第26話 何をしても大森林では女神の力で済む場合(4)



 サーラが、アコンの村で、一生懸命に勉強をしていたのであれば、読めるはずだ。


 カタカナの音の並びは、日本語としての意味をなさない。


 これは南方諸部族語の発音をただ並べただけだ。


 南方諸部族語での意味は、『大牙虎、逃げろ』だ。


 スクリーンには、虹池の村から、猛スピードで大森林外縁部の草原を移動してくる赤い点滅があった。


 狙いは、アコンの村ではない。森の中には入ろうとしていない。


 トトザに頼まれてララザを助けた、というより、おれの都合としては、一応、サーラに危険を知らせてやろう、と思っただけなのだった。


 おれは花咲池の村に背を向けて、再び森の中のトトザのところを目指して走った。






 トトザは大人しく、そのままの場所で待っていた。


「マーナたちは、どうなりましたか」

「もう、安全なところにいる。待たせてあるから心配するな」


「いえ、ここ数日、ずっと森の中で、食べ物もなく、体が弱っています。マーナたちさえ無事なら、もう満足ですから」

「まあ、そのへんは気にするなよ」


 おれは、トトザを持ち上げて、肩に担ぐ。


 重いな。

 さっきのララザほどじゃないけれど。


 やはり成人男性は重い。


「森の人・・・」

「それ、もうやめてほしい。おれはオオバ。オオバでいいから」


「・・・オーバ」

「今から、マーナやケーナたちのところまで走る。揺れると思うけれど、我慢しろよ」


 そう言って、走り出す。


 重さで少し速度は落ちるものの、『高速長駆』で、約十二、三分も走って、梨の木の群生地にたどり着いた。


 おれは、肩の上のトトザをぽいっと投げたりせず、丁寧に、マーナの前に下ろした。


「トトザ・・・」

「マーナ・・・」

「お父さんっ・・・」


 ケーナたちも嬉しそうだ。


 いやあ、トトザが生きていて良かった。


 おれはジャンプして、高いところの梨をもぐ。

 そして、その梨をトトザに渡した。


「この前、渡した分は、ララザのせいで食べ損ねたらしいな。これは今食べるといい。美味しいぞ」

「オーバ・・・」

「この果物は、梨という。この辺には梨の木がたくさんあるから、ゆっくり食べたらいい」


 トトザも、マーナも、子どもたちも涙を流している。


 再会できて良かった。本当に良かった。そして、本当にぎりぎりだったかもしれない。マーナの決断がなく、村に残っていたとしたら。


 今日、この四人はなすすべもなく、噛み殺されて死んでいただろう。


 おれは、サーラのことを思う。


 出て行ったサーラに力を貸して、助けるつもりはない。

 ただ、サーラが気付き、考え、行動して、再び森に逃げたのなら。

 もう一度、助けようと思う。


 あとは、サーラの運次第。


 今日、大牙虎によって、花咲池の村は滅びる。おれは、それを防ごうとは思わない。


 ケーナが、泣きながら、ありがとう、ありがとう、とくり返して言う。


 まあ、これから、同じ村で生きる仲間になるんだから、これくらいはね。

 当然のこと、ですよ?


 知らない村のことは、知らない。そこまで責任は持てない。






 その日は、おれがトトザを右肩に担いで、下の妹のセーナを左腕に抱いて、歩いた。マーナはラーナの手を引いて、ケーナは列の一番後ろ、しんがりを歩いた。


 川を上流に向かって歩き、途中で、河原から見えるところに、木に結ばれたロープがあることを教えた。


「このロープをたどって行けば、おれたちの村、アコンの村にたどり着く。この森では、人間は道に迷う。だから、このロープのことは必ず覚えておくといい」


 ケーナは絶対に忘れません、という顔でしっかりとうなずいた。


 そして、ロープに沿って、どんどん森の奥へと進んで行く。


 途中、トマトの群生地にたどり着いて、休憩をはさんだ。

 おれはトマトをもいで、がぶりと食べる。

 えっ、食べられるの? という顔でマーナがおれを見た。

 おれはトマト推進委員会の会長だ。


 ひとつ、もいではマーナ、もうひとつもいではケーナに、というように、全員にトマトを渡していく。

 五人とも、トマトを口にした。


 無言だ。

 ノーリアクションだ。


 なんで梨とはちがうんだ。

 まあ、ちがうか。


 トマトよ、地道に頑張ろう。栄養は絶対にトマトの方が上なんだから。


 五人とも、もぐもぐと食べてはいる。

 でも、コメントはしない。


 何か言うと、悪いみたいな感じになっている。

 トマトの悪口は。


 やっぱり、新メンバーにも、トマト該当者はいないらしい。


 残念な気持ちになりながら、再びトトザ一家を促して、歩き始める。


 トトザはおれの肩の上、今度はラーナを左腕に抱いた。セーナはマーナが抱きかかえて歩いた。


 ケーナはしんがりではなく、おれの隣を歩いている。


 信頼度が高まったのだろう。


 おれは、あえて、ぶどうの群生地はスルーして歩き続け、竹林の手前で止まって、ここで野営することを告げた。


 薪を並べ、落ち葉を使い、火を起こす。


 土器にはイモと干し肉、ヨモギを入れて、七人分の材料で煮込む。


 パチパチ、という火がはじける音が、森の静寂を横切っていく。


「トトザ、マーナ。ここから動いてはダメだ。いいな」


 おれはそう言って、今歩いてきた方向へ戻った。


 おれの視界の右下隅にあるスクリーンには、花咲池の村の方角から森の奥へと動く、青い点滅が映っていた。





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