第110話 老いた天才剣士は重要人物 敵陣攻略(5)



 馬を走らせながら、あぶみ用のロープの長さを調整し、あぶみにしっかりと足をかけて、下半身を安定させる。

 大草原で育った氏族の者たちは、もともとあぶみなどなしで馬には乗っていたのだ。馬に乗るということは大森林の者たちよりもおれの方が慣れている。

 そして、あぶみによって馬上での安定感が増したことで、馬が戦いに使えるようになった。オーバがこれを提案し、実際に大草原で騎馬隊として戦って、馬で戦うことの強さを知った。


 トゥリムを置き去りにしてしまったが、問題はないだろう。


 アイラとノイハに率いられた騎馬隊は作戦開始前から先に回り込んでいる。


 敵陣の北の門からは、少しずつ、少しずつ、逃走する敵兵が吐き出されている。守るためにせまくした門が逃げるためには役に立たないようだ。


 そのうち、木柵のどこかを破壊して、逃げ出す敵兵の数も増えるだろう。ま、その前に多くの敵兵が武器を捨てて捕虜になるとは思う。


 ただし、逃走する敵兵の先頭はもはや捨てた陣から千メートルは離れている。今のところ、ばらけた縦長な集団で数が四百から五百、といったところか。

 その数は陣から敵兵が逃げ出す度に少しずつ増えていく。縦長に走って逃げるので、兵の厚みは太いところでも四、五人程度。


 おれは逃げる敵兵とは距離をとって、どんどん敵兵の先頭へと進む。アイラとノイハの飛び出しに追いつけるかどうかは、難しそうだ。まあ、突撃におれが一頭だけ加えてもそれほどの差はない。


 東から、アイラの騎馬隊がノイハよりも先に仕掛けるのが見えた。


 逃げる敵兵を先に行かせて、その背中を襲うつもりだ。


 オーバの作戦計画に忠実な、アイラらしい騎兵突撃。


 兵士の背中には防具がない。胸当ては胸を守るが背中は何もない。後ろから馬に踏みつぶされたら運がよくて重傷、悪ければ即死だろう。


 逃げる敵兵の先頭からみて百五十人目くらいのところに、三角陣のままのアイラの騎馬隊が斜めから切り込み、そのまま五、六十人の逃走兵を飲み込むように踏み潰して西へと離脱する。


 運良く標的にされなかった、踏み潰された連中よりも後方の逃走兵の足が止まる。その表情は恐怖にあふれている。

 足を止めた逃走兵の後ろから新たな逃走兵がどんどん追加されていくが、目の前で起こった光景に呆然として、一度足を止めた逃走兵は動けない。


 逃走兵の一番前にいた先頭集団は何が起きたのか、理解できていなかったようだが、踏み潰されずに逃げ切れたぎりぎりの逃走兵はその走る速度を速め、前の集団と重なり、兵士の列の厚みを増した。


 アイラの騎馬隊が大きく弧を描いて、陣に近い後方に集まりつつある逃走兵へと狙いを定めると、今度はノイハの騎馬隊が西から飛び出してきた。


 ノイハの騎馬隊も同じく三角陣だが、一騎だけ別行動で動いている。ノイハだ。


 三角陣の騎馬隊が、さっきはぎりぎり生き残った逃走兵の最後方を食い破るように踏み潰して東へと抜けていく。

 集団が厚みを増していたからか、アイラの突撃のときよりも多くの逃走兵が三角陣に飲み込まれていった。聞こえてくる声は悲惨なもの過ぎて、言い表したくない。


 単騎で駆けていたノイハは、四度、逃走兵の先頭へと矢を射かけて、その先へと駆け抜けた。先頭にいた十数人の逃走兵が足を止めて倒れていく。


 普段の食いしん坊のノイハからは考えられないおそるべき武勇。


 大草原の氏族たちでも、馬上からの弓などまともに当てられないというのに。


 後方ではアイラの騎馬隊が動けなくなっていた逃走兵に西から襲いかかる。


 陣に近い後方の逃走兵は北ではなく、東へと逃げて、追い立てられながら次々に踏み潰されていく。


 全ての敵兵を追い越して、先頭の逃走兵よりも前方でゆっくりと円を描くように馬を操るノイハから、次々に矢が放たれて、敵兵の北へ逃走は止まる。


 もう、逃げることはできない。


 そこへ弧を描いて向きを変えたノイハの騎馬隊が東から襲いかかると、逃走兵は西へと逃げて、次々に踏み潰されていく。


 敵陣の中からは、スィフトゥ男爵の軍勢による降伏を呼びかけるかけ声が響いている。


 三度、弧を描いて折り返してきたアイラの騎馬隊を見て、一人の逃走兵が剣を捨てて両膝を大地についた。それに気づいた逃走兵が慌てて同じ行動をとる。


 降伏の合図だ。捕虜になって生き延びようという考えでの行動。


 ・・・しかし、残念ながら、騎馬隊は大草原の男たち。スレイン王国の領主である爵位もちにとっては財産となる捕虜など、大草原の者にとっては何の意味もない。それに、今さら高速移動中の馬を止めるつもりはない。


 指揮官であるアイラもその気はないらしい。陣を捨てて逃げ、騎兵に対する圧倒的な弱者となった時点で、捕虜になれる機会は失われたのだ。今、その命は馬に踏み潰されるためにその存在を短い時間だけ許されていた。


 抵抗をあきらめた数十人ほどの逃走兵が膝をついたまま、騎馬隊に踏み潰されていく。


 同じことは、ノイハの方の騎馬隊でも起きている。


 男爵たちには悪いが、騎馬隊は速度が命。

 敵兵を捕らえているような無駄な時間は騎馬隊にはないのだ。


 陣の外に出た逃走兵は、言いようのない恐怖の中にたたき落とされた。


 陣を飛び出して逃げようとしていた敵兵が、陣へと戻ろうとして反対方向へ動き出した。

 そして、陣の木柵をはさんで、味方同士であるはずの敵兵がぶつかりあう。


 陣の外へ逃げようとする者と陣の中へ戻ろうとする者。


 陣の方向へと戻るのが遅れた者は、次々とアイラの騎馬隊によって踏み潰されていく。


 おれは後ろを確認するのをやめて、速度を上げた。


 逃走兵の先頭集団はすでに十人以下というわずかな数にまで減ってその場に留まっており、二手に分かれたノイハの騎馬隊によって包囲されている。


 追いついたおれはノイハの横に馬を並べてそのまま馬上からわずかな数になった敵兵を見た。一人、いくつもの美しい装飾品を身に付けた男がいた。明らかに、この場では身分がちがうと分かる。


「ノイハ、さすがだな」

「んー、まあ、こんなもんだろ? こんくらいなら、いつでもまーかせろって」


 ノイハはおれの方を向かずに、三本の矢をつがえて弓を引き絞った姿勢のままで答えた。


「あれが、カイエン候って奴?」

「おそらく、そうだろうな」

「足、潰しとくか?」

「この国のきまりだと、諸侯は傷つけてはダメなんだとさ」

「でもさー、この数の差で、取り囲まれても武器を捨てねーし、面倒なんだよー」


 ノイハの騎馬隊はおよそ五十騎。


 残っている敵兵はカイエン候も含めて七人。正直、相手にならないだろう。それでも六人の兵士がカイエン候を守るように円陣を組んでいる。


「ま、諸侯がダメっつーんならさ・・・」


 そう言ったノイハがびゅうと矢を放つ。ノイハのスキル「三本之矢」は一度に三本の矢を射ることが可能な驚きのスキルだ。しかも、ノイハの場合、その命中率と急所狙いが圧倒的に優れている。


 三人の敵兵が小さなうめき声とともに膝をつく。


 残りの三人は慌てて立ち位置を変え、カイエン候の三方を守るように立つ。


「・・・他の奴はいーんだろ?」


 本当に、弓矢に関しては天才だ、ノイハは。


 これも、オーバの言うレベルの高さがステータスに影響しているからなのだろうか?


 千メートル以上向こうに見える敵陣の近くでは、アイラの騎馬隊がすでに速度を落として整列し、突撃をやめている。


 敵陣から逃げだそうと出てくる敵兵も見えない。


 目の前で逃げていた仲間が次々と踏み潰されて倒れていった。彼らは逃げたくても逃げられないのだ。おそらく、武器を捨てて投降しているのだろう。


 もうスィフトゥ男爵の軍勢からは、降伏を呼びかけるかけ声は聞こえてこない。


 ノイハが背中の矢筒から三本の矢を引き抜いて、弓の弦にかける。三本同時にかけるのにその動作は流れるように行われた。


 カイエン候を守る敵兵が身構える。


 そのとき、騎馬隊の包囲の輪が割れて、一頭の馬が包囲の中に飛び込んだ。


「おっ、トゥリムかー」


 のんびりとしたノイハの声に、おれは場違いだな、と心で思った。心で、だ。こんなことを口には出さない。もう大人を通り過ぎて年寄りだからな。


 トゥリムなら、スレイン王国の人とも、まともに会話が通じる。スレイン王国語が話せるから。


 おれたちだと、そこが難しい。


 カイエン候とその兵士たちは、新たに登場した馬上の男を見上げた。


「降伏、命、ある、武器、捨てる」


 相変わらず、スレイン王国の言葉は、おれには一部分しか分からん。


 カイエン候が何か言うと、トゥリムもそれに答え、そのやりとりのあとカイエン候の指示で兵士たちは武器を捨てた。

 カイエン候は銅剣を腰に差したままだが、これは取り上げられないきまりらしい。スレイン王国の諸侯を守る謎のきまりだ。


 こうして、カイエン候の軍勢は騎馬隊に蹂躙されて崩壊し、生き残りは捕虜となって男爵たちに回収された。


 カイエン候を捕らえるという目標も、ノイハの活躍によって余裕で達成できた。


 もうおれたちがスレイン王国を支配した方がいいんじゃないかと思ってしまうほど、今なら簡単に勝てる状況が用意されている。


 カイエン候たちの歩みに合わせて、すでに落とした敵陣へとゆっくり戻るおれたちのところに、速駆けの騎馬が二頭、迫ってきた。


 ん、誰だ、と目をこらす。


「・・・アイラとカリフ?」

「なんでまた、カリフが?」


 おれとノイハが目を合わせる。


 カリフは三つ目の守備陣を任されていた副官なのだ。守備陣の守りとともに、負傷して後退した兵士たちの治療にあたっていたはず。


 アイラならともかく、こんなところに神殿騎士のカリフが慌ててやってくるのはおかしい。


 そして、そのおかしさは、カリフの報告で、さらにおかしなことになった。


「クレア殿が、消えたのです・・・」


 カリフが言っていることの意味がおれには何ひとつ理解できなかった。





  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る