第79話 女神に名前も覚えられていない男が恋をした場合(2)



「あんた、いい加減にしやがれ!」


 次の日の昼過ぎ、剣の修行といってライムを打ちのめすあいつにおれはそう叫んだ。「ライムに何の恨みがあるのか知らないが、何度も何度も打ち込んで、痛い思いをさせて! あんたの方が強いなんて、おれたち全員分かってんだよ! でもな、おれたち、ナルカン氏族にだって、氏族の誇りってもんがある! これ以上、ライムに手ぇ出すってんなら、おれが相手になってやる!」


「ナイズ、何を言ってるの?」


 おれの言葉に答えたのはあいつではなく、ライムだった。


「ライム、今、助ける!」


 そう叫んで、おれは進み出た。


 あいつとおれの間にライムが割って入る。


 ライム。

 おれのことを守ろうとして・・・。


 大丈夫だ、ライム。

 おれがおまえを、守る!


「ナイズ、馬鹿なこと言ってないで、あっちへ行って!」


「馬鹿なこと、だと? ライム、おまえは、こんな男に、いいようにされて、それでいいのかよ!」


「うるさいわね! わたしは、今、初めて、抱かれたいって思う男に抱かれて、幸せな毎日を過ごしてるの! 邪魔しないで!」


 そこから先は、思い出せない。

 よく覚えていないし、思い出したくもない。


 それなのに、一番忘れたい、ライムの言葉ははっきりと耳に残っていた。


 ・・・わたしは、今、初めて、抱かれたいって思う男に抱かれて、幸せな毎日を過ごしてるの、か。


 忘れたい。


 でも、幸せと言ったライム。

 ライムが幸せなら。


 それも仕方がないと、今は、思う。


 ただ。

 あの後。


 倒れたおれは草を舐めていた気がする。


 草は血の味がした。


 涙は出なかった。


 おれの初恋は、終わった。






 あいつは必ず殺してやる。

 それだけは心に刻んだ。


 あいつがやってくる度に、ライムが綺麗になっていく。

 必ず殺してやる、そう思った。


 ライムのお腹が大きくなり、あいつの子を産んだ。

 しかも、ドウラはその子を次の族長にするという。


 あいつを殺さないと、ナルカン氏族はダメになる、本気でそう感じた。


 だから、おれは・・・。

 親父の言葉に従ったんだ。






 ドウラの命令で、おれと親父がヤゾカン氏族の説得に出向いた。

 しかし、おれたちには説得する気がなかった。


 親父とヤゾカン氏族の族長は密談し、どうやってドウラを排除するかを話し合った。

 そのまま、ダリカン氏族とエレカン氏族のところまで行き、そこでも、ドウラを排除するために話し合った。


 特に、エレカン氏族は積極的だった。


 それは大草原の天才剣士、ジッドのことがあるからだ。

 ジッドはエレカン氏族の族長の血筋に連なる者だが、跡目争いで、今の族長に陥れられて、大森林へと逃れた。

 そのジッドを、ドウラはライムの妊娠中に、ナルカン氏族を守るため、という理由で、ナルカン氏族に受け入れた。

 その話は大草原中に広まり、エレカン氏族は強く反発したのだ。


 そういう経緯があるので、エレカン氏族はドウラの排除に積極的で、辺境都市の連中まで巻き込んで、いろいろな画策を進めた。


 ところが、エレカン氏族は「四方不仲」とあだ名されるような、周囲の他氏族との折り合いが悪い氏族だ。

 エレカン氏族が親父との関係を深めれば深めるほど、他の氏族はドウラの排除に乗ってこないのだ。


 何度も何度も、ドウラの命令でヤゾカン氏族を訪ね、ヤゾカン氏族を味方に付けるフリをして、ドウラを排除する相談をいろいろな氏族と重ねていく。


 しかし、エレカン氏族が乗り気になればなるほど、他の氏族は及び腰になる。


 結局、エレカン氏族とヤゾカン氏族だけが親父と手を結んだ。






 それは三年がかりだったが、同じ期間に、ドウラは四つの氏族を傘下におき、氏族同盟を結成した。


 氏族の数では五対二だ。


 数では勝負にならないはずのところだが、こっちには辺境都市の協力があった。

 しかも、ロウェンという名の辺境都市の男は、つい最近、大森林でひどい目にあったというじゃないか。しかも、辺境都市を治める男爵の腹心だという。


 勢いづいた親父とおれは、エレカン氏族が立てた作戦を実行に移す。


 まずはセルカン氏族を挑発する。


 辺境都市の隊商と組んで、セルカン氏族の子どもを連れ去る。実際には連れ去ろうとして見つかり、セルカン氏族に攻撃された。


 辺境都市の隊商が助けを求めたので、エレカン氏族が助っ人に入り、セルカン氏族を打ちのめす。エレカン氏族は武力一辺倒で、とにかく強い。


 子どもは取り返されてしまったが、セルカン氏族にはたくさんの怪我人が出た。


 しかも、この後で争う理由もできた。


 氏族同盟の中で、ひとつだけスレイン川の北に位置するセルカン氏族は、同盟から孤立していると言えた。


 エレカン氏族も、ヤゾカン氏族も、スレイン川の北側に位置する。


 セルカン氏族との争いなら、二対一で優位に立てる。


 しかも、相手は数を減らした状態で、だ。


 全てが作戦通り、とまではいかなかったが、セルカン氏族をうまく痛めつけることができた。


 川の北側まで、ドウラにはどうすることもできないだろう。


 そう考えていたが・・・。


 ドウラは大森林から助けを借りて、セルカン氏族を助け、エレカン氏族とヤゾカン氏族の連合に立ち向かったのだ。大森林からは何人かやってきたのだが、その中には、久しぶりに会う妹のエイムもいた。


 おれと親父は、その戦いが始まる直前にドウラを裏切り、ドウラを窮地に陥れた・・・つもりだった。


 ・・・甘かったのだ。


 あいつの強さは知っていたのに。

 あいつの仲間である、大森林の連中が普通だなんて、なんで勘違いをしたのか。





  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る