強制ボランティア

 浜掃除。それは、美波高校の嫌われトップスリーに数えられる悪行事で、なんの捻りも洒落もなく、行事名そのままに海岸線の掃除である。浜辺には捨てられたり海から流れ着いたゴミが相当量ある。そして海岸の広大な面積をカバーできるほどの清掃要員確保が難しい行政と、地域貢献という社会的ステータスを欲した学校の陰謀により、無辜なる高校生に白羽の矢が当たったのだ。ボランティアの体裁をとっているくせに参加は強制という矛盾から、強制ボランティアという矛盾名称が生徒達の間での通り名である。余談だが、他のワーストワンとツーは、浜マラソン大会と寒中水泳大会だ。陰謀云々はともかくとして、海を隣人とする美波高校らしい行事である。

「あぁん、もう、絶対に終わらないーっ」

 ジャージ姿のミホが叫んで、その隣で同じジャージ姿の千鳥は、もういくつめになったかわからないゴミ袋を黙々と積み上げた。

「なんでわざわざこんな素晴らしく晴れた清々しい土曜日の午前中に、汗水垂らして浜掃除なのよぉ。いくら人手が集まらないからって、横暴だわ!」

「もう少しで終わりますから、がんばりましょう」

 プリプリするミホに、千鳥はなだめるように言う。

「それに、私達がプールで遊んでたせいですし……」

 ボランティアに従事する善意の学生としてここにいる千鳥達であるが、件の深夜プール不法侵入で深夜活動許可の取り消しという圧力をかけられたともいう。

 自業自得とはいえ、終わりの見えない広大な浜清掃という苦行は、ミホの機嫌を相当険悪にしていた。

「ああん、もう。潮で髪も痛むし、最悪!」

 晴天の海は青々として、岬の先っぽにちらりと見える白い灯台がキラキラと反射している。爽やか極まりない光景を、ミホは憎々しげに睨む。トレードマークのメッシュの入ったツインテールは、きつい潮風にばっさばっさと弄ばれていた。

「おおい」

 友人の愚痴と潮騒の中に能天気な声が割り込んで、千鳥は声の方に顔を向けた。

 海と陸の境界近く、砂利の中に吹き流しが斜めに立っていた。風の向きと強さの指標の旗は、派手な色合いでよく目立つ。その五色の旗をくぐって、少年が二人、並んで歩いてきた。

「ほら、折戸谷君達も戻ってきましたよ」

 愚痴りながら背を丸めるミホの肩を叩き、千鳥は目を細めた。少し離れた場所で掃除をしていた少年達が戻ってきたようだ。

 折戸谷と深海。二人の少年は同じ部活動に所属しているものの、性格や趣味に共通点は薄い。お調子者とクールな彼と彼。対照的な性格ともいえるのに、不思議と一緒にいて違和感がない。背格好も似通っているらしく、遠目だと見分けがつかないことに気づいた。

「あ、サボってるな」

「違うわよ、ちょっと休憩よ」

 空き缶を転がして遊んでいたミホを半眼で睨む折戸谷に、ミホは唇を尖らせる。ミホと折戸谷は仲が良いのか悪いのか、顔を合わせると大抵喧嘩というか、謎の張り合いに発展することが多い。今回はどちらの集めたゴミのほうが多いのかという競争を始めた。

「ふふん、どうよ。あんたたちよりも多いわよ」

「なんだと!? どうせ千鳥さんがやって、お前はサボってたんだろ!」

「ちゃんとあたしだって手伝ったわよ!」

「喧嘩する暇があるなら、手を動かせ。ほら、あと少しで終わるんだから」

 深海が慣れた様子で二人の間に割って入った。やんちゃな子どもを世話するのが板についているのは、幼い兄弟がいるせいだろうか。

「千鳥を見習え」

「はーい」「へーい」

 深海にじとりと睨まれ、不承不承片付けを再開した二人を横目に、ふと思い出したように彼は呟いた。

「そういえば、次の浜マラソン、いつもより日程が早まるらしいな」

「うげ。掃除の次はマラソンなの」

 マラソンと聞いて、ミホは元々険しかった顔をさらにしかめた。しかしミホの反応は当然とも言える。砂の上を走るのは、アスファルトの道路を走るのとは比べられないほど体力を消耗するのだ。しかも天然の浜は自然が作る障害物だらけで、走りにくいことこの上ない。三大悪行事の面目躍如といったところか。

「岬の灯台がゴールになるんだっけ」

「ああ、その灯台が老朽化で壊されることになるから、その前にってことらしいぞ」

 灯台の話が出て、千鳥は早朝の不思議な出会いを思い出していた。とある写真家の秘密のアトリエと、老いた灯台守。捕まえられなかった写真。あの時貰った大量のネガは、天文台という秘密基地のおもちゃ箱に、そっと仕舞ってある。

「どっちにしろ、浜は走るんでしょ。辛いことに変わりはないわよ……」

 運動部を兼部するミホとは正反対に、バリバリのインドア派の折戸谷が楽しげな反応をしていた。

「海で走るって気持ち良さそうじゃないか」

「お前はいつでも楽しそうでいいよな」

 深海が笑い、折戸谷はむっと唇をへの字に曲げた。

「あれ、今なんかバカにされた気がする」

「いや、いっそ尊敬してるぞ」

「いっそってなんだよ、いっそって」

 少年達の楽しげで軽やかな悪口の応酬を、千鳥はぼうっと眺めた。

「ちーちゃん、どうしたの?」

 ミホがしゃがんだまま上目遣いで千鳥を見上げる。小首を傾げる仕草は小動物のようで、同性の千鳥から見ても可愛らしい。

「いえ。折戸谷君と深海君って、仲が良いんですね」

「そう? 天文馬鹿の部長に巻き込まれてるだけな気がするけど」

「それはミホちゃんも同じですよ」

「ちーちゃんもねー」

 少女達は顔を見合わせてくすくすと笑う。潮風に跳ねる前髪の間から、白波に反射する光が眩しく飛び込んでくる。眩しさとくすぐったさで、千鳥はほうと息をついた。

 ミホとは天文部以外での接点はない。しかし、友人と呼べるくらいには彼女との距離は近くなっていた。

 時間は穏やかな波のようにゆっくりと流れている。

 それから五分程度は粛々とボランティア活動に従事していた少年少女達だが、限界は早かった。

「~~~~あー、もう限界っ。あたし、いちぬけたーー!」

「あっ、逃げた!」

 ついに我慢できなくなったミホが、ゴミを放り出してだっと駆け出した。

「ずるいぞ、僕だって休憩したい!」

 一人脱落者が出ると、あとは芋づる式だった。脱走したミホを追って、折戸谷まで脱走。

「まったく、しょうがないな」

 深海は苦笑して、後ろにいた千鳥に振り返る。

「俺達も休憩にするか」

「そうですね」

 頷いた千鳥は深海と共に、脱落者二名を追って歩道沿いに足を向ける。

 労働をボイコットした二人が逃げ込んだ先は、浜に沿ってのびる松林道だった。海岸には湾に平行するように松の林と散歩道が先端の岬まで通っている。石畳の歩道には青いベンチが等間隔に並び、道の脇に咲いた白い花がさやさやと穏やかに揺れていた。適度に陽ざしを遮り、ひんやりとしたその場所は、確かに休憩には最適だった。

「はー、暑かったぁ」

「あたしにもジュースちょうだい」

 二人はベンチに腰を下ろして、速攻で休憩モードに入っている。これだけ早く行動できるなら、清掃活動ももっと早く終わるだろう素早さだ。

 千鳥は二人に倣って木陰に身を滑り込ませると、しっとりと濡れた樹木の匂いを嗅ぐ。甘く優しい匂いだった。

 その時、ざわっと風が吹いた。

 針のような枝葉が、しゃらしゃらと涼やかな音を立てる。その中に微かな笑い声のようなものを聞いた気がして、千鳥は振り返った。

 自然とそこに足が動いた。

 気づけば、千鳥は一本の松の前に立っていた。

 遊歩道の中でも一際大きく古い木だった。ほとんど岩と区別できないゴツゴツとした太い幹には、しめ縄が巻かれている。強い海風にさらされて斜めに傾いて広がる枝は、前衛アートのオブジェのように自由気ままに曲がりくねっていた。

 少し奇妙なのは、松の側に儀式めいたものを感じさせる石の山がいくつもあることだろうか。石そのものは浜に落ちているものを適当に拾ってきたのだろうが、明らかに人為的に作られていた。その造形はのどかな浜辺にあってどこか異質で、何か深い意味を纏っているように感じられた。

 千鳥は不思議な気持ちでその松を見上げた。葉ずれの中に、また少女の笑い声が聞こえた気がした。

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