第109話 老いた天才剣士は重要人物 リィブン平原の会戦(7)



 フィナスン組が最後の木柵を打ち込んで守備陣が完成し、神聖魔法による治療部隊へとその役割を変えた。こいつら、本当に優秀過ぎる。どれだけ頼りになるのか。


 敵兵は、もし湿地帯を回って陣にたどり着いたとしても、もう木柵に阻まれて中には入れない。


 それからしばらくは敵兵が必死に攻め寄せてきたが、こちらは冷静に槍を突き出し、矢を放つだけで、どんどん敵兵は減っていった。

 おれたちはひたすら守りを固めて、交代で休息をはさみながら、着実に敵兵を削っていった。


 もとは千五百だったと考えられる敵軍だったが、見たところ、もはや五百を切ったと思う。

 しかも、無傷の敵兵はしっかり探してもなかなか見つからない。重傷だと思える敵兵はいくらでも簡単に見つかるのだけれど。


 敵軍から撤退の合図となる銅鐘の音が響いた時、攻撃を受けていたおれたちがほっとして安心するのではなく、攻め寄せていた敵兵の顔に安堵の色が見えたのだから、この戦いがあちら側の兵士にとっていかに厳しいものだったかが分かる。


「追撃?」


 スィフトゥ男爵がトゥリムに尋ねる。


「ない。このまま」


 追撃しないと言われ、男爵もうなずく。

 まあ、もとから必要ないと考えていたのだ。おれたちの方が今でも少ないしな。


 陣を離れ、負傷した味方と力を合わせて後退していくどこか寂しげな敵兵たち。


 おれたちが陣を出て追撃してこないと分かると、その歩みはさらに遅くなる。そもそも、誰かを担いだり、支えたりしている者がほとんどなのだ。


 湿地帯側から撤退していく敵兵の姿は、びしょ濡れか、泥だらけか。血だらけの敵兵と同じような疲れ具合だ。それでも、負けたのに表情が柔らかい。よほど撤退するのが嬉しいのだろう。


 こちらの歩兵たちも、パンをかじったり、水を飲んだりしながら、去って行く敵兵の姿を見送っていた。


 別に戦って友情が芽生えるなどということはないが、こちらとしてもそれだけの数の敵をしとめたという自覚はある。

 敗軍が見せるあの疲れた背中は、いつかの自分の姿なのかもしれないのだ。


 戦うからには手を抜くことはないが、たまたま今回は敵味方に分かれただけ。どちらももともとは同じスレイン王国の民である。だから、その姿に同情はできるのだろう。


 多くの負傷兵たちとともに、ゆっくりと、ゆっくりと自陣へ向かって歩き、ようやくおれたちから五百メートルは離れた安全圏に達したくらいのところで。


 あとから敵陣を出た増援らしき敵兵と合流したようだ。

 そのまましばらく、その場で動きが止まる。


「なんだ?」

「なんでしょう?」

「何?」


 おれも、トゥリムも、スィフトゥ男爵も、もちろん、守備陣の歩兵たちも、フィナスン組も、そこで何が起こっているのか、まったく分からなかった。


 ただ、時間だけが過ぎていき、そうして・・・。


 再び、敵軍はおれたちの守備陣へと移動を再開したのだった。


「・・・よく分からんが、こっちに向かってるよな?」

「そのようです」

「どうする?」

「どうするも何も、もう一度、守りを固めるしかないでしょう?」

「そうだよな・・・」


 そう話すと、おれたちも再び動き始めた。






 なんだかよく分からない状況だったが、とりあえず。

 再び、おれたちは自身の守備陣を守るために戦うことになった。


 なんだか、わざわざ休息するための時間を割いてもらったかのようで不気味だ。


 しかも、よく分からないのが、陣に攻め寄せる先兵がさっきまでと同じ、すでにぼろぼろになった敵兵たちだ。


 同情はしないわけではないが、遠慮もしない。


 槍を突き入れ、堀に落とし、矢を放つ。

 倒し、傷つけ、殺す。

 そうしなければ、こちらがそうなるのだから。


 では、新しく敵陣を出てきた敵兵はというと・・・。


 なぜか、湿地帯側から攻め寄せようとして、足を深々と湿地に沈めていた。


 もはや訳が分からない。

 分からないけれど、おれたちとしては、とても楽に守備陣を守れる。


 湿地帯側では弓兵たちがその腕前を競うように、まともに動けなくなった敵兵を射抜いている。


 そのうち、それまでの負傷兵たちではなく、新しく攻め寄せてきた敵兵も陣の木柵にとりつくようになってきたが、別にそれで守備陣を破壊されるようなこともなく。


 ここでもまた、槍を突いて堀に落とし、弓を引いて矢を放つ。


 こちらは矢をどんどん消費していくのだが、あちらはどんどん命を消費していた。


 おれの隣に立っていた一列目の槍兵の団長が、まっすぐ敵兵を見ながら大森林の言葉で教えてくれた。


「さっき、朝から戦ってる敵の負傷兵が、もう殺してくれと叫びながら陣にとりついてましたよ」


 おれは思わず団長の顔を見た。

 なんとも言えない、複雑な表情だった。


 おれは戦場へ視線を移した。


「・・・いろいろとスレイン王国の言葉が聞こえてくるんだが?」

「どれも、似たような感じです」

「・・・同情、するなよ?」

「・・・なんというか、同情は、してもいいんじゃないかと思います」

「そうか」

「手加減はしません。約束します」

「分かってる」

「できるだけ早く、なんとかして殺してやりますよ」


 その言葉に、おれは何も言えなかった。






 陽が傾き、空が赤くなり始めると、再び敵軍から撤退の銅鐘が響いた。


 今度こそ、敵兵はおれたちの守備陣を離れて、まっすぐ自陣へと後退していく。


 ただし、今度は自分の身ひとつで、誰かを担いだり、肩を貸したりしているようすはあまり目立たなかった。


 ただ、守備陣の周りに無数の死体が転がっているだけだ。






 この戦いが、のちの世に伝わった「リィブン平原の会戦」である。


 たった三百の歩兵隊で、五倍となる千五百の敵兵を壊滅させた、オーバとイズタによる新兵器とその新戦法が注目され、指揮したトゥリムの功績として人々の記憶に刻まれた。


 多くの者が興味を抱いて調べたから、おそらくいろいろな事実が判明しただろう。


 あのとき、敵軍に何が起こっていたのか。

 まあ、おれは別に知りたくもない。


 ただ、おれたちが千五百もの敵兵を壊滅させたと言われているが、あれはただの敵軍の自滅だったのだと。


 この戦場にいたおれたちは全員、そのことを知っていた。


 それだけだ。





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