美波天文部へようこそ

「あっ、部長がまた女の子連れ込んでる!」 

 少女の高い声が、千鳥の海の夢想をかき消した。

 どうやって持ち込んだのか、入口よりも大きなソファーにぬいぐるみが山盛りになっていて、千鳥が部屋に入るなり雪崩が起きた。

 色とりどりのぬいぐるみと、ツインテールが元気に跳ねる。

 コロコロと足元に転がってきたクラゲらしいピンクの物体を拾い上げて千鳥が顔を上げると、目の前に少女の顔が迫っていた。

 キラキラの瞳にばっちりメイク、着崩した制服に短いスカート、前髪に一筋入った赤と白のメッシュ。

 超接近に千鳥はクラゲを持ったまま硬直する。

 華やかな色の唇、香水の甘い香り。小動物のような大きな黒い瞳が、まじまじと千鳥を見つめている。

「おい、あからさまに誤解を誘発する発言はよせ!」

 折戸谷は千鳥とツインテール少女の間に入り、少女をきっと睨んだ。彼の台詞は先程の連れ込んだ云々への抗議らしい。

「見学希望者を案内しただけだろ。これはれっきとした部員勧誘、立派な部活動だ!」

 特に率先して希望した覚えはないが。

 胸を張る折戸谷の後ろで、千鳥は軽く首を傾げた。

「あたし二組の松原美帆。いちおうここの部員だよ! ミホちゃんって呼んでね!」

 ツインテール少女は容赦なく部長をスルーし、明るい自己紹介の後、千鳥のネームプレートを覗き込む。

「えっとー、一組の千鳥さんね。じゃー、ちーちゃんね!」

 初対面でもうあだ名がついたようだ。千鳥の手を掴むと、ブンブン振り回す。

「はい、あくしゅー!」

 早回しの会話に返事もできない千鳥も、抗議する部長も無視で、少女はご機嫌に笑っている。

 部長といい部員といい、この部活には押しの強い人間しかいないのだろうか。

「おい、部長よりも前に出るな! てか、千鳥さん困ってるだろ!」

 折戸谷に手を払われて、少女はリスのようにぷうっと頬を膨らませる。そんなあざとい表情もなんとなく許せてしまう可愛らしさが彼女にはあった。

 拾われたクラゲぬいぐるみを千鳥の代わりに振り回しながら、ツインテール少女、ミホは唇を尖らせる。

「なによー、困ってるのはあんたのせいじゃないの。どうせまた変な言い訳つけて無理矢理連れてきたんでしょ。それって誘拐よ、ユーカイ」

「んなわけないし、ちゃんと普通に誘ったし!」

「じゃー、なんて言って連れてきたのよ?」

「それはまず、お詫びをだな……」

 いきさつを説明しようとしたらしい折戸谷だったが、そこでふいに口を閉ざした。

「お詫びってなんの?」

「…………いや、それは置いておいて!」

 不自然な笑顔で話題をそらした折戸谷に、ミホは半目になる。

「ちょっと、本当に変な言いがかりとかつけてないでしょうね」

 ミホは何かに感づいて、折戸谷に詰め寄る。

「い、いやぁ、それはその」

 部員に圧迫されてモゴモゴと口ごもる部長に、千鳥はさすがにかわいそうになったのか、口を挟んだ。

「いえ、スカートの中を見られたので、そのお詫びです。言いがかりではないですよ」

 千鳥はフォローしようとしただけである。しかし折戸谷は硬直し、ミホの声のトーンはガクンと下がる。

「……へぇ?」

 あわあわと狼狽する部長と、部長の不埒な行為に制裁を加えようとする部員を交互に見て、一応見学希望者である千鳥は、ついに本題を尋ねてみた。

「あの、それで、ここって……?」

 千鳥の質問に、二人はピタリとケンカを止める。

「あんた、なんの部活かも言わずに連れてきたの?」

「いや、見てもらったほうが早いかと思って」

 折戸谷は胸ぐらを掴み上げるミホの手から抜け出すと、ずれた眼鏡を直しつつ、望遠鏡を見上げた。

「もうわかったと思うけど、ここは美波高校天文部、僕らの部室兼、観測室なんだ」

「この学校に天文部なんてあったんですね」

 千鳥は呟きながら、折戸谷の横で同じように望遠鏡を見上げた。

 巨大な望遠鏡が、ただまっすぐに空に眼差しを向けている姿は、静かだが圧倒されるものがある。

「こいつはね、閉鎖された古い天文台から移築してきたやつなんだ。だから研究者が使う本格的な設備でさ、普通はこんな高校にあるもんじゃないんだ」

 そう語る折戸谷は得意げだ。

「すごいんですね」

 千鳥は素直に感嘆した。千鳥に天文の知識はないが、それでも迫力は伝わってくる。

「へー、こんなボロいのにキョーミあるの?」

 まったく興味はなそうなミホは、本当に部員なのだろうか。

 珍しそうにまじまじと望遠鏡を見上げている千鳥に、ミホは何か思いついたのか、ふいに小悪魔のような笑顔を浮かべた。

「……ねぇ、覗いてみたい?」

 それはこの立派な望遠鏡を使っても良いという申し出だ。

「えっ、いいんですか?」

「えっ、それはまずいだろ?」

 千鳥と折戸谷が同時に目を丸くする。

「あっ、いやなんでも」

 折戸谷は慌てて自分の口を押さえた。

 ミホはくふふと黒い笑顔を浮かべている。

 二人の含みのある様子に、千鳥は不思議そうに目を瞬かせた。

「そーよねー、天文部の見学にきて、望遠鏡見ないなんてねー」

 ミホの言葉はもっとものようだが、何故か部長の顔色が真っ青だ。

「さ、どうぞ遠慮なくのぞいちゃって!」

 どうぞどうぞとかなり力強くミホに押され、千鳥は望遠鏡の前に立たされていた。

 あー、あー、と後ろで折戸谷が意味不明な悲鳴を上げている。

「じゃあ、せっかくなので……?」

 奇行の部長を横目で捉えつつ、千鳥はおそるおそる接眼レンズに顔を近づけた。小さな円柱形の中に、分厚い硝子が光っている。

 何が見えるのか期待しながら、千鳥は小さな穴を覗き込む。

「……ん?」

 しかし、すぐに首を傾げることになってしまった。

「何も、見えない……?」

 今は昼間なので確かに星は見えないかもしれないが、初夏の青空くらいなら映ると思っていた。しかし穴から見えたのは、ただ塗りつぶされた黒だった。

 折戸谷は悲痛な顔で天を仰いだ。

「あーー!」

 それから、がばっとミホに詰め寄った。

「なんっで、速攻でばらすんだよ!」

「えー、べつにーあたし何も言ってないしぃ」

 ミホはふんと鼻をならす。

 ギリギリと悔しそうに唇を噛み締める折戸谷を、呆れたように眺めた。

「だいたい、言ってないあんたが悪いんでしょ?」

「だって言ったら来てくんないじゃん! 肝心の望遠鏡が壊れてるなんてさ!」

「……壊れてるんですか?」

 キョトンとした千鳥の顔に、折戸谷はしまったと口を押さえたが、もう自白の後だ。

 がっくりと膝をついて、悔しげに頭を抱える。

「くそぅ、まんまと策に嵌められた……」

「だーかーらー、教えないで入部させたって、またすぐにやめちゃうわよ?」

「うっ」

 ミホは腰に手を当てて、呻く折戸谷を見下ろした。

「諦めなさいよ。あたしだってあんたが泣いて頼むから、陸上部と兼部で仕方なく入ってあげたんだし」

「だって、三人以上いないと部として認めてもらえないんだよ! 部員数が少ないと予算回してもらえないし、とにかく一人でも多く部員を確保しないといけないんだ!」

 折戸谷は一通り叫んでから、諦めたように千鳥に向き直る。ごめんね、としおしおと項垂れた。

「実はね、けっこう前に望遠鏡が壊れちゃって、天文部も廃部になってたんだ。で、僕が部を復活させたんだけど」

 ミホは肩を竦める。

「肝心の望遠鏡がこれでしょ? 部員も集まらないし、そもそも天体観測とかできないし」

「いや、それは他の望遠鏡でやってるから!」

 折戸谷は必死になって、部屋の隅に置いてある小さな望遠鏡を指さす。

 それは目の前の立派な巨大望遠鏡と比べては、どうしても貧弱なおもちゃにしか見えないものだった。

「でもいつか! 必ずこの望遠鏡を直して、この天文台で天体観測するんだ!」

 熱く拳を握りしめる部長に、冷めた目を向けるただ一人の部員。

「と、いうわけでね」

 ここまで暴露して開き直ったらしい少年は、胸を張って言い切った。

「我が美波天文部の主な部活内容は、望遠鏡を直すこと、なんだ!」

「そこからなんですね……」

 千鳥はある意味感心した。

 ずいぶんと道のりは長そうである。

「ふっ、星とは手の届かない遠くにあるものなのさ……」

 意味がありそうでまったくないセリフを誤魔化すように吐いて、折戸谷はもじもじと千鳥に向き直った。

「で、どうかな……?」

 どうと言われても。

 千鳥は答えに困って、壊れた望遠鏡の前に立ち竦んだ。

 期待を込めた眼差しで見つめられても、この状況で入部を希望する者はそういないだろう。

 この部にまったく人がいないことも納得できる。

 しかし部長の折戸谷は必死だった。

「あのね、今度ちょっとしたイベントがあるんだけど。た、体験入部してみない?!」

 折戸谷があまりに必死だったせいか、壊れているというその望遠鏡に哀愁を感じたのか、千鳥は思わず頷いていた。

「まぁ、体験だけなら……?」

「えっ」

「うそ」

 了承してもらえるとは思っていなかったのか、折戸谷のほうが驚いた顔をする。ミホも同じように目を丸くして、千鳥の顔を凝視している。

「い、いいの?!」

「はぁ、まぁ……」

 曖昧に頷く千鳥に、折戸谷は顔を輝かせた。

 ミホは呆れたように首を傾ける。

「ちーちゃんてば、お人好しねー」

「……体験だけですよ?」

 念押しのように繰り返すが、折戸谷は感動にうち震えていて、まともに聞いているかも怪しい。

「それでもいい、今までは全員、速攻で逃げられてたことに比べれば、ものすごい進歩だよ!」

 折戸谷のセリフに、体験入部に参加すると言ってしまったことを千鳥はすでに若干後悔していた。

 しかしこの喜びよう。今さらやめるとも言い出せない空気だ。

「やったー! 僕だってやれば出来るんだ。幽霊部の汚名返上だー!」

 幽霊部員ならぬ、幽霊部。

 確かに千鳥も今まで存在を知らなかったくらいだ。どれだけ人気がないのだろうか。

「ほんとに、体験だけですからね……」

 千鳥の声は小さすぎて、残念ながらはしゃいでいる折戸谷の耳には届かなかった。

「じゃあ。これ、どうぞ!」

 ご機嫌な折戸谷が差し出したのは、小さな黒い本のようなものだった。手のひらサイズの薄い冊子に、よく見れば銀の文字が細く刻まれている。

 千鳥は本を受け取り、そこに刻まれた文字を小さく読み上げた。

「……深海パスポート?」

 不思議な文字の意味するところは、いったいなんなのだろうか。

 しかし千鳥が首を傾げているわずかな間に、体験入部の話はどんどん進んでいる。

「てなわけで、明日の土曜日、朝八時に校門前に集合だから!」

「はい?」

 唐突な決定。千鳥は渡された小冊子を持ったまま固まった。

 天文部の体験入部なのに、朝集合?

 明日とかいきなりすぎない?

 というか、この本は何?

 しかし、疑問不安その他もろもろの言葉は、鳴り響いたチャイムに遮られた。

「絶対来てね!」

 そして考え直す間もなく、千鳥は折戸谷の眩しい笑顔に迎えられていた。

「てなわけで、改めまして。千鳥さん。ようこそ、美波天文部へ!」

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