第110話 老いた天才剣士は重要人物 敵陣攻略(4)
三つ目の陣と敵陣は互いにはっきり見える距離にある。
もちろん、こちらが攻め寄せるようすは丸見えだ。
辺境伯軍は、大盾を持った兵士たちを先頭に、敵陣へと寄せていく。歩いて、並んで、できるだけ列を整えて。
スィフトゥ男爵の軍勢だけでなく、フェイタン男爵の軍勢もいるので、この前の会戦のようには足並みはそろっていない。
それでも、この前の敵軍のように、てんでばらばらに突っ込むようなこともない。
敵陣の守備兵は、あまりやる気はないにしても、弓矢を構えて準備はしている。
前回の戦いでは温存していた弓兵だ。陣を守るために使うつもりだから、攻め寄せた前回は温存したのだろう。
まだ距離があるということも含め、射かけてくるようすはない。
そして、敵兵は、そのやる気のなさで、重大な失策を犯している。
自陣に加えられたおかしな物の存在に気づかないのだ。大盾を持つ兵士に注目しているというところも大きい。視線をそっちに誘導しているからな。それも含めておれたちの作戦はうまくいっている。
当然のことだが、隠蔽はしている。見えにくくなるように、土をかけて埋めている。フィナスン組の細工は上々だ。
大盾を持つ歩兵に矢を射かけても無駄だと考えている敵陣の兵士は、おれたちが近づいていくとざわめきが起こり、それは次第に大きくなる。盾兵の後ろに、馬がいるからだろう。
敵陣の兵士たち、彼らにとっては、馬は未知の動物だ。フィナスン組とナフティ組が馬をひいて歩く前を守るように大盾を持った盾兵が進む。
敵陣のざわつきが大きくなっていく。
馬に射かけるべきかどうか、判断が難しいのだろう。馬が何のためにここにいるのか、理解できないのだから。
この馬たちの役割は、突進ではない。突進なら、もうとっくに駆けさせている。この馬たちの役割は、昨日の夜のうちにフィナスン組が敵陣の木柵に結んで地面に埋めたロープを引っ張り、敵陣の木柵を引き倒して破壊することだ。
盾兵が大盾を見せびらかすように歩き、馬もその姿を見せて進むが、敵兵の足元、敵陣の木柵のところどころに結ばれ、埋められた結び目には一切目を向けさせない。
敵陣から射程距離に入ると、一斉に矢が飛んでくる。
おれたちがやっているような、交代での連射などはない。ただの一斉射だ。
盾兵があっさりと矢を受け止め、さらに前進する。
敵陣と距離、およそ八メートル。
最前列の盾兵は馬を守るように矢を防ぎ続けた。
フィナスン組とナフティ組は、地面に埋められたネアコンイモのロープの端を、馬と荷車をつなげる道具に結びつけていく。急所に当たらなければ、スレイン王国の矢で即死することはない。フィナスン組も、ナフティ組も、度胸は兵士たちよりも上だ。
盾兵、フィナスン組とナフティ組と馬、それに続いてフェイタン男爵のいる左翼は小盾と銅剣の一団が、スィフトゥ男爵のいる右翼は小盾と槍の一団がいる。さらに後ろから、どちらの軍勢にも弓兵が詰めている。
フィナスン組から、トゥリムに合図がくる。
トゥリムが手を挙げて応える。
そして、馬が敵陣から離れるように動き出した。
ぐっと後ろ足をふんばり、前足を伸ばす。そして二、三歩進むと、埋めていた土が飛んで、馬と敵陣の木柵の間に結ばれたロープがはっきりと見えた。
敵陣で矢を放っていた弓兵が手を止めて、陣の内側に向かって何かを叫んでいる。
しかし、まあ、もう遅い。
辺境都市と大草原での輸送に活躍してきた馬たちだ。力がちがう。
馬に引っ張られて、敵陣の南側の木柵の一部が崩れていく。
中には途中で木柵が折れて、崩れるとまではいかなかったところもあったが、少なくとも八カ所、人が三人くらいは通れる幅で敵陣の木柵が崩れた。
大騒ぎとなった敵陣では、内側にいた兵士たちが慌てて木柵の近くに出てきた。
もちろん、それを逃すわけがない。
スィフトゥ男爵の指示で一斉射、右翼から矢が放たれると、フェイタン男爵もわずかに遅れて一斉射の指示を出す。
まだ突撃はしない。二人の男爵は盾兵と弓兵に指示を出し、突撃用の小盾の兵士たちは待機させている。
矢を受けた敵兵が倒れる中、フィナスン組とナフティ組は結んでいたロープをほどいて、馬を敵陣近くへ再び誘導する。そして、次のロープを結びはじめた。
そのことに気づいた敵兵が伝えようと叫んでいるようだが、木柵を崩された敵陣の騒ぎは大きく、状況の理解は進まないようだ。
大盾で盾兵が馬を守る中、二度目の馬による木柵崩しが進む。
馬をしとめようと飛び出した敵兵は、弓兵の餌食になるか、大盾にはばまれて届かない。大盾にはばまれた時点でフィナスン組やナフティ組に切りつけられ、倒れていく。
さらに五カ所、敵陣の木柵が崩れ、もはや陣とは呼べない姿がそこにはあった。
フィナスン組とナフティ組は、やることはやった、あとは兵士の仕事だと、堂々と三つ目の陣へ馬と一緒に後退していく。あざやかな働きぶりだ。もう、馬のところに敵の矢は届かない。
大盾を持った盾兵がゆっくりと前進し、敵兵の矢を防ぐ。こちらからはお返しとばかりに矢を放ち、盾兵の前進を援護する。弓兵たちも、小盾の兵士たちも、盾兵に続いて進む。
武器を捨て、膝をつけば、殺さない。
盾兵と小盾の兵士が男爵の合図に合わせて大きな声でそのように叫ぶ。繰り返し、繰り返し叫び続ける。
混乱している大騒ぎの敵陣にも十分に聞こえる、歩兵たちのそろえられた叫び。
歩兵たちは、叫んでは一歩、叫んでは一歩と、敵陣へ寄せていく。
寄れば寄るほどに増えるはずの敵からの矢が、はっきりとその数を減らしていた。
矢の数が減る理由として思い当たることは二つくらいだろう。
弓矢を捨てて逃げたか、弓矢を捨てて膝をついたか。
どちらにせよ、オーバの言う通り、陣攻めなのにまともに相手にならない。
おれたちがやろうとすることが理解できないから。
知らないことには対処できない。
臨機応変に対応できる、そういう厳しい訓練を積んだ軍ではない。カイエン候の軍勢は個の力に頼った荒くれ者の、王都周辺からの援軍はそのへんに住んでいる農夫たちの、まさに寄せ集めでしかない。
盾兵が敵陣の木柵のところに並んだとき、敵兵は弓や剣を捨てて膝をついているか、背中を向けて走って逃げているかのどちらかだった。
三つ目の陣から敵陣のようすを確認していた副官のカリフからの伝令が、敵陣の北側からどんどん敵兵が走り出して逃げていることが伝えられたとき、スィフトゥ男爵とフェイタン男爵は競うように捕虜を捕縛するよう命じていた。
戦わずして勝つ。
オーバがそう言っていたな、とトゥリムに話すと、トゥリムは神妙にうなずいた。
あとは、スィフトゥ男爵の目を覚まさせて、追撃だ。
捕虜の確保に夢中になっていたスィフトゥ男爵だが、トゥリムが直接話をしたことで、作戦を思い出したようだ。自分で敵兵を捕らえなくても、捕虜は等分すると取り決めてある。捕らえるのは兵数の多いフェイタン男爵に任せるべきなのだ。
おれも知っている顔の歩兵たちがスィフトゥ男爵の指示で進軍を再開し、逃げ惑う敵兵をどんどん追い詰めていく。
辺境伯軍が破壊したのは南側の木柵だけである。ここからは辺境伯軍が入ってくるので、カイエン候の軍は逃げられない。
北、東、西の三つの門からカイエン候の軍は逃げ出していたが、辺境伯軍の前進により東と西の門からも逃げられないようになった。
本来なら自分たちを守るはずの木柵が逃走の妨げとなってしまった敵兵は北の木柵の門へと集中している。
降伏を呼びかけながら圧力をかけていく辺境伯軍に追い詰められ、武器を捨てて投降する敵兵は増えていく。
作戦を思い出したスィフトゥ男爵は、捕虜の確保を兵数の多いフェイタン男爵の軍に任せ、敵兵へと圧力をかけるために盾兵、槍兵、弓兵の前進を続けた。もちろん、降伏を呼びかける叫びはぴったりそろって大きく響かせながらの前進である。
「どうやら、作戦通りにいきそうですね」
「身を守る木柵がかえって逃走の邪魔になるとはな。戦に負けるってのは怖いねえ」
「そうですね。では、われわれも行きますか?」
「ま、こっちはもういいだろう。ところで、トゥリム。おれについて来れるのか?」
「遅れても問題ないでしょう? なんとかしますよ」
トゥリムが少しだけ不満そうな顔をした。
おれたちの後ろには、フィナスン組が用意した馬が二頭、鼻息をふるるぅっと吐きながら待っていた。
実はトゥリムは乗馬が苦手なのだ。馬に対する恐怖心がある。
オーバによると、大草原で辺境伯の軍勢と戦った時に、辺境伯軍がアイラの騎馬隊に蹂躙されていく姿を見て、馬は怖ろしいものだとトゥリムの心に刻まれたらしい。おっかなびっくり馬に乗るので、馬の方もトゥリムが乗ると安心できないのだ。
おれはトゥリムにネアコンイモからつくったあぶみ用のロープを投げ渡し、さっと自分用の馬の背にまたがった。
あぶみ用のロープを受け取ったトゥリムも慌てて馬に飛び乗るが、嫌がった馬が少し動いてしまい、トゥリムが馬の背から落ちた。足から落ちて安全に着地できたので怪我はなさそうだ。
「じゃ、先に行くぞ」
すぐに追いかけます、というトゥリムの声を背中で受け止めて、おれは馬上の人になった。
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