第三話 ねぇ、キスして…
「わ、私なんて…ぐすっ…」
クロサキ先生は席に座った途端、ざめざめと泣き始めた。あ~、どうすりゃいいんだよこれ。何するのが正解なんだ…?
(てか酒くさっ!…どんだけ飲んでんだ?)
吐息が酒臭い。もちろん、僕じゃない。
「げふっ…あなた…だれ?」
クロサキ先生はグラスをちびちびと傾けながら、虚ろな目で聞いてきた。
(酔ってて誰か分かんないのか?まあそっちの方が都合がいいけど)
「…あなたと同じ客ですよ」
なんてベタな嘘をついてみる。酔ってるからどうせ分かんないだろ。
「そ、そうなのぉ…?似てるわ…」
「似てる…?」
「そう…ナオト君にぃ…」
僕です先生。似てるじゃなくて、僕です。
「そ、そうなんですか…存じ上げませんが」
ここはあくまでも赤の他人を貫く。
「私ぃ…やっぱり魅力ないのかしらぁ…」
「なぜそう思うんですか?」
「今日…すっぽかされちゃった…デートの予定」
デートって…あ、だからレストランにいたのか!…しばらくして泣いて店を飛び出たのはそういう事だったのか。
(可哀そうに)
「それは酷いですね…彼氏ですか?」
「いや…ヒック…出会い系の人ぉ…」
「で、出会い系って…」
「チャットでは…すごぉく優しかったのに…ぐすっ…なあんでええええ…」
先生は急に泣き叫び、うずくまる。ちょ、急すぎ。
「お、落ち着いてください…」
ひとまず、先生を抱き寄せて、頭を撫でてみる。
(酒に混じって、ほのかに香水の香りが…先生相当楽しみにしてたんだろうな)
そう思うと、腹の底から少し熱いものがこみ上げてくる気がした。
「あ、あなたっ…優しいのね…」
先生はトロンとした目で、見上げてくる。か、可愛い!こんな先生見たことない。
(え、先生こんな可愛かったっけ?)
一瞬心がぐらつく。僕はこれから…この人を“騙そう”としているのだ。
「ね、ねえ…お口が寂しぃ…」
(寂しい…ってえええええ?)
目の前には先生のぷるっとした唇。先生は、目を閉じている。
(まさかの…エロゲ展開?)
が、僕は人差し指で先生の唇を制する。
「んむっ…な、なんでぇ?」
先生は悲しそうな顔で、目を潤ませる。
(ぐっ…ここは抑えるんだ僕!今はその時じゃない)
「あなた…キスしたことないんじゃないですか?」
「っ…!どうしてわかるの?」
そりゃまぁ…出会い系信じるあたり、“ピュアな恋愛”しかしたことないか、そもそも“したこと”無いだろうからね。
「その唇は…あなたを幸せにしてくれる人が見つかるまで大事にしてください」
「…へぇ、お兄さんもしかしてそーゆー経験豊富なのぉ…?」
「そうですね。少なくとも“あなたよりは”ですかね?」
「なによぉ、その私を知ったような口ぶりィ…」
再び酒を呷る。その度に、ポロポロと大粒の涙が先生の目から零れ落ちる。
(心苦しい…)
「ナオト君…カッコいい…」
「えっ…?」
思いがけないセリフ…だけど。
(嬉しい…)
「生徒のことが気になるなんて…教師失格よぉ…」
(それってまさか…僕の事?)
ドキドキと心臓の拍動が全身を駆け巡る。やばい、今頭が真っ白になりそう!
お、落ち着け…まずは先生のフォローに回らないと。
「いいんじゃないですか?」
「え?…どういうこと?」
「あなたは…“教師”である前に“女性”、異性に関心を持つのは可笑しいことじゃないですよ」
「で、でもぉ…生徒だしぃ…」
「年齢、社会的身分。そんなの関係ないですよ、今は中世じゃありませんからね」
「でっ!でもぉ…!」
「――怖い、そう思うんでしょう?」
「!!」
先生の手の中から、グラスが抜け落ちる。そして、机に転がると、一面に酒をぶちまけた。
「あなたは“自分じゃ無理だ”とか“どうせダメだ”とか思ってるんじゃないですか?」
「…」
(ちょ、ちょっとやり過ぎたかな…?)
ええい、ここまで来たらどうなってもいい!最後まで言い抜くぞ。
「だから“教師と生徒の関係”やら“年齢が”とか御託を並べて、自分で“壁”を創って不可能だと思い込ませてるんじゃないですか?」
「…」
「本当はあなたも知っているはずだ。“そんなものどうにでもなる”って」
一旦呼吸を整える。いけない…何故か熱っぽくなっちゃった。…コレぜったい後で思い出したら恥ずかしくなるヤツだ。
「本当は不可能なんかじゃない。あなたが怖気づいているだけ…」
「――怖いことの、何が悪いの!」
先生が声を荒げる。が、その声はもう既に枯れている。
「怖い!それはもちろん怖い!だって…もう傷つきたくないから…」
「確かに…人は傷つくのが怖い。だから恐れてる」
「そうよ…だから…もう虐めないで…」
「虐めてない。僕はただ、あなたに気づいて欲しいんだ」
「気づく…?」
「そう。このまたとない“チャンスに”」
僕は先生の傍にあったボトルを取ると、酒を注ぐ。…言っておくが、未成年の飲酒は立派な犯罪だ。僕?僕は…“悪魔”だからね、ダイジョブ…多分。
「チャンスってのは…二度とないモノだ」
「…」
「僕は惜しいんだ。あなたが古傷を舐めて、恐怖で縮こまり、それを“逃す”のが」
一口呷る。別に酔わないけど、何となく雰囲気づくりにはいいかなぁと思うから。
(まずっ…美味しくないなぁ…)
「それの何が悪いの…?」
「もちろん、チャンスを逃して更に傷つくことだ」
そっとバケツに唾を吐く。…マジでこの酒マズイ。口の中で苦みが渦巻いて、カオスになってる。
「あなたは知らない。好機を逃すことが、どれだけ傷つくか」
僕は先生に向き直って、目を見つめる。さっきと違って、その瞳には光が宿っている。
「恐怖を乗り越えた先で、きっと傷も癒える。そして、本当の幸せが見つかるんじゃないですか?」
「…」
言い切ったぁ…。ちょっと途中危うかったけど、何とかフォローできたんじゃないか?…あとは先生の反応を待つのみ。
「それじゃあ、僕はここでお暇しますね。また、お会いしましょう」
そう言って、僕は席を立つと、考え込む先生を後に店を出た。
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