第115話 王国の巡察使は重要人物 畏れるは王国にあらず(1)
その瞬間の私は隙だらけであったと自覚している。
いつ刺し殺され、斬り殺されてもおかしくなかった。
それでも私は生きていたし、誰にも手出しをされなかった。
口と腹部から大量の血を流すジッド殿を抱きかかえた私は、その異常なほど大きな破壊音がすぐ近くで衝撃をともなって聞こえたことに気づかなかった。
謁見の間では、全ての動きが停止していた。
それほどの異常事態。
その異常さに気づいて振り返ると、謁見の間の壁に、大きな穴があいていた。
ありえない光景に、シャンザ公の精鋭たちも誰ひとりとして動けない。
そこから・・・。
光があふれて・・・。
私とジッド殿がその光に包まれ・・・。
謁見の間全体がその光の輝きに色を失う。
「・・・間に合ったというべきかー、間に合わなかったというべきかー・・・とりあえずー、どういう状況なの、トゥリム~?」
眩しい光が消えてすぐ、私は名前を呼ばれて振り返った。
「・・・う、ウル、ど、の?」
そこには自身の背丈とそれほど変わらない大きさの巨大な戦鎚をかついだ美しい少女が立っていた。その美しさとまったく似合わない戦鎚。ありえない姿だ。ありえないのだが・・・。
壁の穴から、さらに二人、ウル殿よりも小さい少女が姿を見せた。
「いやー、この建物、けっこー大きくてさー。道がよく分からないもんだから、とーりあえず女神さまの戦鎚でとにかく壁壊して直進してきたんだけどー、そのジッドのようすじゃ、ぎりぎり間に合った、でいいのかなあ~?」
「も、もしや、さっきの光は・・・」
「もちろん」
私は腕の中のジッド殿を見る。
血を吐いているものの、息はある。
腹部からの出血は止まっているようだ。やはりさっきの光は神聖魔法の治癒の光。
「それよりもー、どいつが敵?」
「・・・そこの、顔色の悪い男がヤオリィンと言います。それ以外はすべて、敵です」
「顔色・・・悪くないの、ひとりもいない気もするけど。ま、いっか。シイナ、センリ。ひとりも逃がさないでねー」
「はい、ウルさま」
「お任せを」
ウル殿にそう返事して動き出す少女たち。
それを見て私は呆然とする。
知ってはいた。
知ってはいたが・・・。
この二人の少女の動きは、さっきの手練れ、巡察使のエンヤとノールよりもはるかに速いのだ!
いや、アコンでの手合わせなら私も何度も負けたことがあるので、知ってはいたのだ・・・。
二人の少女は棒術を用いて、一瞬で敵兵を無力化していく。
一瞬で?
棒術で?
嘘だろう?
あの、棒は、まさか・・・。
「・・・う、ウル殿、あの棒は、あの、オーバ殿の?」
「心配しないで、女神さまの許可は得てるから大丈夫だって。この戦鎚もね」
・・・かつて、一度だけ見た。
大草原で、オーバ殿とともに辺境伯の軍勢を迎え撃ったとき。
オーバ殿が辺境伯の兵士たちを打ち倒していた、女神さまから授かったという戦棒。
触れただけで人を気絶させるほどの女神さまの力が込められているらしい。
あんな棒が二本もあったのか?
そして、あとは宰相とシャンザ公を残すのみ・・・。
「・・・っっ! い、いかん! シイナ! センリ! その二人には手を出さないでくれっっ!」
「はいっ?」
そう言いながら振り返るシイナ。
シイナの戦棒の先はシャンザ公のアゴまであとわずか、というところまで届いて、止まった。
・・・どうやらぎりぎり間に合ったらしい。
センリも宰相に戦棒を突き付けたまま動きをとめた。
「トゥリムさん? この二人は味方なのです?」
「い、いや、味方ではない。味方ではないが、スレイン王国では、その二人に攻撃してはならないと決められている」
「味方ではない?」
「でも、攻撃できない?」
「「変なの」」
・・・さすがはウル殿の付き人、と言うべきか。
その間に、ウル殿は、ジッド殿に口に残った血を吐かせて、水を飲ませていた。
「ちょっと、ジッド、大丈夫?」
「・・・ふう・・・いや、大丈夫じゃないな。もうちょっとで死ぬところだった・・・というか、死を覚悟して臨んだんだがな」
「まったく。オーバから死ねと命じられたわけじゃないでしょ? 何やってんのよ、もう?」
「すまん・・・だが、それくらいぎりぎりの相手だったんだ。ま、ウルには分からんか・・・」
服が血だらけになったジッド殿がゆっくりと体を起こす。
・・・本当によかった。
ジッド殿の命と引き換えにした勝利など・・・。
「『王国では』という意味の言葉を言ったか?」
強い口調で、私に向けて発言したのは、宰相だった。
宰相がセンリに戦棒を突き付けられているという体勢にあることは変化していない。
それでも、口を動かすことはできる。
「外の力を借りたか、巡察使トゥリムよ?」
私をまっすぐに見て、宰相がそう言った。
そう。
私と宰相は別に初対面ではない。
ただ、それほど頻繁に顔を合わせていたわけでもない。
だから、さっきの戦いでの、エンヤとのやりとりで思い出したのだろう。
そして、言葉。
ウル殿たちの大森林の言葉。宰相やシャンザ公には分からないはずの言葉。
ただし、似通った音になっているものもある。ジッド殿は大森林と大草原の言葉がどちらでも分かるし、そのせいか、スレイン王国の言葉も少し理解できている。
宰相もそういう感じで、大森林の言葉の一部をとらえることができたのだろう。
それが、外の力、という読みにつながる。
さすがは王家の師父を務め、宰相となった者だ。
「これほどの強さ・・・見たこともない。神殿騎士どもすら相手になるまい。巡察使トゥリムよ、そなた自身も以前より・・・」
「宰相殿、あれは、知った者か?」
シャンザ公が割って入る。「巡察使、なのか?」
「そうだ。巡察使の一人。王都でも最強の使い手とされていた男。その力量は神殿騎士や巫女騎士にも並ぶと言われ・・・」
「巡察使がなぜ、カイエン候と?」
「・・・それは・・・、なぜだ、トゥリム?」
宰相とシャンザ公が私に視線を向ける。
私はその視線を無視して、カイエン候のもとへ移動した。
護衛のうち、二人はまだ息がある。
しかし、カイエン候はすでに・・・。
「ウル殿、この二人にも癒しの光をお願いできますか?」
「いいけど? あっちはいいの?」
「あの話は長くなりそうですから、こっちが優先です」
そう言うと、ウル殿はうなずいて、二人を光で包む。
その光の輝きに、宰相とシャンザ公が目を見開く。
「ま、まさか・・・」
「これが、伝説の、神聖魔法だというのか・・・」
「・・・辺境の、聖女、なのか?」
シャンザ公のつぶやきが聞こえた。
・・・完全に誤解したらしい。
まあ、辺境の聖女の噂しか知らなければ、神聖魔法の光を見て勘違いするのも仕方がない。
護衛の二人の治療を終えたウル殿が私に顔を向ける。
「あっちの二人、あたしのことをさー、キュウエンだと思ってるみたいなんだけど?」
「そのまま誤解させておいてもよいでしょうか?」
「なんで? ま、いいけどー。女神さまからはできるだけ早くスレイン王国の内戦を終わらせろ、と言われてるからね? 早く、ね?」
ええ、急いで、最後を迎えましょう。
カイエン候殺害に手を貸した今、シャンザ公だけでなく宰相もすでに、敵、ですから。
宰相やシャンザ公だけでなく、ウル殿の神聖魔法を見て、顔色がさらに悪くなったのは軍師ヤオリィンも同じだった。
あの表情から考えられることは、軍師ヤオリィンはすでに神聖魔法を見たことがある・・・いや、オーバ殿の話からすると、その身で受けたことがあるはず。
それであの表情ということは、ここにオーバ殿の味方が現れたことに対する恐怖、だろうか?
いや、恐怖ではないかもしれない。畏怖と言った方がいいのかもしれない。
オーバ殿はいったいヤオリィンに何をしたのやら。
軍師ヤオリィンが私に近づいて、何か話しかけようとしたが、私はそれを手で制した。
ジッド殿は身振り手振りで、ウル殿の治療を受けた二人の護衛を動かし、倒れているシャンザ公の精鋭たちから武器を奪っていた。
それを見てさすがだなと思いつつ、私はシイナとセンリに牽制されて動けなくなった宰相とシャンザ公に向き直る。
ウル殿は私の斜め後ろに控えている。
ウル殿とその付き人二人は、スレイン王国の言葉が分かる。それでいて、この場では大森林の言葉を使っているのだから、実に優秀だ。
「カイエン候の殺害、その企み、もうごまかせないことです。シャンザ公は王家の裁定を受け、その爵位を失うことでしょう。そして、宰相もまた同じ。シャンザ公の兵士ではカイエン候の殺害が難しいとみるや、巡察使の中でも手練れの二人を動かし、カイエン候を殺害しました。これはシャンザ公と手を組み、王家を乗っ取る行いに他ならない。宰相もその地位にあるべきではないでしょう」
「馬鹿な」
シャンザ公が愚かな一言を吐く。「ただの官吏が何を偉そうに」
「いや、ただの官吏ではない、公よ。あれは巡察使である」
宰相は正しく巡察使を知る者である。
だから、今の私の言葉が越権行為を含むことにも通じている。
「巡察使にはその訪れた地において諸侯の横暴や謀反に気づいた場合、王家の勅使として諸侯を専断することが認められている。実際にそこまですることはほとんどないが、の。しかし、巡察使トゥリムよ、今の話ではカイエン候殺害におけるシャンザ公の扱いについては、いくら高位とはいえ諸侯の一人であるからしてまだしも、王家の宰相たる者を専断することまでは巡察使には認められてはおらんぞ」
王国の各地を巡り、王の、王家の耳目として動く巡察使。
巡察使には、各地の諸侯を内偵し、裁くことさえ認められている。
実際に巡察使が諸侯を裁くことはかなり難しいが、かつて辺境都市と辺境伯がもめたとき、スィフトゥ男爵やその娘である聖女キュウエン殿は巡察使がもつその力に頼ろうとしたこともあった。
だが、巡察使の権力は、王都の宮廷貴族には及ばない。巡察使は王都ではただの報告者である。
そもそも・・・。
「宰相が、瑕疵ある諸侯を討つことには何も問題はないはずだが?」
そう。
王都の宮廷貴族の頂点である宰相が、諸侯を討ったからといってとがめられることではないのだ。
カイエン候に瑕疵があれば。
そして、瑕疵など。
シャンザ公がやったように、いくらでも創り出すことができるのだ。
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