の看護師達にはライターで炙られ、陰毛は毟られ鼻に詰められた。
これまで連絡も無く欠勤する事など無かったマユが、2日間も音信不通になった事を心配し、病院の医師が警察に通報し事件は発覚した。主犯格の看護師を含む数人が逮捕された。精神病棟には収容される患者の特性から、カメラが設置されていたが、精神病棟の担当だった主犯格の看護師は、設備メンテナンスと称して電源を切っていた。虚偽の巡回報告をしていた為、発覚まで時間が掛かった。
マユの話を聞きながらカズヤは泣いていた。マユをこんな目に合わせた奴らへの怒りと、マユに対する哀れみで。
「それでね、、」
「マユ、もういい。もう分かったから。辛かったよな。苦しかったよな。、、、痛かったよな、、、。」
「カズヤ君、、泣いてるの?」
カズヤはマユを抱き締める腕にぎゅっと力を入れた。
「痛いよぉ。」
「あ、、ごめん、、。」
「私ね、もう死んじゃおうと思ったの。辛くて悲しくて。死んじゃえば楽になれると思ったから。それで、、」
マユはカズヤに左手首の傷を見せた。何も言えないでいるカズヤにマユは続けて言った。
「でも少し切って血が出てくるとね、痛くて怖くてそれ以上出来なくて。毎日今日はちゃんと死のう、って覚悟してやるのに、やっぱり出来なくて。」
スンと鼻をすするマユにカズヤはティッシュを渡した。
「ん、、ありがと」
マユは深呼吸をするように息を吸って吐いた。そしてまた続けた。
「高校の時の卒業アルバム見たの。1番最後のページ。覚えてる?」
あ、うん。とカズヤは答えた。
「カズヤ君が卒業式の日に書いてくれて、私が見ようとしたら死ぬまで見んなっ!て」
「あ、あれは照れ隠しでさ。書いてから恥ずかしくなっちゃって、、ごめんな、、ヒドい事言って。」
「ふふ、分かってるよぅ。」
マユは頭をとん、とカズヤの胸に預けた。
「死んでからだと見れないから、見てから死のうって。これ見たらちゃんと死ねるって思ったの。ちゃんと約束守ってたんだよぉ?」
カズヤの胸に頭をグリグリ押し付けて言った。
「これから辛い事、悲しい事があったら俺に言え。俺が全部やっつけてやるから。ずっと一緒にいてやるからその時は結婚しよう!マユ、大好きだ!」
「、、、そんな事、書いてたっけ?」
マユは頬を膨らませてぶぅーと音を出した。
「もぉ!書いてありましたぁ!何回も何回も読み返したんだからぁ!」
「冗談だよ。なんでそんな俺様な感じで書いたんだろうな。」
カズヤは苦笑いを浮かべた。
「すっっごぉく嬉しかった。見てたらなんだか安心しちゃって、涙が止まらなくて。とにかくカズヤ君に会いに行こう、会わなくちゃ、会いたい、って思って。それで急いで出て来たの。」
雑なメイクの理由はこれだった。
良かった、、。もちろんマユにこんな事が起きてしまったのは良い訳ない。でもマユが自ら命を絶つ前に俺のところに来てくれて、まだ生きていてくれて本当に良かった。
「とにかく服着よか?風邪ひく」
カズヤは立ち上がり、脱衣所の手すりに掛けたままのスウェットを持って来てマユに渡した。背中にもアザがいくつかあった。
「、、、ありがと。」
マユはさっとスウェットを着て、小さくちょこんと座り直した。
「ごめんね、いきなりこんなの、、迷惑だよね、、」
カズヤはまだ聞きたい事が山程あった。あり過ぎるぐらいだった。でも、今のマユからこれ以上は聞けなかった。この小さな身体と心に、これだけの傷を負って。何よりカズヤも今はこれ以上、聞く事が恐かった。マユに起きてしまった事実と、これから向き合う事が恐かった。だけど、1つの覚悟は決まっていた。
「あの卒アル見て俺のところに来たって事は、プロポーズの返事はOKって事でいいんだよな?」
「え、、、」
「俺と結婚、してくれるんだろ?」
驚いてカズヤを見るマユの目には、みるみるうちに涙が溜まっていった。涙の許容量はすぐに限界値に達して、ぼろぼろとこぼれ落ちた。カズヤはマユを抱き寄せた。
「まだ返事聞いてないんだけど。」
マユはカズヤの腕の中で、何度も何度も頷いた。
その後、特に会話をする訳でもなく、布団に入りカズヤはマユを抱きしめた。泣き疲れたのと安心したのとで、マユはすぐに眠った。高校生の時のように幼いマユの寝顔は美しかった。
決して消える事のない傷を負ったマユを、どれだけ癒す事が出来るだろう。どれだけ笑顔にする事が出来るだろう。マユの受けた苦痛を思うと胸が張り裂けそうになる。カズヤもまた、その事実と向き合っていかなければならない。静かにマユの額に自分の額を合わせ、カズヤは眠った。
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