第111話 老いた天才剣士は重要人物 異変問答(5)



 三つ目の守備陣の上空に大きな光が満ちていく。


 辺境伯軍の守備兵も、捕虜たちも、何が起こっているのかと空を見上げ、ざわめきをマシながらその眩しさに手をかざす。


 中には、これが初めてではない辺境伯軍の者もいるようだ。


 おれたちにとってはもう慣れたものだ。それでも、この神々しさには毎回心を揺さぶられる。


 光の強さが次第に収まり、すこしずつ、空に女神さまが姿を現していく。


 金色に輝く美しい髪が腰の下まで緩やかな弧を描く。

 まぶたはまだ閉じられたまま、穏やかな笑みが口元に浮かぶ。

 いくつもの色の糸で刺繍がなされた光沢のある白い服が足先だけを残して女神さまを包む。

 手首と足首にそれぞれ結ばれた、銀色にも金色にも見える装飾品の輝きも女神さまの美しさを一層高めているのだろう。


 淡い光に包まれた女神さまがゆっくりとまぶたを開き、その碧の瞳で地上を見渡す。


 さっきまでのざわめきは消えて、守備陣には沈黙が満ちていた。


『勇敢なる辺境伯軍の者たちよ。

 正義の戦士たちよ。

 わたくしは女神セントラエス。

 どうか、わたくしの言葉を聞いてください』


 世界の全てに透き通るような、美しい響き。

 声さえも、至高。


 耳に届いているのか、それとも心に響いているのか。

 見上げた男たちはその視線をそらすことができない。


 そのまま、女神さまの言葉は降ってくる。


『わたくしの巫女、聖女キュウエンは国王の暗殺など行っておりません。

 あの娘はまさしく聖女。

 そのようなことをするはずがないのです。

 国王が聖女によって暗殺されたというのなら、それは・・・』


 女神さまがここで一度、目を閉じる。


 すこしだけうつむいて、再び顔を上げる。


『それは、聖女キュウエンにその罪があると告げた者の仕業です』


 ・・・それが誰を指すのか。


 みな、分かっている。


 王都を占領し、スレイン王国の各地へ檄を飛ばした、東の公爵。

 シャンザ公だ。


『勇敢なる辺境伯軍の者たちよ。

 正義の戦士たちよ。

 今は亡き、王都最高神殿の長であった巫女長ハナは。

 南が王国の内乱を治め、王家を支えると預言を残し、南への不可侵を言い残しました。

 その預言の通り、わたくしの巫女は必ず王国を支えるでしょう。

 このたびの内乱により王国は大いに乱れ、大地は荒れ果て、民は飢えています。


 勇敢なる辺境伯軍の者たちよ。

 正義の戦士たちよ。

 王国に平穏を。

 民に安らぎを。


 勇敢なる辺境伯軍の者たちよ。

 正義の戦士たちよ。

 偽りの檄を飛ばした者を討ち、そして、新たな王のもとに、再び王国をひとつに。

 どうか、わたくしの巫女、聖女キュウエンに勇者の護りを。

 聖女のあらぬ疑いを晴らし、その清き心を広めてくださいますように・・・』


 女神さまが両手を合わせて握り、瞳を閉じて祈りを捧げるかのように願いを述べる。


 そのまま、再び光が強まり、女神さまは光に飲み込まれるようにその姿を隠していく。


 そして、目を向けられないくらい眩しく光が輝き・・・。


 何ごともなかったかのように、空はいつもどおりの姿に戻った。






 空に現われ、人々に語りかけた女神さま。

 初めて目にした者にとって、それは奇跡の一幕。


 女神さまに指名された辺境伯軍の兵士たちは、正義はわれらにありと叫んで大興奮。

 捕虜たちも、目の前で起きた奇跡に興奮を隠せない。


 キュウエン姫の父親であるスィフトゥ男爵はもちろん興奮していて、辺境伯軍と敵対していたカイエン候はどこか、おびえている。

 カイエン候の場合、シャンザ公の檄に応じて辺境伯領へと攻め込もうとしたのだから、さっきの女神さまの話ははっきり言えば困る内容だったのだろう。


 ま、これは神託。

 神殿での預言よりも、さらに上の、女神さまの直答。


 ありえない奇跡なのだ、が。


 ・・・おれたちにとっては、わりと日常のことになってしまっているのが怖い。


 もちろんこれはオーバが仕組んだ一幕だとおれたちは知っている。オーバがいなくなったあと、スレイン王国での戦いがうまく進むように、と。オーバが女神さまに頼んで、その姿を守備陣の上に現してもらったのだ。


 まあ、これをここで聞かせてどうするのかって話だが。


 まずは、辺境伯軍全ての戦意高揚。


 これはもちろん、その通りだ。おれたちが率いるアルフィの歩兵たちだけでなく、辺境伯軍には、どうも女神さまのことを信じている者が多いらしい。それほど女神さまとの関係はないような気がするのだが不思議なこともあるものだ。


 影響を受けやすいというのであればそれは利用するに限る。


 そして、今、ここに残っている捕虜についても。

 女神さまの姿、女神さまの言葉で、捕虜たちをこちらの味方につけて、うまく使うのだ。


 つまり敵の中に、いろいろと種を植えて、各地で芽吹かせていく。


 キュウエン姫にかけられている疑いを晴らすこと。

 檄を飛ばした者、つまりシャンザ公こそが国王を暗殺したのだということ。

 正義は女神のお言葉を賜った辺境伯軍にあること。


 こういうことを、女神さまのお言葉という奇跡によってこの場で広めた上で、そのことを聞いた捕虜たちのうち、それぞれの出身の町へ二、三人、安全に送り返す。

 ここにいる捕虜たちは、北のカイエン候の領地の者はもちろん、カイエン候に従った諸侯の町の者たち、増援としてシャンザ公に送り込まれた王都周辺の町の者たちなど、辺境伯領以外の出身者がたくさん混ざっている。


 それなりの数を出身地へと送り返すため、男爵たちが手に入れる捕虜の数は少し減るだろうが、その分、この先の戦いが必ず楽になる。


 ここで女神さまを見て、そして町に戻った捕虜たちは必ずそういう噂を流す。なんせ、奇跡の目撃者になったのだ。

 馬鹿げた戦いに追いやられたところ、とんでもない奇跡を見ることになった。これを自慢しないはずがない。


 辺境伯軍が王国を支える正しい軍であり、辺境の聖女キュウエンは国王の暗殺などしておらず、王国を支える存在であるという噂が広まる。

 シャンザ公がそんな噂をもみ消そうとしても、そうやってあがけばあがくほど、噂は真実としてさらに広まるはずだ。


 その噂でこの先の町を味方につけて、シャンザ公を確実に追い詰めていく。


 噂が広まれば広まるほど、相手の士気は下がり、こちらの士気は上がる。今日から辺境伯軍は女神さまに頼み事をされた正義の勇者たちなのだ。


 もうすでに数年間も続いている内乱に、多くの民は苦しみ続け、嫌気がさしていた。


 この内乱を終わらせてくれるのなら、と。

 こちらに味方するようになる。いろいろな形で。


 そもそも敵兵のほとんどはどこかの民だ。それが内心では女神さまの敵になることを畏れてこちら側の味方になり、大きく戦意を失うのだから、これほど楽なことはない。


 女神さまが降臨し、われわれにお言葉を賜るなどという奇跡にはそういう大きな効果が期待できる。


 まあ、女神さまにこんなことを頼めるのは、オーバしかいない。


 これも含めて、王都制圧までの策としていく。

 この有利さを活かす。

 それが重要だ。






 結局、昨日の話し合いでオーバにはクレアのところに行ってもらうことになった。ノイハの言う危険な「向こう側」へ、だ。


 アイラの意見が通った。


 クレアが人間だろうが竜だろうが、クレアはすでにアコンの仲間である。


 それはノイハも認め、否定しなかった。


 そして、ノイハが言う「向こう側」という危険なところへは、どのみちオーバでなければ行くことができない。クレアが無事かどうかを確認することができるのはオーバだけだ。


 他の誰かに行かせることはできない。


 その「向こう側」というのがどれだけ危険なところか想像もつかないが、そんなところに行って、アコンに戻ってくることができるとしたら、それはもうオーバしかいない。


 そういうことだ。


 ただし、オーバの出発はすぐということではなく、今晩、アイラと夜を過ごしてから、明日の朝に出ることになった。


 女神さまを見た兵士たちの興奮の中で、アイラがいくつかの指示を騎馬隊に出していた。訓練に関することと、歩兵との連携に関することだ。


 ここから王都まではアイラの力が必要だ。


 おれとトゥリムは別行動となる。


 アイラの補佐はノイハ。


 ここからは歩兵隊と騎馬隊の連携で戦う。その指揮はアイラに一任されている。名目上はスィフトゥ男爵が指揮をとることになっているが、実際にはアイラだ。スィフトゥ男爵では大草原の男たちを扱えないだろう。


 戻ってきたアイラと目が合った。


「何よ、ジッド?」


「・・・いや、別に、何も」


「・・・言いなさいよ、そんな顔してるもの」


 ・・・そんな変な顔をしていたのだろうか。


 おれは自分のあごに手を触れた。


「言いたいことがあるんでしょう?」


「・・・まあ、な」

「何?」


「・・・本当に、オーバを行かせてもいいのか、アイラ?」

「いいわよ、別に」

「なぜだ?」


 クレアが友達なんだということは、理解できる。

 だからといって、アイラだってオーバと離れたくはないはずだ。


「オーバと離れることになるぞ?」


「・・・分かってるわ」

「いいのか?」

「いいわよ。だって、これでオーバがクレアのところに行かないなんてことになったら、あたしたちに何かが起こってもオーバは動かないってことになるじゃない」


 アイラが少しだけふくれたように言う。「オーバがクレアを大切にするってことは、それは同時に、オーバがあたしたちを大切にしてくれるってことでもあるの。だから、あたしは動かないオーバをぶったたいたの。オーバは、今はクレアのところに行く。これでいいのよ、ジッド。これが大事なの」


 そう言い切ったアイラはどこか儚げで、それでいて可愛らしい。


 だから余計な心配はしないで、と言ってアイラは通り過ぎていく。


 なるほどな、と。

 愛する男がたくさんの女性を妻にしていると、そんなことも考えるのだな、と。


 一人しか妻をもたなかったおれと多くの妻を娶ったオーバとのちがいを感じたのだった。





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