第111話 老いた天才剣士は重要人物 異変問答(1)
「・・・クレアがいなくなるのは、別に、いつものことだろう?」
おれがそう言うと、ノイハがふり返った。
「そーなの?」
「そうだ。この前も、おれのところで言いたいことだけ言って、トゥリムと話すこともなく、とっととアイラのところへ向かったはずだ」
「そーいや、騎馬隊んとこに来たときも、アイラと話したらおれの方には来なかったっけ・・・」
「・・・そうね。ジッドが言うみたいに、確かにクレアは必要なことを伝えたら次のところへって感じはあるわ。まあ、ジッドとちがってあたしとは、他にもいろいろ話すことはあるけどね。それでも、無駄に長い話をすることはないわよ。でも、ちがうの」
「ちがう・・・?」
「カリフは、消えた、って言うのよ」
「・・・気づかないうちにいなくなったんだろう?」
「そうじゃないみたいで・・・」
「・・・とにかく、今はまだ、カイエン候を捕らえたばかりです。一度守備陣まで戻って、ゆっくり話しませんか?」
おれとアイラのやり取りにトゥリムが割って入った。
それもそうだ、とおれたちは守備陣へ向かった。
敵陣の中では、武器を捨てた兵士たちをスィフトゥ男爵とフェイタン男爵が次々と捕虜にしていた。敵陣の外には敵兵が逃げ出さないように騎馬隊がゆっくりとした動きで巡回している。
敵陣を打ち破っての大量の捕虜。敵将たるカイエン候も捕らえた。味方にも死傷者は出ていたが、それでも大勝である。この状況でなら、戦場に用がなくなったクレアがどこかに行っても、それほど不思議な気はしない。
アイラとカリフが慌てて合流するような理由は思い当たらんのだが・・・。
小さな林に近い三つ目の守備陣の中で、フィナスン組の代表格が二人、おれたちを待っていた。大森林まで交易でやってくる、見知った顔だ。
その顔が・・・。
・・・魂を抜かれたように、生気がないように見えるんだが?
何があった?
クレアがいなくなったことと関係があるのか?
「おい、何があった?」
「・・・ジッドの旦那」
「旦那・・・」
フィナスン組の二人は、それだけ言うと口をつぐんだ。
それから、何かを言おうと口を動かすが、そのまま止まる。そして、二人で目を見合わせて、互いを押し出すようにおれたちの方へ突きだそうとしている。
・・・何をやってるんだ、こいつらは?
「おまえが説明しろよ」
「いや、おまえが説明しろ」
「無理だ。あんなの、説明できねぇよ」
「おれだってできねぇ」
・・・本当に、何があった?
クレアがいなくなっただけじゃないのか?
「とりあえず、おまえたちがそうやって言い合いをしても、おれたちには何も分からんままだ。少なくとも、おまえたちが分かっていることだけは教えてくれ」
おれがそう言うと、二人は再び目を見合わせて、しばらく見つめ合ってから、ふぅ、と小さなため息をついた右側の男が口を開いた。
「・・・クレアの姉御が、消えちまったんです」
・・・だから、消えたってどういうことなんだ?
おれとノイハは目を見合わせて首をかしげる。
「クレアなら、おれたちが見えねーくらい素早く動くってこともさ、できそーっていやあ、できそーだよなあ?」
「いや、さすがに見えなくなるというところまで速くは動けんだろう?」
「おれ、オーバの動きが見えねーときがあるけどさ?」
「そんなの、あたしにだってあるわよ」
「それはおれだって同じだ。だが、それだって、オーバが消えていなくなるように見えなくなるというものでもないだろう?」
「・・・そーかな? いや、そーかも。消えるってのは、確かにそんなんじゃねーか。じゃあ、クレアは消えたのか? ここから? いきなり?」
ノイハがそんなことを口にしていると、捕らえたカイエン候を天幕へ連れて行ったトゥリムとカリフが合流した。
「カリフ、クレアは消えたって言ったな?」
「はい。ただ、私が見たわけではなく・・・」
「見たのは誰だ?」
「フィナスン組の、そのときクレア殿の近くにいた者たち・・・ああ、そこの二人が見たと」
おれたちはもう一度、フィナスン組の代表格である二人をふり返った。
二人は顔を見合わせて、うつむいた。ますます表情から生気が抜けているような気がする。
「いいから、おまえたちが見たままを話せ。とにかく、見ていたおまえたちが話さんことにはどうにもならん」
「・・・いやあ、その、信じていただけないかもしれんので、とにかく、あっしらが見たことをそのままってことでいいですかね?」
男は、そう前置きをして、話を始めた。「あっしらは治療班で、クレアの姉御の指示に従って、負傷して戻った味方の治療にあたってました。もちろん、真面目にですがね。だから、あっしらの近くではそこらじゅうで、癒やしの光がぴかっと輝いておったんですよ。だから、始めはクレアの姉御も癒やしの光をつかったんだろうと・・・」
「待って! クレアは、神聖魔法を使えないはずよ?」
アイラが口をはさむ。
その通りだ。クレアが神聖魔法を使ったところなんて、おれたちは一度も見たことがない。
「え、いや、その・・・あっしらにもそのへんのことはよく分からんのです。でもですね、とにかく、そこらじゅうが癒やしの光でぴかぴか光ってる中で、クレアの姉御もぴかっと光り出してですね、そのままその光にクレアの姉御が包まれて・・・」
男の話の途中で、アイラがおれとノイハにだけ聞こえるような小さな声でささやく。
「誰かがクレアに神聖魔法をかけたの?」
「・・・クレアが怪我をするってーのは、考えらんねぇなー」
ノイハの言う通りだ。アコンでは、あのジルやウルが手合わせで負ける、圧倒的な強者。今回のスレイン王国の兵士たちに、クレアが傷つけられるなんてことが起こるとは思えない。そもそもクレアは後方の治療班で、敵兵とは接していないはずだ。
「・・・そんでクレアの姉御を包んでいた光が消えたと思ったら、そこにクレアの姉御がいなかったんですよ、そこに」
男がすぐ近くの地面を指さしている。すぐそこが、クレアがいなくなった場所らしい。
どういうことだ?
クレアはそもそも神聖魔法を使えないはず。
それとも、おれたちが知らないだけで使えるのだろうか?
確かに、アイラが神聖魔法を使えることは、大草原の男たちには秘密にして伝えていない。神聖魔法を誰が使えて、誰が使えない、という情報はアコンにとって重要なものだ。伏せておくことだってあり得る。
だが、おれたちにクレアの神聖魔法のことを伏せるとしたら、それはオーバがやってるってことになるが・・・。
いや、考えにくいな。
オーバから指揮を任されているおれやアイラなら、知っているべき重要なことだ。オーバがそんな情報を伏せるとは思えない。
ただ、クレアにはなんか秘密があるってのも、おれたちはみんな気づいている。
大森林の南の、あの台地でオーバとクレアは出会ったって話もな、他に誰一人として台地の方から人はやってこないしなあ・・・。
「アイラ、神聖魔法で癒やしの光を出すと、その光は治療したい相手を包むよな?」
「ええ、そうよ。ただ、自分で自分を治療するなら、自分を光で包むってのも、その通りなのよね」
「クレアは神聖魔法が使えねーんだから、自分で自分に癒しの光をあてることもねーっての」
「そうよね」
「フィナスン組の誰かが?」
「それも考えられないわね。フィナスン組は頑張ってると思うけど、治療の必要がないクレアに対して無駄に癒やしの光を出せるほど、ステータスは高くないもの」
・・・アイラの言う通りだ。
そもそも、神聖魔法の光に包まれて消えてなくなるなんてことがあるのか?
あるはずがない。
今まで、アコンで何度も神聖魔法での癒しを見てきた。
その光で誰かが消えてなくなるなんてことは一度もない。見たことがない。
「これは、オーバでないと・・・」
「ええ、オーバにしか分からないでしょうね」
「あいつは、今どこだ? 早くオーバに伝えないと・・・」
「大丈夫よ、そのことなら。今の話は、女神さまからオーバに伝わるわ」
「女神さまから? ああ、そうか」
そうだった。
アイラにはオーバに頼まれた女神さまの分身が、アイラを守るためについているはずだ。
「アイラ、女神さまに確認できるか?」
「確認するまでもないわ。女神さまはすぐに伝えますって言ってたから」
「そうか。なら、オーバが来るのを待つしかないか」
おれがそう言ってアイラとノイハを見ると、二人とも大きくうなずいた。
話を聞いて分かったことは。
クレアが光って、そのあとに消えたこと。
誰かがクレアに神聖魔法をかけたわけではないこと。
これまでの、クレアがいつの間にか次の場所へと向かった、というものではないということ。
正直なところ、おれたちには神聖魔法のことだって、よく分からない。
ただ、何かが起きたんだということだけは、おれたちにも分かる。
リィブン平原でのカイエン候の軍勢との戦いに圧勝したのだという興奮は、おれたちの間にはもはや残っていなかった。
オーバはスレイン王国の北に行くと言っていた。
すぐにここまで戻れるわけではないだろう。
オーバが戻るまで、クレアのことが解決できないとはいえ、ここで何もしない、ということにはならない。それに、オーバがいなくても動けるように、王都攻略までのおおまかな行動についてはすでに話し合っている。
とにかく、今は戦場の処理だ。
辺境伯との取り決めで、敵兵の死者や捕虜の装備はフィナスン組の物になると決められている。
戦場の安全が確認できる限りは、兵士たちは装備を回収するフィナスン組に協力することも決められている。
もちろん、必要に応じて男爵たちはフィナスン組に回収した武器や防具の提供を依頼することもできる。ただし対価を用意しなければならない。
だから、いつものようにフィナスン組は装備の回収に動いているのだが、彼らの表情はこれまでの装備の回収のときとは異なり、暗い感じがする。
クレアのことがあったからだろうか。
フィナスン組の連中は、クレアのことを、姉御、姉御、と呼んで慕っていた。
そのクレアが消えてどこにもいないのだ。
悲しい気持ちになる・・・。
・・・そういう表情か?
もっと、何かを怖れているような、そういう顔に見える。
まあ、それでも装備を回収する手は止めないのだから、余計な心配はするまい。
「それにしても、困りましたね」
「捕虜の移送か?」
「ええ、男爵二人は笑顔ですが、捕虜の数が多すぎます。フィナスン組とナフティ組が荷馬車の輸送で大量の物資を届けてくれたからなんとかできていますが、まさか、町ふたつ分の捕虜になるとは」
トゥリムの笑いは苦笑いだ。
今回、敵陣を落として逃げた敵軍を壊滅させたが、逃げられなかった敵兵の多くが武器を捨てて投降し、捕虜となった。
その数、千七百六十二人。しかも、踏み潰された遺体の中に混じって、生き残った者が見つかるため、この数はまだ増え続けている。フィナスン組の神聖魔法による癒やしの光で治療すれば命を失うことはない。
捕虜が増えることについては、男爵たちは歓迎している。
ただし、その移送についてはなかなか難しい。
おれたちは、スィフトゥ男爵軍とフェイタン男爵軍を合わせて、およそ千四百人。フィナスン組とナフティ組を含めても、千五百人に届くかどうか。
捕虜の方が多い。
これが困る。
武器や防具を取り上げ、食事や行動を制限し、ロープで手を縛るとはいえ、通常の捕虜の移送は捕虜よりも多い兵数をあてて行うものだ。
暴れて逃げられては困るからな。
ツァイホンまで送り込めば、捕虜を詰め込む場所もあるし、さらにその先の辺境伯やそれぞれの男爵の町へとある程度の数を分けて送り込めばいい。
ところがこのリィブン平原では、おれたちよりも捕虜の方が多い。
強引に捕虜よりも少ない数の兵士で移送するってやり方も選択できないわけではないが、そこで捕虜を逃がすと、捕虜は故郷の町へ逃げる者ばかりではなく、そのまま盗賊になってしまうことも多い。つまり、治安が悪化してしまう。
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