第79話 女神に名前も覚えられていない男が恋をした場合(3)



 大森林の者たちと一緒にやってきた妹のエイムがごみを見るようなとても冷たい目でおれと親父を見ていた、気がする。


「父さんや兄さんのせいで、私やリイム、ナルカン氏族から大森林に行ったみんながどう思われるか、もっと真剣に考えてほしかったけど、もう親子でも兄妹でもないと思うから・・・」


 そんな声が、妹から聞こえた。


 ドウラに与力していた大森林の者たちに、親父はあっという間に叩きのめされた。


 おれは、小さな女の子に、一瞬でやられた。


 そういう変な夢を見てしまったらしい。


 ぼんやりとしていく視界の隅に、馬に乗った者たちに追い散らされ、蹂躙されるエレカン氏族とヤゾカン氏族の男たちの姿が見えた。


 意識を取り戻した時、おれと親父の周囲には誰もいない状態で、あとわずかとなったエレカン氏族をドウラたちが取り囲み、エレカン氏族の族長が追い詰められていた。


 おれと親父は、その場から逃げた。


 エレカン氏族やヤゾカン氏族のことなど、知ったことではない。

 もう、おれたちは大草原にはいられない。もう無理だ。


 同じように逃げ出した辺境都市のロウェンとともに、スレイン川に沿って、辺境都市へと走った。


 ひたすら、後ろも見ずに、走り続けた。


 もう、大草原には、おれと親父の居場所は、ない。もう帰れない。


 全部、あいつのせいだ。






 ロウェンとともに、辺境都市の門をくぐる。


 門衛たちが驚いて、ロウェンを迎える。兵士長、という言葉が聞こえる。どうやらロウェンは辺境都市では有名な奴らしい。


 そのまま、辺境都市の支配者である男爵の屋敷をめざす。

 あっさり中に入ることができた。これまたロウェンはなかなか偉い奴らしい。


 男爵に大草原のことを報告するつもりだというが、肝心の男爵が屋敷にいない。

 辺境伯の軍勢が攻め寄せていて、それに対応しているという。


 しばらく待つと、男爵が戻ってきて、目通りが叶う。

 こんな偉い人とすぐに会えるなんて考えてもみなかった。


 しかし、こっちの言葉は、まだよく分からない。


 大草原、とか、敵対、とか、子どもたち、とか、大森林、とか。


 まあ、口減らしの子どもたちは大森林に行き、辺境都市には行かなくなっているって話だろう。


 あとは、今回の一件で大草原の氏族同盟が敵に回るかもしれないという話か。


 そんな報告をロウェンが男爵にしている。

 その中で、気になる言葉があった。


 オーバ。


 ・・・あいつの名だ。


 おれは親父を見た。

 親父も、おれを見ていた。


 どうやら聞き間違いではないらしい。


 さらに、赤髪、赤瞳と、言葉が続く。

 それも、気になる言葉だ。

 とても気になる言葉だ。


 どうして、こんなところまで来て、あいつの名を聞くことになる?


 男爵と激しく話し合っていたロウェンが、おれと親父を振り返る。


 そして、おれたちの言葉で話しかけてきた。


「ガイズ、ナイズ。おまえたちは、オーバという名前に聞き覚えはないだろうか?」

「あるぞ、聞いたことがある名だ」


 親父が答える。

 おれもうなずく。


 ロウェンは男爵に伝える。親父の言葉を伝えているのだろう。


 男爵と話したロウェンが再びおれたちの方を見る。


「おまえたちの知っているオーバとは、何者だ?」

「オオバは大森林からナルカン氏族を訪ねてくる男だ。本人は大森林の村の長だと名乗っている」


「大森林の村の長だと? 本当か?」

「本当だ。木剣を使い、銅剣で戦ったおれたちを何人も、あっという間に叩きのめす強さを持つ男だ。村長というのは嘘ではないだろうと思う」

「・・・それほどまでに強いのか」


 ロウェンは男爵に向き直り、また男爵と激しいやりとりを繰り返す。


 オーバ、大森林、強い、といった言葉が聞こえる。


 ・・・あいつは、辺境都市の支配者にまで、知られているというのか?

 ・・・大草原を越えて? まさか?


「ガイズ、クレアという名に聞き覚えはあるのか?」

「ある。赤い髪、赤い瞳の女だ。オーバと一緒によくナルカン氏族を訪ねてくる」


 そうだ。あの赤い髪の女は、氏族のテントにやってきては、ライムと仲良くしてた。


「その女も強いのか?」

「ああ、強い。他の氏族がナルカン氏族に仕掛けてきた時、たまたま、その赤い髪の女がいた。あっという間に他の氏族の男たちを蹴散らして追い払ったよ」


「その女も強いのか・・・」

「ロウェン。あんたもこの前の戦いで見たんじゃないのか? オオバやクレアだけでなく、大森林の者たちは総じて強い。怖ろしいほどに、だ」


「・・・見たとも。見ていなかったら、信じられないことだっただろうに」


 ロウェンは独り言のようにつぶやく。「兵士が50、いや、100はいるな・・・」


 そして、ロウェンは男爵と話を進める。

 男爵の表情が変化し、この場の雰囲気が重苦しく、とげとげしいものになっていく。


 ロウェンと男爵の言葉が途切れた時、男爵は立ち上がって叫んだ。


 返事をしたロウェンがおれと親父を振り返る。


「ついてきてくれ。顔を確認してもらいたいんだ」


 それが、何を意味しているか。

 分からないはずがない。


 あいつが、ここに、いる。

 心の底から、殺したいと、願う、あいつが。






 ロウェンに従い、おれと親父は歩く。


 ロウェンはテキパキと指示を出し、次々と兵士たちが集まってくる。


 10人、20人と、兵士は増え、100人くらいにはなったな、と思った時、男爵もやってきた。


 先頭にロウェン、そして男爵。

 そのすぐ後ろにおれと親父がいて、その後に兵士たちが続く。


 町の人たちが振り返り、注目する。

 慌ててその場からいなくなる人もいる。


 そして、たどり着いたのは大きな建物だ。男爵の屋敷ほどではないが、歩いてここにくるまでに見た中では、その次ぐらいには大きな建物だ。


 ロウェン、男爵、おれと親父に続いて、2、30人くらいの兵士がその建物の中に入る。その後も次々と兵士が中へ入ってくる。


 ・・・いた。

 ・・・見間違えるはず、ない。


 ・・・あいつ、だ。


 おれは、その瞬間、あいつに向かって駆け出していた。





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