第79話 女神に名前も覚えられていない男が恋をした場合(1)



 おれの名前はナイズ。


 ナイズと呼んでくれ。


 え?

 何者だって?


 そりや、あれだ、ほら、なんだ、その、あれだよ。


 大草原の代表だ。


 え?

 なんの代表だって?


 そりゃ、なんだ、その、あれだ、ほら、あれだよ。


 え?

 もてない男の代表?


 はあーっ?

 なんで、そんなこと言うんだよ?


 おれは、ナルカン氏族、族長ドウラの従兄弟で、ナイズだ。

 もてない男で悪かったな。






 おれには好きな女がいる。

 子どもの頃から、ずっと、だ。


 いつか、一緒になるかもしれない、そんな風に思ってた。


 でも、それは、そのはかない夢は破れた。

 ライムは他氏族へ嫁に出されたからな。


 もちろん、政略結婚だ。

 ライムが9歳の時だった。


 ライムはおれの従姉妹で、族長のドウラの双子の姉だ。

 おれたち三人は同い年だ。


 子どもの頃から、小さなころから、一緒に暮らし、一緒に育った。


 そして、ライムは嫁にいった。


 さみしかった。

 初恋だったんだ。


 今もまだ、本当は、吹っ切れてない。






 ライムは14歳で氏族のテントに戻った。

 子どもに恵まれなかったからだ。


 政略結婚で他氏族に嫁いで、子どもを産めずに戻された女を、出戻り女、と大草原では呼ぶ。


 そして、出戻り女とは。

 男たちの慰み者になるのが普通だ。


 なぜなら、そんな役立たずにできることは、男たちの性欲処理ぐらいだからだ。


 氏族のために他氏族の元に嫁いで、つながりを保つはずが、子をなすこともなく、氏族へ戻されたのだ。せめて、それくらいの役に立てよ、と。


 氏族内の男の多くは結婚ができない。


 族長には複数の妻がいる場合もあるのに、だ。族長の血筋が最優先だからな。


 族長から妻の一人を譲り受ける、なんてこともあるが、逆にそうでもなければ結婚する機会がない。うちもそうだった。

 親父が前の族長から妻の一人を譲り受けたから、おれたちが生まれた。


 その場合には、族長の力が周囲の他氏族に認められ、多くの政略結婚が行われる、という結果がないと、妻の一人を譲られることもない。


 だから、男たちのほとんどは結婚できずにいろいろと溜め込むし、その、男たちが溜め込むエネルギーをどこかで発散しなければならない。


 その対象として、出戻り女はちょうどいい存在なのだ。


 ところが、ライムは若くして跡を継いだ族長の双子の姉。

 その時点で、なかなか、出戻り女として軽々しく性欲をぶつけにくいところがあった。


 それでも、ライムに下品な言葉をかけたり、ライムに触れようとしたりする、氏族の男はいた。


 そんな男もいたのだ。

 でも、いなくなった。


 おれが、そういう連中を次から次へと叩きのめしたからだ。


 ライムをあんな連中の性欲処理になんか、させない。

 その結果として、ライムは、ごく普通の出戻り女とは違う状態になっていた。


 まあ、だからといって、おれはライムを口説いたりは、できなかったんだが。


 ・・・初恋の純情だよ。

 ・・・分かれよ、そういうのも、さ。いいだろ、別に。


 出戻り女になったって、おれにはライムが眩しかったんだよ。


 文句あるのか?

 え、ない?


 そりゃ、どうも。分かってもらえてよかったよ。






 ところが、あいつが来て、ナルカン氏族は変わっちまった。


 最初は、布を羊と交換しに来ただけだった。


 色川石を見せられて欲を出した親父が、族長のドウラにささやいて。

 おれたちはあいつを囲んだ。


 たった一人でやってきたあいつから、全てを奪うために。


 今思えば、あれが失敗だった。

 奪おうとしたから、奪われたんだよ、氏族の誇りを。


 おれたちは、銅剣を抜いて、取り囲んだ状態から襲い掛かった。

 でも、打ち倒されたのはおれたちの方だった。


 おれたちには、相手の強さをはかることなどできなかった。


 欲に流された結果だ。

 たった一人でここまで来るような奴が弱いはずがないのだ。


 そんなことも考えつかない愚か者だった。


 銅剣を奪われて、氏族は武力を大きく落とし、羊も奪われて食料が足りなくなることは明白だった。


 もし、時間を戻せるのなら、あの時の、あの場で、親父を止めるのに。


 あいつは、おれたちを殺さないように、手加減をして、それでもほぼ一瞬で、五人全員を打ち倒したんだ。元々勝てるはずもない相手だった。


 でも、だからこそ・・・。






 二度目にあいつが来た時。


 ニイムさまは、あいつを取り込まなければならない、とはっきり言った。

 それはつまり、女を差し出す、ということ。


 族長のドウラとニイムさまは、誰をあいつに差し出すかで、言い争った。


 おれは、意見する立場にないから黙っていたが、ニイムさまの言う通りになるように願っていた。


 なぜなら、ドウラが差し出そうとしたのは、ライムだったからだ。


 既に、前回の交渉で、あいつには、ドウラの妹のリイムや、おれの妹のエイムを差し出し、あいつは大森林に連れ帰っていた。


 さらに、生娘を差し出そうとするニイムさまに対して、他氏族との婚姻を結ぶことが難しくなる、とドウラは抵抗した。

 ニイムさまは、あいつのことを、それだけの価値がある男だ、と。でも、ドウラも譲らなかった。


 そして。

 おれは絶望した。


 ドウラの意見が通り、ライムがそれを受け入れたことで。


 これまで、いやらしい目でライムを見る男たちから守り続けてきたのに。

 ライムはあいつに汚されることに決まったのだ。






 おれたちの家族のテントの中で。


 おれの頭の中にはライムの見たことのない裸体がぐるぐると回る。

 こんなことなら、もっと早くに、ライムの手を握れば良かった。


 ドウラを恨んだ。

 ニイムさまにも不満を持った。


 そして、あいつは、殺してやりたい、そう思った。


 ある夜。


 気になって、気になって、どうしようもなくなったおれは。

 あいつとライムがともに過ごしているテントに近づいた。


 ・・・聞こえてきたのは、間違いなく、ライムの声。

 ・・・意味のある言葉ではない。

 ・・・でも、それがライムの声だと、おれには分かる。

 ・・・意味のない声。

 ・・・でも、あれは、助けを求める声なのだ。


 おれは、その時、本気でそう思ったんだ。





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