第113話 老いた天才剣士は重要人物 最後の手合わせ
カイエン候の軍勢からおれたちにはいっさい情報が入らなかった、辺境伯軍や王都のシャンザ公の動きが少しだけ分かった。
トゥリムがこの町の住人と直接話して得た情報だ。
この町の住人に伝わった噂、という程度の情報ではあるが、今のところ、おれたちにはそれを信じるくらいしかできない。
一つ、王の暗殺を命じた辺境の聖女をかばう辺境伯軍を討つと宣言し、シャンザ公は三千の兵を率いて王都を出陣した。
二つ、シャンザ公の軍勢は、見たこともない猛獣に乗った辺境伯軍に敗れ、多くの死傷者や捕虜を出した。(馬を猛獣というのは、少しだけ理解できる部分もある。大草原でも野生の馬は猛獣だ。)
三つ、辺境伯軍は王都へと進軍しながら途中の町を戦わずに降伏させている。
・・・とまあ、とりあえずアイラやノイハは勝ったらしい。二人が無事かどうかまでは分からないが辺境伯軍が勝ったという噂をわざわざ流すこともないはずなので、勝ったのは事実だろう。ここでシャンザ公を破るのは予定通りだ。うまくいってよかった。
オーバと組んだ予定では、このあとアイラたちの方が先に王都を攻めているはずなのだが、どうやら捕虜に関することであっちも進軍に遅れが出ているのではないだろうか。
王都までの距離はアイラたちの方が近い。動き出しも向こうが先だった。
だが、カイエン候の軍勢も、ヤオリィンの策で次々と途中の町を通過して、どんどん王都に近づいている。おれたちが先に王都に着くと、オーバと話した予定が狂う。
そうなったら、大きな変更が必要になるかもしれない。
何か、手を打つことはできないだろうか・・・。
・・・と、そんな心配をしていたこともあったな、などと口には出さずに心で思う。
結論から言えば、カイエン候の軍勢の進軍は少しずつ遅れた。
それは、次の町の領主も、その次の町の領主も、門を閉じてカイエン候の軍勢を通さないと言い、その場で攻城戦が始まったからだ。
とことん、カイエン候というのは信用されていないらしい。いったい、王国内の諸侯からどんな風に思われているんだろうか。
ただし、攻城戦そのものは、ヤオリィンによって巧みに進められ、外壁の上へと次々に兵士たちが登り、外壁の上を制圧したら門内の敵に矢を射かけて数を減らし、門を開いて兵士たちを突入させて町の領主を降伏させた。
ヤオリィンはずいぶんと簡単に町を落とす。こいつが本気になったら、いつでも内戦を終わらせられたんじゃないかと思ってしまうほどだ。
トゥリムによると一日で町を落とすというのは驚くほど速いらしいが、それでもそのまま通過させてもらうよりもさまざまな交渉の時間を合わせて一日分以上の遅れが出る。
その遅れは、おれたちにとっては救いだった。
三つ目の抵抗した町の領主を降伏させて交渉している間に、トゥリムが集めた情報によると、すでにアイラたちは王都で攻城戦を開始したらしい。
おれたちが王都に行くまで、途中にあと一つ町があり、そのまま通過できたとしても王都まで五日か六日はかかる。そこでも戦えば七日くらいはかかる。
これで、予定通りの動きで済む。
すべてはカイエン候のおかげだ。ちがった意味で感謝したいと思う。
・・・ちなみに、王都までの最後の町の領主も、カイエン候を信用せずに門を閉じて抵抗し、ヤオリィンによって一日で降伏させられたのだった。
体の中心に木剣をかまえて、切っ先をトゥリムの胸の位置へ合わせる。左足を少しだけ引いて半身になっている。対面するトゥリムも同じ姿勢だ。
・・・すでに何合も木剣を打ち合わせたあとだが。
ただ相手を見るともなく、見る。
相手のどこかを見るのではなく、ぼんやりと全体を見る。
トゥリムの右肩が動くが木剣は動かないので、あれは揺さぶりだ。釣られないように。
ただ、こうしてにらみ合っていても次はない。
素直にまっすぐ、飛んだり、しゃがんだりせず、体の上下動を最小限にして腰から前へ。
真上に振り上げた木剣を真下へ振り下ろす。
トゥリムは避けずに木剣を横にして受け止め、そのままおれの左横へと足を運びつつ、右上に振り上げた木剣を左下へと斜めに振り下ろす。
おれはその木剣を受けずに、さっきの勢いのまま、前へかわして体の向きを反転させる。
二人の立ち位置が変わり、再び同じ姿勢で対面する。
さっきから、どちらかが木剣を振るえば立ち位置が入れ替わる、ということを繰り返している。わざとそうしているのではなく、結果としてそうなっている。
遠巻きに見ている連中からは、示し合わせた動きのように見えているかもしれない。
それにしても。
これまでに何度も手合わせをしてきたが、決着が着かずにここまで時間がかかっているのは初めてかもしれない。ちなみにこれまでに何度も、おれは手合わせでトゥリムに負け続けてきた。
トゥリムとの別れも近い。
一度くらい、勝っておきたい。
・・・いや、真剣にそう願う。
今は、自分でも信じられないくらい集中できている。
トゥリムの髪の毛一本まで、動きが見えている気がする。
トゥリムに勝つのなら、ここしかない。
次の瞬間、トゥリムが目を細めた。
くる・・・。
木剣に動きはなく、トゥリムがまっすぐ寄せてきた。
突きの動き。
体が近づき、ほんの少しだけ切っ先が引かれてから、腕と木剣が伸びる。
おれの、のど、を狙って。
・・・油断したな、トゥリム。
おれはあえて前に出て、本当にぎりぎり、ここしかないという瞬間、わずかに踏み込みをずらし、首をひねる。
トゥリムの表情が驚きへと変化していくのがゆっくりと見えていた。
トゥリムの木剣はおれの首の横にかすって後ろへ抜け、おれの木剣の先端は寸止めによってトゥリムの胸に軽く触れていた。
おれもトゥリムも神聖魔法は使えない。だから、アコンでの立合いとはちがい、寸止めがきまりとなる。寸止めでなければ危ない。
トゥリムの表情が驚きから、悔しさへと変わる。
おれはすうっと小さく息を吸い、一度目を閉じてから木剣をおろして、もう一度トゥリムと目を合わせた。全ての動きが早くなっていくように感じる。
さっきまでは、とてもゆっくりとした世界にいた気がするのに。
「・・・おれの、勝ち、だな」
「やられましたね・・・のどを狙ったのは甘かった。欲張りすぎでした」
「おう、これでトゥリムからは初の一本だ」
「すぐにもう一手、やりましょう」
「いや、これで終わり。そんで、もうトゥリムとは手合わせはせんぞ」
そう言って、おれはトゥリムに笑いかけた。「勝ち逃げだな」
明日には王都だ。
もうこの戦いも最後の瞬間が近づいている。
トゥリムにはその後も戦いは続くだろう。
トゥリムが何やらぶつくさ言っているが、はははと笑って聞き流す。
思えば、トゥリムがオーバとともに大森林へとやってきて、それなりに長い付き合いだ。
その間に、アコンもいろいろと変化していった。
・・・おれの感じで言えば、アコンは変化し過ぎた。
きっと、これからのスレイン王国も急激に変化していくのだろう。
そして、アコンや大草原、スレイン王国の大きな変革の流れの中で、これからゆるやかな死へと向かうおれのような年寄りは、きっとその流れについていけずにどこかで忘れられていく。
老いた者の居場所は、おそらくどこにもない。
でも、この戦いを通して、これからを生きる若い者たちに語れる何かがおれの中に残ったような気がする。
最後に活躍の場を与えてくれたオーバには感謝しないとな。
トゥリムと並んでおれたちに割り当てられた天幕へと歩きながら、トゥリムの木剣がかすった首筋に手をあてる。
・・・ん、そうか。
その手を顔の前に動かす。
少しだが、血がついていた。
・・・もしこれが銅剣や鉄剣での真剣勝負だったら。
結果は相討ちだったかもしれない。
最後に勝って気持ちよく終われると思ったのだが・・・。
ほんの少しだけ迷いを抱いて、おれは天幕の中の薄い闇へと身を沈めた。
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