第115話 王国の巡察使は重要人物 畏れるは王国にあらず(3)



「ウル殿、いったい、何が・・・」

「ごめん、トゥリム。あれは止められないよねー。誰にも・・・」


「はい?」


 つい、変な声を出してしまった。


「シイナはウル殿の付き人のはずですが?」

「まあ、なんていうか、あの子はこう、昔っから布とか服とかにこだわりがありすぎてさー・・・」


 どこかあきらめたようなウル殿のつぶやき。


 しかし、なぜこの緊迫した状況で。


 スレイン王国の公爵を殴り倒して、スレイン王国の宰相を睨みつけているのが、成人前の下着姿の少女なのか。


 誰か、説明してくれないだろうか・・・。


 いや、スレイン王国では下着という考え方がないので麻の貫頭衣を脱げば何も身につけていないのが普通だ。

 シイナが大森林アコンの少女だから胸巻や腰巻を身につけているのであって、裸になっていない分はまだましなのかもしれない。

 そういう問題ではないとも言えるのだが・・・。


 私はウル殿からシイナへと視線を動かした。


 投げつけた貫頭衣を指差して、シイナは宰相に言う。


「見て、触れて、確かめるがいい。その証拠とかいう黒く汚れた服と、我らの服のちがいを!」


 少女の声には怒りが込められていた。「見て、触って、それでもその明らかなちがいが分からぬというのであれば、その目とその手を二度使えぬように潰してくれよう!」


 ・・・流暢なスレイン王国語で怒りを伝えるシイナなのだが、それはもう脅迫になってはいないだろうか?


 いや、脅迫だと思う。間違いない。


 宰相はシイナの鋭い視線に負けじと睨み返しながらも、言われた通り、シイナから投げつけられた貫頭衣を触り、その手触りを確認する。そして、表情を変える。


 それもそのはず。


 シイナが脱いで投げつけた貫頭衣は、スレイン王国で使われている麻の服でもなければ、王国南部の辺境伯領や大草原で使われている羊毛の服でもない。


 アコンで作られたネアコンイモの蔓からとれる糸で織られた貫頭衣なのだ。


 輝きにも似た穢れなき純白。

 それでいて優しく滑る手触り。

 さらには何年も着回せる耐久性。


 初めて目にする宰相であっても。いや、初めて目にする宰相だからこそ。


 そのちがいが分からないはずがない。


 ・・・たとえそれが辺境都市アルフィで作られていなかったとしても、その点については宰相に分かるはずがない。


 もっと言えば、シャンザ公が用意した証拠はまさに辺境都市アルフィで作っている物なのかもしれないのだが、今この瞬間の驚きを利用してシャンザ公が出した証拠を偽りだと認めさせてしまえばいい。


「色・・・」


 シイナがゆっくりと一歩、宰相へと踏み出す。


「手触り・・・」


 さらにもう一歩、シイナが迫る。


「たて糸の数・・・」


 三歩で、シイナは宰相の目の前に立つ。


 ガツンっっ!


 シイナが戦棒で謁見の間の床を叩いた。


「そこに倒れている愚かな男が本物の価値も知らぬままに高級だと偉そうに言った証拠とかいう汚れた布と我らの服が同じだと言うのなら、そのまま死ぬがいい」


 宰相が目を見開き・・・。


 シイナがぶるんと戦棒を振るった。


 キーン!


 高い音がして、シイナの振るった戦棒が、センリの戦棒によって受け止められた。


「センリ。止めないでくれる?」

「やりすぎよ、シイナ。それに、このおじさん、まだ何も答えてないじゃない」

「う・・・」


 ・・・センリ、よく止めてくれました。


 シャンザ公に続いて、宰相まで殴り倒されるところだった。


 ふぅと私は息を吐いた。


「・・・安心してる場合じゃなくて、今のうちに割り込まないとあの子、もっかいやるよ?」


 ウル殿が私にそうささやく。


 ・・・それは困る。


 この状況をいかしてシャンザ公の出した証拠を否定しないと。


 私は王座へと近づいて、宰相へ声をかける。


「宰相殿。シャンザ公が出した証拠は、これでも証拠と言えますか?」

「む・・・」


 宰相が私を見下ろすように視線を向ける。


 私が話しかけながら近づいたので、シイナとセンリが戦棒を下ろして少し身を引く。


「珍しく表情に出ておりましたが?」


「・・・あまりにも驚いたのでな。このような素晴らしい布があるのか、と」


 宰相の言葉に対するシイナの反応が気になるところだが、目をそらすわけにもいかず。


「シャンザ公には本物は用意できなかったようですね」


 ・・・ここで、本物は、と言い切ってしまう。


 シイナが投げつけた貫頭衣が辺境の聖女が着ている服の本物で、シャンザ公が出した羊毛の服は偽物なのだ。そういうことにする。


 シイナが怒りで先走ってしまったが、このまま押し通せばいい。


「・・・シャンザ公が偽りの証拠を用意した、というのか?」

「その通りです。辺境の聖女を知らないシャンザ公が噂だけで用意した証拠など、証拠になりません。さらに言えば・・・」


「・・・証拠にならない偽りの証拠を用意している時点で、陛下を暗殺した者は明らかだと言いたいのであろう?」

「それに加えて、そのような者に迎合し、味方する者は宰相にふさわしくないと・・・そこも含めてここではっきりさせようか」


 私は宰相に対して丁寧な言葉をやめた。

 私の変貌に宰相が目を細める。


「巡察使よ、その方・・・」


 宰相が私に向かって何か言おうとしたとき、ばたばたと足音を立てて、数人の係官が謁見の間に駆け込んできた。


「宰相さま! 南門が、南門が破壊され・・・」

「すでに王宮にまで、敵兵が多数侵入しております!」

「北門から兵士も、民も、逃げ出しておると報告が!」


 口々に係官が報告する。


「何を今さら・・・」


 宰相が吐き捨てるように言う。


 ・・・もうすでにウル殿と付き人の二人が壁に大穴をあけて謁見の間に侵入し、しかも謁見の間の中を完全に制圧した後だ。


 おそらく、王宮の外、王都はすでに辺境伯軍の影響下にあるのだろう。


「宰相さま、どうすれば・・・?」

「このままでは王宮もおちます!」


 ちっ、と宰相が舌打ちする。


「そなたらは逃げればよかろう」

「逃げても殺されるだけです」

「残っても同じことではないか」

「宰相さま?」


「スレイン王国の命運は尽きた。王国を救う英雄と見た公爵は陛下暗殺の主犯であった。辺境の聖女によってシャンザ公の示した証拠は覆された。王家には成人した子がおらぬ。曾孫として王家の血を継ぐシャンザ公なればと思っておったが、逆賊を王とする道はない。生き残る可能性は逃げる方が高い。早く行け」


「辺境伯が来ても宰相さまは守られるではないですか? 我々も宰相さまのお力で・・・」


「まだ分からぬか? 王国は滅ぶ。もはや宰相という地位に何の力もない。逃げ延びるのが嫌だというのなら、自害するがよい」

「王国が、滅ぶ、ですと?」

「そんなことがあるはずがない」


「・・・辺境伯領と王都では差があると知った今だから分かるのだ。もはや誰も王家を守ろうとはするまいよ」


 そう言った宰相は、係官たちに話すというよりも自分自身が納得するためにつぶやいているように見えた。


 さらに大きな足音とともに、何人もの兵士が謁見の間に乗り込んできた。


 先頭には見覚えのある二人の姿。

 辺境伯領のスィフトゥ男爵とユゥリン男爵だ。


 宰相はほんの少しそちらを見ただけで特に動揺したようすもない。


 係官たちは悲鳴をあげて宰相の影へと逃げた。

 なんとも情けない姿だ。


「王都は落ちた。王宮もまもなく占拠される。これ以上の抵抗は無意味だ。降伏し、投降するがいい」


 スィフトゥ男爵がよく通る声ではっきりとそう言った。

 宰相がスィフトゥ男爵へと向き直る。


「辺境伯の手の者よ。簒奪という大罪をなす者よ。王国を滅ぼすのなら滅ぼせばよい。降伏を求めず、全てを殺し、全てを奪うがよい。すでに王はなく、あとを継ぐ者もない。我らを殺し、この地を奪え。そして、大罪を背負っていくがいい」


 宰相は堂々とスィフトゥ男爵を見つめて、王座の一段下から見下ろしている。


 係官たちは互いに視線をかわしながら、這うようにスィフトゥ男爵のもとに進み、救いを求めた。男爵に命じられた兵士たちが次々に係官を捕縛していく。


 スィフトゥ男爵とユゥリン男爵が私のすぐ後ろまで来る。


「トゥリム殿」

「あの方は、宰相さまで?」


 それを見た宰相が今度は私に向き直る。


「巡察使よ、北と南と、両方に通じていたか。そこまで手を伸ばしていたとはな。どうだ、王国を滅ぼす者となった気分は?」


 開き直ったのか、それとも最後のあがきか。

 苛立ちをぶつけるように宰相が言う。


 支えるべき王を殺され、守るべき王国を守れず。

 八つ当たりか。


 情けない。


「王国は滅びたりはしない」


 私はそう言って、前へ進む。


 王座のあるところへと。

 一段、一段、のぼっていく。


「ハナさまの預言が外れるはずがないだろう? そんなことも分からん宰相だとは情けない」


 宰相と同じ高さに立ち、そう言い放つ。そのまま、宰相の手にあったシイナの服を奪い取り、シイナの方へとさっと投げ渡す。いつまでも下着姿のままでいさせたくない。


「巫女長殿の預言だと?」


 宰相が間近で私を睨みながら、嘲るように笑う。「最後の預言はどうやら外れたらしい」


 かちんとくる笑いだ。

 だがそれには応じない。ただ冷たい視線を向ける。


「辺境伯軍は内乱をおさめ、国王を暗殺したシャンザ公の軍勢を打ち破り、王都を取り戻した。そして、王家を支える。全て、ハナさまの預言通りだ」


 私はそう言うと、さらに一段、宰相の上へとのぼる。


「巡察使トゥリムよ、そこに立つ意味が分からぬか? それともそなたが簒奪者か?」


 私は王座の前に立って、そこで宰相を振り返る。


「ランファの離宮・・・」


 私がそう言うと、宰相がほんの少しだけ目を細めた。そのまま私は言葉を続ける。


「最高神殿の美しき華と呼ばれた優しき巫女はそこで手折られた」


「・・・なぜ、今、そのことを」

「我が母、巫女カリンは昨年辺境伯領で亡くなった。旧知の仲だと聞いたが?」

「あ・・・」


 宰相の眉が下がり、目におそれが浮かぶ。手が震えている。


「そんな、まさか・・・」


 ・・・宰相は知っている。


 ハナさまが守り、王位につけ、そしてシャンザ公に暗殺された国王ではなく、その父。ハナさまの預言を偽り、利用し、王国を乱した前の王のことを。

 そして、前の王がランファの離宮に最高神殿の美しい巫女を呼び出し、穢したことを。


 この宰相は知っているのだ。


 リエンとシエンがオーバ殿に届けた木板に、ハナさまが炭で書いた文字で伝えられた私の出生の秘密とオーバ殿への依頼。


 自分の出生の秘密も、ハナさまが文字を知っていたことも、オーバ殿に教えられるまで私は知らなかったが・・・。


「ハナさまは私を神殿騎士ではなく、巡察使にした。王国の中をどこまでも、隅々まで見ておくようにと。今なら、ハナさまがそうなさった理由がよく分かる」

「まさか、本当に・・・」


「王家は途絶えない。そして、王国も滅びない。なぜなら・・・」


 私は王座に触れる。そして、宰相ではなく謁見の間、全体を振り返った。


 視界の端で、宰相がその場に膝をつくのが見えた。


「前の王の血をひく、私が新たな王となるからだ」


 ゆっくりと。

 そして、はっきりと。


 私はこの謁見の間にいる者たちに聞こえるようにそう言った。


 それは、私自身に言って聞かせるためでもあった。


 こうして私は王としての一歩を踏み出したのだった。





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