流星群観測会

 ようこそ美波商店街へ。

 千鳥は点滅するネオンで飾られた看板を見上げた。

 重そうに抱えているざらついたコピー用紙には、質の悪い印刷で「美波高校天文部 ペルセウス流星群観測会!」の手書きの文字。

 味のある自由な筆跡は部長のもので、その上からマジックでカラフルに着色したのは他の部員だ。

 千鳥は水色と黄色のやわらかいパステルカラー、ミホは鮮やかなピンクやオレンジと、いかにも女子高生らしいポップでキュートな色あい。反対に深海はクールに濃い青の一色。

 天体観測の告知ポスターだが、能天気な顔のクラゲがそこかしこに顔を出しているのは、部長のサインみたいなものだろう。

 夏休みを迎えて気温も気分も上がる中、千鳥は重大な使命をおびて、地元の商店街を訪れていた。

 外部参加者も大大大歓迎! の力んだ文字に、集客にかける部長の情熱が溢れている。

 このポスターを商店街の各店舗に貼ってもらうのが、本日の千鳥のミッションだった。

 千鳥はアーケードの手前で立ち止まり、キョロキョロと左右に視線をうろつかせる。

 買い出しの主婦、のんびりとくつろぐ老人、手をつないで走っていく小学生たち、犬の散歩のおじさん。人々の生活の中に溶け込んだような商店街だ。ただ、シャッターが閉まっているお店も少なくない。歩道の剥がれたタイルや埃がたまった街灯や傾いた看板に、商店街そのもののゆるやかな老いを感じさせた。

 千鳥の気分は新人の営業マンだ。気合いはあるが、しかし、見ず知らずのお店に入っていきなり交渉するのはハードルが高い。千鳥はお店をちらりと覗いては引き返すのを繰り返していた。どこぞのピンクのクラゲのコミュ力を尊敬しながら、ため息をつく。抱えている紙束は、部長の熱意込みで非常に重い。

 おろおろしているうちに、商店街の半ばまで進んでしまった。ふと足を止めた目の前には、白い壁と金色の文字の看板があった。入り口に寝そべる老猫の尻尾が、ゆらゆらと揺れている。

 千鳥は吸い寄せられるように、老猫を乗り越えて、硝子のドアを開けていた。

 リリン、と軽やかなベルの音がして、涼しい少女の声が響く。

「いらっしゃいませ」

 クラゲのたなびくスカートがそのまま形になったような赤いランプに照らされて、古くさいケーキと白いエプロンがキラキラと浮かび上がる。

 千鳥と目が合うと、顔馴染みになった店員の少女がにこりと笑った。千鳥のことは覚えているのだろう、常連客のような距離の近い笑顔だ。千鳥は眩しくて、思わず目を細めた。

「あの、今日はお願いがあって来たんですけど」

「あら、なに?」

 首をかしげた少女……アキラという名前だった……に、千鳥はポスターを見せる。

「ペルセウス流星群観測会?」

 アキラは首をかしげた。

「はい。今度学校で夜間観測会をやるので……」

「へぇ、おもしろそうなことやるのね。わかった。店長に聞いてくるわね」

 頷いてポスターを受け取ったアキラは、店の奥へと引っ込む。ドキドキしながら待っていると、店の奥からアキラと共にひょっこり顔を出したのは、黒ぶち眼鏡の男性だった。洗濯はされて清潔だが、使い古してよれた白いコックコートとエプロン。野暮ったい中年臭が滲み出ているが、彼が店主なのだろう。

「このポスターを店に置いてほしいって?」

 店主は黒ぶち眼鏡の奥でやわらかく目を細めた。

「いいよ、好きなところに貼っておいて」

 快諾してくれた店主に、千鳥は頭を下げる。

「ありがとうございます!」

 頷いた店主は、ポスターをまじまじと眺めた。

「でも、美波高の天文部って廃部になってたよね? 復活したのかい?」

 顎をさすりつつ呟く店主に、千鳥は目を瞬かせた。

「はい、今年再開して……」

「そうか。望遠鏡が壊れてるって話だったけど、直ったのかな」

 やけに天文部に詳しい。不思議そうな目を向ける千鳥に、店主は懐かしそうに微笑んだ。

「実は僕も美波高の卒業生でね、一応、天文部だったんだよ」

「えっ、そうなんですか?」

 突然のOBの登場に、千鳥は目を丸くする。

「僕らが卒業した後、廃部になったって聞いてね。残念だけど、あんな事故があったんだし、しょうがないけれどもね……」

「え?」

 店主からこぼれたのは、どことなく不穏な言葉だ。

「それってどういう……」

 しかし、千鳥が店主に聞き返そうと口を開くのと同時に、普段まったく動かない老猫が、突然ぎにゃあと鳴いた。

 驚いて見てみれば、入ってきた老人客に、尻尾を踏まれた所だった。

「あちゃあ、すいません」

 店主は頭をかきつつ、困ったように肩をすくめる。

「ああやってしょっちゅう踏まれるくせに、玄関から動いてくれないんだよなぁ」

 尻尾を踏んづけた客に苦情の表情を向けるものの、すぐにまた同じ体勢に戻る老猫。たとえ尻尾を踏まれても、そこから動く気はないらしい。

「あそこがお気に入りなんですね」

 苦笑する千鳥に、店主はゆるやかに首をふった。

「……彼女がくるのを待ってるんだよ」

 その呟きは、どこか暗く湿っていた。店主はショーケースに並んだケーキに視線を滑らせて、中央に鎮座する宝石のようなお菓子に目を止める。それはこの店の自慢の品で、星を散らしたように美しいチョコレートだ。

「常連だった女の子がいたんだけど、ある時ぱったり来なくなってしまってね。うちのやつは、ずいぶん懐いていたから……」

 それは千鳥に説明するためというよりも、ただ独り言のようだった。

「……そういえば、彼女のお気に入りは、メルトブランカだったね」

 あまやかな菓子の名前を口に含んだまま、店主は新しく訪れた客の対応に行ってしまった。

 千鳥が聞き返す間はなかった。持ち主不明の落とし物を拾ってしまったような気持ちで立ちすくむ千鳥に、老猫は気にするな、とでも言いたいのか、黄金の瞳を細めると、ゆらりと尻尾を一回だけ揺らした。

「じゃあ、これ貼りましょうか」

「あっ、はい!」

 アキラの声に、千鳥は自分の使命を思い出した。

 アキラはさっそく、ケーキのチラシの横、わりと目立つ場所にポスターを貼ってくれた。

「これって、学校以外の人も行っていいのよね?」

「はい。ぜひ、いらしてください!」

 客を呼び込めば部長は大喜びだろう。千鳥は仕事を果たした満足感に、店主の残した小さな謎のことは、すっかり取りこぼしていた。

「ありがとうございました」

 アキラの笑顔に見送られて、老猫を乗り越えた千鳥は店をあとにした。

 老猫は髭をそよがせて、空をじっと見つめている。そういえば、天気予報のニュースは台風の接近を告げていた。嵐の匂いでも嗅いでいるのだろうか。



 千鳥が店を出ていくのとすれ違いに。

 壁に貼られたポスターの前に、立ち止まった少女がひとり。

「流星群観測会……」

 さらりと艶やかな黒髪を背中に垂らした、セーラー服の少女だった。クラゲの顔をまじまじと覗き込む黒い瞳には、星のような輝きが散っている。

「……そう。また、嵐がくるのね」

 色も温度もないような、透き通った声だった。

 千鳥はふと足を止めた。

「……ん?」

 しかし、振り返ってもそこには誰もいない。

 まるで泡が弾けるように、人が通りすぎる瞬きの間に、少女の姿も呟きも、音もなく消えていた。

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