第112話 老いた天才剣士は重要人物 北の軍師(1)
あれから・・・オーバが出発してから、十日後。
捕虜の移送が終わる辺境伯軍の方はアイラが率いてそろそろ動き始めるはずだ。
アイラが辺境伯軍を率いることについて、辺境伯領の男爵たちには一応オーバが話をつけた。
それでもスィフトゥ男爵以外の二人が少しごねたが、それぞれの軍勢から強い者を出させてアイラと手合わせをすることで、自分の兵士たちが戦闘棒術でぼこぼこにされていくのを見てからは何も言わなくなった・・・というか、それまでアイラのことをいやらしい目で見ていた二人の男爵たちはアイラから視線を外すようになった。
馬鹿だよな、まったく。なかなか笑わせてくれる人たちだ。
そもそも大草原の騎馬隊はスレイン王国の領主の命令になど従うわけがない。
アイラ以外に指揮できるとしたらノイハだけだろう。加えて、スィフトゥ男爵の軍勢は大森林で訓練したアイラの手下のようなもの。
他の二人の男爵の軍勢より人数は少ないが、辺境伯軍でもっとも破壊力がある主力は大草原の騎馬隊とスィフトゥ男爵の軍勢だ。ツァイホンの守城戦でも、リィブン平原の会戦でも、それだけの戦果はあげてきた。
そういう感じなので、あっちのことはあまり心配していない。
どちらかというと、こっちのことは心配してほしい。
おれはトゥリムと、カイエン候と、捕虜だったカイエン候の軍勢の二人の兵士、合わせて五人で、北の大地に立っていた。リィブン平原での戦いまでは完全に敵だったカイエン候の支配地だ。
捕虜だった二人の兵士はカイエン候の護衛として選抜した捕虜だ。
ただし、あのときに女神さまの姿を見て、女神さまの言葉を聞いて、女神との邂逅に感動して震えていた、もっとも信心深いと思える二人を選び、捕虜から解放してカイエン候の護衛にした。
敵の大将の一人だったカイエン候も女神さまから大きな影響を受けているので、もはやこっちを裏切ることはないだろうが、念のため、だ。
実は、カイエン候のつぶやきひとつもらさず、この二人の護衛はこっそりトゥリムに報告してくれている。領主さまより女神さま。実にいい傾向だ。おれたちにとっては。
そんな五人でやってきたカイエン候の支配地である北の大地のシュンリーの町には、カイエン候の南下に否定的だったというカイエン候の軍師で、オーバの知人でもあるヤオリィンという男がいるそうだ。
この軍師ヤオリィンは、オーバが完全に支配下に置いている、らしい。あくまでも、らしい、だ。ただし、オーバによると、優秀なのでそれでも注意が必要だ、とのこと。
オーバが認める優秀さって・・・かなりの人物のような気がしてならない。
この内戦では、軍師ヤオリィンは主君であるカイエン候の辺境伯領への南下に真っ先に反対意見を述べたそうだ。この点についてはオーバに言われていたとかそういうことではないらしい。
ただし、オーバが関わっている辺境伯領とは関わりたくなかった、ということはあるのかもしれない。
軍師であるヤオリィンが真っ先に反対したため、北の軍勢の動きは消極的になる、はずだった。
しかし、ヤオリィンを疎ましくおもっていた連中が、所領が広がる、麦が手に入るなどとカイエン候をうまくのせて、カイエン候の軍勢とヤオリィンの別働隊とで二つに分かれて南下することに最後は決まった、という。
しかも、ヤオリィンの侵攻路の方が手強い領主と町があるように計画を立てて。最低だな。
カイエン候と話したトゥリムにそう聞いた。護衛の二人だけでなく、カイエン候も自分からぺらぺらといろいろなことをしゃべってくれるようになっている。いい傾向だ。実に楽でいい。
騎馬隊によって壊滅させられた恐怖心と、女神さまへの畏怖心のふたつがカイエン候をここまで使える人物に成長させたのだと思いたい。
話を戻す。
それでも、軍師ヤオリィンはあっさりと四つの町を落とした。どうやったのかはカイエン候もよく分かっていない。ちなみに、カイエン候の侵攻路の町も、ヤオリィンが前もって使者を送り、懐柔しているところがほとんどで、軍を寄せて交渉すればすぐに従ったらしい。
従った諸侯がそんなことを言っていたので武闘派は複雑な表情だったという。
つまり、カイエン候の軍勢がほぼ戦うこともなくシャンザ公の檄に応じて意気揚々と南下できたのは、実は軍師ヤオリィンの手柄なのだそうだ。
いったいどれだけ優秀な軍師なのか。かのコーメーやシューユ、チュータツみたいじゃないか。
ここにいないオーバに動かされてるからチュータツかな。
しかし、軍師ヤオリィンは四つ目の町を落とすとすぐに和議を結んで、四つの町からとれるものをとって、北へと別働隊を退いた。
これにはオーバが関わっている。オーバがそう言ってたからこれは間違いない。オーバが何をしたのかは、もちろんよく分からん。
その一方で、カイエン候は途中で従わせた何人もの諸侯の軍勢を連れて、リィブン平原まで南下。
カイエン候が気づかぬうちに北の支配地からの食糧が届かなくなっていたのだが、とりあえず勝てば食糧は手に入ると考えるのが武闘派たち。
手柄を立てたら所領が増えるよとおいしい話をぶらさげて諸侯の軍勢を小手調べに辺境伯領へと乗り込ませ、それがあっさりツァイホンで大敗し、食糧も手に入らず。
そして、逃げる諸侯の軍勢を追撃してきたおれたちと戦ってリィブン平原でさらに大敗。
軍師ヤオリィンの手が入らないところではひとつも勝ってないよな、カイエン候って。
今では、ヤオリィンの言葉を受け入れておればこのようなことにはならなかったのに・・・などと言っているそうだ。まさに今さら、だ。
ヤオリィンは知略を武器に戦うので、武闘派や肉体派の部下たちとはずっと対立していたらしい。
その対立が面倒になって、以前は間者として辺境伯領にヤオリィンを潜り込ませていたという。
オーバとヤオリィンが出会ったのもそのせいだ。今回も、武闘派の者たちがとやかく言うのでヤオリィンを別働隊にして武闘派とは分けた。
そして、カイエン候の軍勢には武闘派や肉体派ばかりが側近に控えており、その結果があの愚かな突撃を繰り返すリィブン平原の会戦につながった、と考えられる。
もしオーバが、カイエン候から軍師のヤオリィンを遠ざけて、突撃ばかりの武闘派をカイエン候の周りに集めたのだとしたら・・・いや、おそらくどうにかしてそうしたのだと思うが・・・もう、なんというか。
ほんの少しだけだが、カイエン候に同情したくもなる。もっと同情されるべきは命を落とした兵士たちなんだろうが・・・。
ま、とにかく相手が悪かったのだ。
オーバが敵にまわったら、このへんの欲にまみれた諸侯なんかが勝てるはずがない。
おかげで、今ではすっかり牙をもがれたカイエン候は、言葉がよく分からないおれから見てもトゥリムの言いなりになっているように見える。
しかし、カイエン候はかなりの野心家だと聞いていたが、もしかするとこれは演技かなにかだろうか?
女神さまの言葉とかの効果はもちろんあると思うのだが・・・。
まさかと思うが、オーバが陰でカイエン候をぶちのめした、という線も捨てきれない。
いや、オーバはやらないって言ったけれども。
まあ、カイエン候が何か企んでいたとしても、おそらくそれはどうにかして利を得ようとするくらいで、おれたちの敵に回って戦うというようなことにはもうならないだろう。
・・・どのみち、何か企んではいるのだろうしな。
シェンリーの町からおよそ七千メートル南にある丘に、軍師ヤオリィンは陣をつくって待っていた。
シェンリーの町の中に軍を入れていないのだ。何か理由があるのだろうが、そういうやり方はおもしろい。
まあ、兵士が町で何かしでかすとか、町の人たちから嫌われているとか、そういう単純な理由もありそうな気はする。
そもそも、このまま王都へと進軍するのだから、町の中にいる必要もない。合理的だ。
陣の入口の守備兵は驚いたようすもなく、カイエン候を迎え入れて、おれたちを案内した。こういうところも、軍師ヤオリィンの才覚を感じさせる。
陣内の天幕で会った軍師ヤオリィンはなかなかの男前だ。
長身で細身。
声は男にしてはやや高い。
見える範囲に古傷などはない。
これは確かに武闘派ではない。知略で戦うというのも納得である。
・・・見た目だけで判断すると痛い目をみるかもしれないが。
軍師ヤオリィンとトゥリムとのやりとりは、おれには一部分しか分からない。言葉の壁だ。
それでも、説明は後からというトゥリムとの取り決めで、おれは分かったふりをしてトゥリムの斜め後ろに立っている。
おれが言葉を理解していないと察したヤオリィンが、おれの目の前でトゥリムに密談を持ちかけるかもしれないが、まあ、そこはトゥリムを信頼しようと思う。何年かアコンでともに暮らした仲だ。
トゥリムと話しながら、ヤオリィンはこっちをちらりちらりと観察している。おそらくおれのことを品定めでもしているのだろう。
どの程度の立場の者か。
どのくらいの強さの者か。
・・・ま、そんなことは勝手に判断してくれたらいい。
でも、油断ならない奴だというのは理解できた。おれはトゥリムの護衛の役だ。
もちろん本当に護衛もするが、オーバもアイラもいないここでは、おれが大森林アコンの代表者である。
トゥリムがおれのことを自分の護衛だと説明しているはずなので、その言葉をそのまま信じるのではなく、自分の目で見て確かめる男なのだろうとは知れた。
そういうところも知略派らしいと思う。
もちろん、おれもトゥリムと話すヤオリィンをじっと観察している。
トゥリムがオーバ殿という言葉を出すたびに、不自然にほほが動いたり、肩が動いたりしているのが分かる。よく見てないと気づけないだろうが・・・。
オーバの名前だけでその反応はいったい何なのだろうか?
まったくもって他人事だが、それでも心配になる。
本当にオーバの奴は何をしでかしたのやら。
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