第107話 辺境の聖女は重要人物 どの人もここを通り過ぎていく



 いつの間にか、オーバさまとクレアはこのアルフィを抜けていた。そして、イズタのいるテツの村に立ち寄り、そのまま北のカイエン候を押さえに向かったらしい。


 次々と届く報告によると、シャンザ公が檄を飛ばした諸侯のうち、この内戦の初めに国王に唆されて辺境伯領に攻め込んだ諸侯は、動きを見せていないようだ。

 一度攻め込んで痛い目にあったことがあるから、その手には乗らない、というところだろうか。


 同じように檄が飛び、脅迫も受けていたのだが、辺境伯領の団結は崩れていない。


 フィナスンが言うには、あの男爵二人は自分たちよりも貧しくて弱い相手に従わない程度には賢い、らしい。

 まだ若い辺境伯は、男爵たちの了解なく動けないようなので、南部の安定は今のところ崩れそうにない。

 そもそも、軍備も、食糧も、辺境伯領の方が充実している。それを寝返らせようというのに、ただの言葉だけでは無理だという。


 どうやらシャンザ公の思惑は外れたらしい。

 それどころか、シャンザ公は檄を飛ばした結果に苦い顔をしているという。


 飛ばした檄に一番反応したのは、シャンザ公の最大の敵となるカイエン候だったのだ。


 カイエン候はシャンザ公の檄に応じると宣言し、辺境伯領へと攻め込む南部侵攻に協力するかどうかをそれぞれの町の諸侯に問いかけ、協力すると答えた諸侯には軍を出させ、協力しないと答えた諸侯の町は包囲して攻めた。


 カイエン候の勢力圏は北部であり、まだ辺境伯領からは離れているので実際に南部侵攻は行われていない。

 しかし、シャンザ公の檄を大義名分にして、北部の諸侯を次々と支配下に置きつつ、従わない諸侯の町を攻めていく。

 これまではこじつけのような強引な理由で近くの町を攻めていただけだったのに、今は堂々と他の諸侯の町を攻めることができている。

 シャンザ公の檄は、最大の敵を強くしてしまったのだ。


 王都を押さえたシャンザ公と勢力を拡大するカイエン候。


 実際には敵対し、それぞれ互いに相手を倒したいと思っているのだが、これで表面上は共闘関係となった。


 問題は、その敵が私たち、辺境伯領とされていることだ。






 イズタからの驚きの報告から十日。

 大草原からアイラさまの率いる馬に乗った軍勢がアルフィの門をくぐった。


 アイラさまはお父さまの政庁に出向いてあいさつした後、神殿の私のところにも顔を出してくださった。


 私は座ったまま、アイラさまを出迎えた。


「久しぶり、キュウエン。おなか、大きい。元気な子、産んで。楽しみ」

「ありがとうございます、アイラさま。こんな状態なので、私は戦場に出られませんが、どうかよろしくお願いします」


 アイラさまは、大草原の言葉で話す。私には、途切れ途切れにしか分からない。でも、過ごす場所は違っても、オーバさまの妻の一人である私に対する優しさは感じる。


「戦、大丈夫。問題、ない。馬、前より多い。キュウエン、驚く」

「あの時よりも? そんなにたくさんの馬を連れてきてくださったのですか?」


「大草原、ほとんどの馬、出す。あいつら、ちょっと、馬鹿」

「???」


 アイラさまが最後に言った言葉は少し分からなかったが、あの戦いで怖ろしいくらい辺境伯軍を崩壊させた馬の軍勢が、あの時以上に用意されているらしい。


 圧倒的な速さで、次々と歩兵を踏み潰していった大草原の馬の軍勢。

 これが前回以上の数で味方になっている。

 こんなに心強いことはない。


「アイラさま、今日はアルフィに?」

「すぐ、出る。馬、草、食べる。町、草、足りない」

「ああ、そうですよね」


 確かに、馬のエサまでアルフィでは用意できない。


 私は座ったままアイラさまとの会談を終え、アイラさまはそのままアルフィを発った。






 アイラさまたちに遅れること五日。

 今度は、ジッドさまが歩兵とともに現れた。


 その中には、私の許可を得て大森林を目指した巫女騎士のリエンとシエン、それに神殿騎士のカリフもいた。さらには、あの辺境伯との戦いで共に砦を守ったトゥリムが一緒だった。


「聖女さま、長く御身を守る役から離れましたこと、お詫び申し上げます」


 神殿騎士のカリフが私の前にひざまずき、その後ろには巫女騎士のリエンとシエンも控えていた。トゥリムはそのさらに後ろで立っていた。


「無事に戻ってくださって何よりです。それにしても、馬に乗ったアイラさまたちとさほど変わらぬ速さでここまで来ましたね? どれほど走ったのですか?」

「いえ、聖女さま。徒歩での行程もありましたが、ジッド殿の指示でその多くは舟を利用しました」

「舟・・・確か、川の上を移動できると聞いていますが、馬ほどではないにしても、そんなに速いものなのですね」


「それどころか、馬よりも速いこともあります。川の流れに乗って、しかも、追い風の場合には草原を走る馬など、あっという間に置き去りですから。ただ、その速さも、川幅の大きなスレイン川だけでしたので、どうしても徒歩の分、馬よりは遅れました」


「そうでしたか。それで、今日はアルフィで休息を?」

「いえ、オーバ殿の指示で、装備を整えるため、この先に新しくできた村へと向かいます」


 ああ、この人たちも、ここを通り過ぎていくのか、と。


 私は少し寂しく思った。


 そのまま顔を上げて、三人の後ろにいたトゥリムを見た。


「久しぶりですね、トゥリムさん。今度の戦いでも、力を貸して頂けますか?」

「・・・オーバ殿から、聞いていませんか?」

「はい?」


「いえ、何でもありません。今度の戦いは、あの時よりも大きな戦いになるでしょう。それでも、この数年間で辺境伯領が蓄えてきた力は圧倒的です。まずは、北のカイエン候を破り、それから東のシャンザ公を黙らせましょう。私も全力で勝利のために動きます」


「・・・ありがとうございます。あの時のように、共に戦場に立つことはできませんが・・・」


 私はそっと自分のおなかに触れた。「私もここで、このアルフィで、みなさまを支える戦いを続けたいと思います。カリフ、リエン、シエン。あなたたちはこのまま、トゥリムさんやジッドさまと共に戦場へ。大森林で磨いた力を、この戦いの先にあるいつかのために使ってください」


 短く、鋭い、了承の返事が部屋に響いた。






 それからおよそふた月。

 王国中央部近くでの戦況は交代で戻る神殿騎士や巫女騎士、または神官などから、十日遅れくらいで伝え聞くことになる。


 辺境伯領へと向かう途中にある四つの町を落として南下してきたカイエン候の別働隊が急にその勢いを失い、落とした町から軍勢を退いて北へ戻ったこと。


 その一方で六人の諸侯を引き連れたカイエン候の本隊が辺境伯領に侵入し、ユゥリン男爵の支配下にあるツァイホンの町を包囲したこと。

 ツァイホンの町は三日間、四方から攻め続けられたが、堅い守りで六人の諸侯の軍をはね返し、領外へと退かせたこと。


 その後、ジッドさまとトゥリムさんの率いる歩兵隊四百名がカイエン候の本隊を追撃し、リィブン平原での会戦で千五百もの敵兵を壊滅させたこと。その時、イズタが作った武器が決め手になったこと。


 敗れたカイエン候が王都のシャンザ公に救援を求めたこと。

 シャンザ公が王都周辺の町から徴兵した千と少しの救援兵を出し、カイエン候が自軍の指揮下に組み込んだこと。


 ジッドさま、トゥリムさんの率いる歩兵隊は名目上、お父さまが指揮しているとされていること。

 そして、お父さまとフェイタン男爵が合わせて千の軍勢を率いて、救援兵を含むカイエン候の軍勢を潰走させ、カイエン候を捕えたこと。

 その中心となったのはやはり大森林で鍛えられたジッドさまの歩兵隊とアイラさまが率いた騎馬隊だったこと。


 シャンザ公がさらなる檄を飛ばして諸侯を動かそうとするが、動く者はもういないということ。

 王都からシャンザ公自ら三千の軍を率いて出てきたということ、など。


 次の戦いに勝利すれば、あとは王都を奪い返すだけ、というところまできた。


 スレイン王国の内戦はもうその終わりが見えていたのだ。






 がたり、という物音に、護衛の巫女騎士が立ち上がる。


 もうすぐ陽が沈むという時間に、戦場からまた誰かが戻ったのだろうか。


「聖女さま、一応、奥へ」

「いえ、何かあったのなら、どのみち私はろくに動けません。ここで大丈夫です。あなたたちを信じて任せます」


 二人の巫女騎士が視線をかわし、私を守ろうという意思を瞳に宿らせる。


 寝台に腰をかけた私は、その姿を見て、ありがたいことだと思う。


 辺境の聖女と呼ばれ、ちょっと神聖魔法が使えるだけの、名ばかりの聖女に過ぎない私を、亡くなられた巫女長ハナさまの遺言に従い、命がけで守ろうとする人たち。


 私はこの方たちの主人としてふさわしくいられたのだろうか、と思う。


 ここ、辺境都市アルフィは、主戦場から遠く離れている。それでも、王家との確執から命を狙われている私の周囲は、本当に安全かどうかは分からない。


 物音ひとつで、巫女騎士が剣を抜くくらい、過剰に反応している。


 私はオーバさまの守るという言葉を信じるだけだ。


「キュウエン、そこにいるか?」


 外から聞こえる声。

 私を呼ぶ、その声は、私がもっとも待ち望む声。


「オーバさま?」


 護衛が私を振り返る。


「・・・開けてください」

「聖女さま、しかし・・・」

「この声を私が聞き間違えるはずがありません。すぐに開けてください」


 しぶしぶといった感じで剣を鞘におさめた巫女騎士は、部屋の戸を開き、さらに外とつながる入口の戸も開いた。


 前後を巫女騎士に挟まれたオーバさまが入ってくる。

 ああ、オーバさまだ。


 間違いない、本物のオーバさまがここにいる。


「よかった、ご無事で・・・」


 私は立ち上がろうとして、大きなおなかを抱えたが、うまく立てずにもう一度座った。


 オーバさまはさっと私に近づき、私の頬に触れた。

 ずっと外にいたからだろうか、手が冷たかった。


「キュウエン、すまない。どうしても行かなければならないところができた。この内乱のことは、アイラとジッド、それにトゥリムに任せてある。あと少しの辛抱だ。必ず、うまくいくから」

「オーバさま? いったい・・・」


「男爵の了解も得た。ティティンは、トゥリムの子と婚約させることになる。勝手に決めてしまってすまない」

「・・・ティティンが、婚約? トゥリムさんのお子さまと、ですか?」


 訳が分からない。

 いったい、何がどうなっているのか?


 オーバさまの冷えた手が私から離れていく。


 そのまま、オーバさまは入ってきたように部屋を出ていく。


「元気な子を産んでほしい。頼む、キュウエン・・・」


 その言葉を最後に、オーバさまの姿は外へと消えた。

 私はそのままオーバさまが消えた入口を見つめていた。


 ばたん、と巫女騎士が音を立てて戸を閉めた。






 もはや子どもではなく、胸やおしりに女らしさを感じさせるような姿に成長したウルさまがアルフィにやってきて私と再会したのは、オーバさまが去った二日後のことだった。





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