第114話 王国の巡察使は重要人物 内乱の終焉(1)
オーバ殿からハナさまの遺言を教えられたのは、一年くらい前のこと。
その時に初めて、自分の出生について知った。
孤児ではないのに、なぜ神殿の孤児院で育てられたのかも、その時、理解した。
いつまでもずっとただのトゥリムでいたかった。
そう思わない日はない。
オーバ殿を追いかけ、アコンで暮らすようになって。
そこでの暮らしは、それまでの全てを変えてしまう、楽園の生活だった。
このままここで生きていてはいけないのか。
そう口にしようと何度も思った。
だが、ハナさまの遺言が私を縛る。
王位につき、スレイン王国に安定を。
その一言が、私を縛る。
オーバ殿が全面的に協力すると言ってくださったから。
何の保証もないスレイン王国の王座をめざす。
そう。
王国においては、何の保証もない。
しかし。
私の知る限り、最高で最大の保証を受けている。
オーバ殿の協力。
これ以上の保証はない、と言える。
大森林の覇王。神樹アコンの森の主。
いや、もはやスレイン王国も含めた地上の覇王だとも言える。
大草原の氏族たちも実質的には支配下にあるようなものだし、辺境都市アルフィをはじめとする辺境伯領での有力者たちへの影響力も強い。
もし私がスレイン王国の王となったとしても、オーバ殿に逆らうことはあり得ないだろう。
・・・あれほどの影響力を保ちながらも、表にはあまり出ていないのがオーバ殿のもっとも怖ろしいところなのだと私は思う。
オーバ殿が立てた綿密な計画に従って、いくつかの戦いを勝ち抜き、辺境伯軍は王都へと突き進む。
私はジッド殿を護衛・・・というか、より正確に言えば人生経験豊かな相談役として、北の野心家カイエン候の軍勢に身をおいて、王都をめざす。
カイエン候はすでにリィブン平原で降して、今のところ、それほど問題はない。
噂の天才軍師は、噂通りの天才ぶりを発揮し、あっという間に王都へと軍勢を進めていく。
毎日、ジッド殿との手合わせで汗を流しながら、カイエン候の賓客としてその進軍に同行している。
北のカイエン候は野心の男。
地味が悪く、麦の取れ高の低い北方で軍備を整え、勢力を伸ばそうとしてきた男。
侯爵でなければ、慕う者などいない、その程度の男。
しかし、軍師ヤオリィンを得て、北方の雄となり、策を弄して王国を混乱に陥れた。
そのカイエン候と軍師ヤオリィンは、既に離間の策にはまっている。
オーバ殿によって。
・・・そもそも、軍師ヤオリィンは母と妹を人質にとられ、カイエン候に仕えていた。これは、特に珍しいことではなく、多くの諸侯は配下に対してそういうことをしている。
オーバ殿は夜盗に襲われて殺されたように見せかけて軍師ヤオリィンの母と妹を保護して、面識のある軍師ヤオリィンを脅迫した。人質にとって、と言えなくもないが・・・。
軍師ヤオリィンはオーバ殿との取引に応じて陥落させたいくつかの町から撤退して軍を北方に退き、母と妹の身柄を確保した。オーバ殿によると家族想いの男らしい。
すでにカイエン候の軍勢は軍師ヤオリィンの指揮下にある者たちで埋め尽くされ、その他の有力なカイエン候の配下たちは辺境伯軍の捕虜となっている。
カイエン候は軍師ヤオリィンを頼るしかないが、人質であった軍師ヤオリィンの母と妹は夜盗に襲われて殺された。
カイエン候は大切に守るべき人質を守れなかった主君、という立ち位置だ。
軍師ヤオリィンはカイエン候に表面上は従いつつも、世間に広まるカイエン候の評判を操作しながら、自身の価値を確実に高めている。
指揮するのが軍師ヤオリィンでなければカイエン候の軍勢は王都への道を進めなかっただろう。
時には高まったり、時には下がったりする自身の評判にカイエン候はまんまと操られ、踊らされて、王都に近づくほど、その評判は次第に下降している。北方では評判が高まり、王都近辺では下がっている。
軍師ヤオリィンの最終的な狙いはよく分からないが、何かを企んでいるのは間違いない。
こういうことを私やジッド殿に対して、辺境伯軍の狙いを崩されてしまうのではないかというあせりを感じさせながらやりとげるのだから、なんとも怖ろしい男だ。
オーバ殿が王国にいない今、軍師ヤオリィンがどこまでこちらに寄っているのかが分からない。
ジッド殿と二人でカイエン候の軍勢にいるので、絶対に油断ができない。
ただ、油断ならない相手だからこそ、味方にほしい。
この内乱後の王国にほしい男だ。
王都の外壁が遠くに見えた。
まだ遠いが、外壁上に兵士の動きが見える。
私の隣にはカイエン候がいた。
「・・・本当に、大丈夫なのか?」
「問題ありません。辺境伯軍は約束通り動くでしょう」
カイエン候の表情は分かりやすい。
こっちの言葉を信じていないが、信じるしかない、という顔だ。
自身が上に立ち、下の者を命じて動かすことに慣れ、表情を取り繕ったり、偽ったりすることを身につける必要がなかったのだろう。
・・・この表情が演技だとしたら、大した人物なのだが。
まあ、不安になるのも分かる。
リィブン平原では辺境伯軍によって自軍を壊滅させられ、捕らわれたのだ。
「王都の外壁からは距離をとり、回り込んで南側へと進めばいいでしょう。そうすれば、辺境伯軍は一度軍を退きます」
「・・・そうならなかった場合、そなたたちの命は保障できんぞ?」
「どうぞお好きに」
殺せるものなら、殺してみればいい。
ジッド殿と二人でいくらでも逃げ延びることなど可能だ。
カイエン候が後ろを振り返ると、軍師ヤオリィンがうなずく。そのままヤオリィンはカイエン候から離れて軍を動かし始める。
輜重とその守備の兵を残し、とにかく兵士たちを身軽にしていく。
装備は小盾と銅剣か木剣。槍や弓矢は持たせない。
全員に銅剣が足りないところが、北方の地の苦しさにも見える。
だが、そうして動き出した軍は速い。
・・・辺境伯軍が逃げる時間がなくなるのではないか、というほどに。
王都の北壁の上には兵士たちが集まってきていたが、カイエン候の軍勢は北壁には近づかず、東へと回り込んでいく。
カイエン候の動きに合わせて、王都の北壁の上に集まった兵士たちも、東壁へと移動していく。
外壁の上の王都の守備兵からは戸惑いが読み取れる。
矢を射かけたくとも、届かない位置を相手が回り込んでいくというのもあるが、今、辺境伯軍によって攻められているはずの南壁と同時に北壁を攻められたら兵力を二分しなければならないはずなのだが、カイエン候の軍勢の動きは明らかにおかしい。
シャンザ公の軍は辺境伯軍によってすでに大きく兵数を減らしている。兵力を二分したくはないだろう。北壁に現れた軍勢は、王都を攻めずに外壁を回り込むだけだ。
そのうちに、援軍、援軍、という言葉が外壁の上から聞こえ出した。
敵ではない、という理解にたどりついたらしい。
外壁の上から喚声が響く。
東壁を回り込んだ私たちに、南壁を攻める辺境伯軍が見えた。
さあ、突撃して辺境伯軍を追い払う・・・ところなのだが・・・。
「待て! 待て! 止めろ! 軍を止めろっっ!」
カイエン候の大きな叫びに、北の軍勢の足が速度を失う。
・・・諸侯として人を従わせるだけの声の大きさはあるらしい。
カイエン候の視線の先では、辺境伯軍が王都の南壁を攻撃していた。
・・・見たこともない新兵器で。
「あれか、オーバが言ってたのは」
私のすぐ隣でそう言ったのはジッド殿だ。
大森林、アコンの長老。大草原では知らぬ者のない剣士。
私の護衛で、相談役でもある。
「そのようですね」
「びびって軍を止めたか、カイエン候は?」
情けない領主だな、とでも言いたそうなジッド殿。
その気持ちはよく分かる。
分かりますとも。
しかし、しかしだ・・・。
「・・・それでちょうどよかったのかもしれません。この軍の動きは速すぎる。あのまま突撃されては約束通りアイラたちが逃げるにしても、双方に被害が出たでしょう」
辺境伯軍は投石で王都の外壁を攻撃していた。
外壁からの弓矢が届かない距離から。
人が投げるのなら、決して届かないだろう位置から。
人が投げるには無理がある大きさの石を。
それも、複数、同時に。
外壁の上の王都の兵士たちは、ひたすら盾を構えて耐えていた。それでも弾き飛ばされ、倒れては外壁から落とされている。
オーバ殿の依頼で、辺境都市アルフィのイズタが造った、投石機という、新兵器。
三角に組まれた木材の土台を二つ合わせるように並べ、一本の長い竹が中央にはさまれている。
その竹の一方には何本ものネアコンイモの芋づるで作ったロープが結ばれて、はしご付きの台がすぐ近くに置かれている。
ロープが結ばれているのと反対側には、こちらもネアコンイモの芋づるで作った頑丈な編みカゴが取り付けられている。
辺境伯軍の兵士たちが編みカゴの中に二十くらいの大きな石を入れて、手を上げて合図を出す。
反対側のはしご付きの台にのぼった七、八人の兵士がロープを掴んで同時に台から飛び降りる。
兵士たちの重みで、竹の一方が一気に下がっていく。
三角に組まれた木材の土台の頂点で支えられた竹は、大きくしなりながら、たくさんの大きな石をのせた編みカゴを高く振り上げていく。
ほぼ直立した竹は、最後にそのしなりによって、編みカゴの中の大量の石を王都へと向けて放つ。
放たれた石の速さは、人間が投げるものとは比べものにならない。
外壁の上の守備兵が盾ごとふっとばされて壁内へと落ちていく。
盾が粉々になり、血を流しながらその場に倒れた守備兵もいる。
あの石の大きさと、あの速さ。
ここからでは見えないが、壁内でも大きな被害を与えているに違いない。
そんな投石機が五つも並べられている。
「・・・オーバが、攻城戦も問題ないって言うはずだな」
「ええ。いったいどれだけ、こういうとんでもないものを隠しているのでしょうね、オーバ殿は・・・」
思わず軍を止めたカイエン候を笑えるものがいるだろうか?
五台の投石機から、絶えず石が王都へと発射されている。
こちらに真っ赤な顔を向けたカイエン候が走ってきた。
「本当に、本当に辺境伯軍はっ・・・」
「声が大きいでしょう、カイエン候。それ以上は何も言わずに。私を信じてください」
「し、しかし、あんなものでこっちを狙われたら、ひとたまりもないぞ?」
・・・それはその通りだ。
あれをこっちに向けられるのは私も嫌だ。
怖ろしくて考えたくもない。
「・・・このまま辺境伯軍とともに、王都を攻めた方がいいのではないか? どのみち裏でつながっておったのだ。変わりはあるまい?」
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