第106話 辺境の聖女は重要人物 あの者たちではおさめられない(2)



 音もなく飛び跳ね、音もなく着地する。


 いや。

 かすかな衣擦れの音だけは、聞こえる。


 大地に沈み込むかのように低い姿勢になったかと思うと、身体を大きく伸ばして空へと腕を広げる。


 その動きに合わせて、美しい衣が揺れる。


 女神さまが降臨なさったときに、着ていたあの美しい服にそっくりな・・・。


 くるり、と左足だけで身体を回転させ、そのまま右足だけで、くるり、と、その反対へと回転する。


 回転に合わせて、衣の裾がふわり、ふわり、とふくらんではしぼむ。


 私がクマラに贈られた布で仕立てた服よりも、さらに美しい、女神さまの衣装。


 大森林の巫女服。

 巫女服を着て踊るジルさまは、ほんのりと祈りの光に包まれて、輝いている。


 神楽舞、というものらしい。


 お父さまも、巫女騎士たちも、神殿騎士たちも、神官たちも、巫女たちも、息をするのを忘れたかのように、ジルさまの踊りに見入っていた。


 ジルさまは、女神さまに祈りを捧げながら踊ることで、女神さまの奇跡を授かるという。


 昨日、ジルさまから与えられて口にしたティティンが、目をまんまるに開いて驚き、その甘さに喜びの声をあげた、黒糖。

 その黒糖という甘味は、ジルさまがこの神楽舞によって、女神さまから奇跡として授かったものらしい。


 昨夜の寝所で、オーバさまからそんな話を聞いた。


 昨日、ジルさまがお父さまに協力を申し出て、翌日の今朝、かなり早い時間から、こうしてジルさまは踊っている。


 黒糖は、ほんのわずかしか分けてもらえない、糸以上に貴重な、大森林からの産物だ。


 ・・・フィナスンはこっそり手に入れているらしい。オーバさまが教えてくれたから間違いない。


 今度、少し分けるように言ってみるとしよう。


 やがて、ジルさまを包む光は、輝きを増して・・・。


 ジルさまから、光の柱が天を突くように立ち上っていく。


 これが、大森林の巫女王の神技。


 私も辺境の聖女などと呼ばれているが、とても真似はできない。できるはずがない。


 周囲の沈黙に包まれたまま、ジルさまの動きは止まった。

 誰も、言葉を発しない。言葉を発することができない。


 目を開いたジルさまは、お父さまを見た。


「スィフトゥ男爵、それにキュウエンさま。町の外へ向かいます。戦える者を連れて、ついてきてください」


 ジルさまにそう言われて、私はオーバさまを見た。

 オーバさまがうなずく。


 そうして、私たちはジルさまを先頭に神殿を出て歩き出した。






 戦える者を、と言われたので、神殿騎士と巫女騎士を合わせて七名、フィナスン組の若手を五名、護衛として森の中を進む。


 私も、お父さまも、もちろん戦えるのだが・・・。


 実は、護衛は必要なかったのではないか、と思う。


 アルフィの近くの森の中に住む大猪は、フィナスン組が五人がかりでなんとか一頭を倒す、という強い獣、のはず。


 それが、先頭を歩くジルさま、お一人であっさりと絶命・・・。


 最初の一頭を倒す姿を見たときは、衝撃を受けた。


 私たちに気づいた大猪が、まっすぐに突進してくる。

 その速さ、その体躯。

 ぶつかったら、無事ではいられない。


「危ないっっ!」


 フィナスン組の若手が叫ぶ。


 それなのに、何事もないように歩みを止めないジルさまは、歩きながらさっと銅剣を抜く。


 オーバさまも、気にした様子もない。

 私たちは立ち止まって身構えていたのに。


 ジルさまが大猪とぶつかる、と思われた次の瞬間、ジルさまはすっと大猪の突進を横にかわした。


 そのままの勢いで大猪が私たちの方へ・・・と思っていたら、少しずつその速度は落ちて、私たちにたどり着く前にばたりと横に倒れた。


 よく見ると、大猪の片方の目に、銅剣が柄の手前まで深々と突き刺さっていた。


 倒れた大猪を囲むように半円の形になっていた私たちの前に、いつの間にか戻ってきていたジルさまが表情を変えることなく、刺さっていた銅剣を引き抜いて、さっと血を払うと、腰の鞘に納めた。


「血抜きの処理を頼むよ」


 オーバさまがそう言って、ロープをフィナスン組の若手たちに渡すと、戸惑いながらも若手たちは協力して、大猪を木に吊るした。


 作業が終わるまでは休憩だったが、その間ずっと護衛の神殿騎士や巫女騎士が、小声でジルさまの早業について興奮気味に話していた。


 かわしただけにしか見えなかった一瞬の突き。

 これ、戦える者を連れてきた意味はあるのだろうか?


 少なくとも、オーバさまとジルさまには、護衛は全く必要ないと思えた。


「・・・これが、大森林の巫女王、か。まさか、これを見せつけるために森へ来たのか?」


 お父さまのつぶやきに私は振り返る。

 お父さまも私の目を見つめる。


「大森林や大草原に手を出す気はなくなりましたか、お父さま?」

「・・・はじめからそんなつもりなどない。心配するな。離れていて、隣り合っていなくて、心から良かったと思っただけだ」


「それだけ、ですか?」

「それだけ、とは?」


「・・・いつか来る、戦いの場で、大森林の方々が私たちの味方になってくださるかどうかは、お父さま次第なのでは?」

「それは、そなた次第だろうに・・・」


 苦笑したお父さまの目は、不思議と優しいものに見えた。

 私は何も答えず、お父さまから視線をそらした。


 それから、大猪をさらに二頭、立派な角の大きな山羊を一頭、本当に、何事もなかったかのように、ジルさまはあっさり倒して進む。


 倒すたびに、血抜きの処理のため、休憩となるが、それがちょうどよかったのかもしれない。


 ジルさまが山羊を倒した後、オーバさまがくすりと笑って、お父さまに「この角はやるよ」と話しかけていた。


 お父さまが何と答えたのかは分からなかったが、以前、そんなやりとりがあったことを思い出した。

 お父さまは、私をオーバさまに娶らせようとして、この角と私の交換を申し出たのだが、娘をたかが角なんかと交換するな、とオーバさまに叱られていた。


 娶らせるための口実だったのだが、まじめに反論され、叱られていたのが、今となっては微笑ましい話だが、あのときの私は、角との交換を断られたことを残念に思ったのだ。


 山羊を倒したとき、フィナスン組の若手たちが何か騒いでいた。彼らには彼らの、大森林の人々の力に対する畏怖があるのだろう。


 ふいに、ジルさまが足を止めた。

 一団が一斉に止まる。


「ジル?」


 オーバさまがジルさまの肩に触れる。

 あまりにも自然なその触れ方に、私はさびしさを感じる。


「オーバ、あれ」


 ジルさまが腕を伸ばして、指さす方をみなが振り向く。


 そこには、白い花・・・のような何かをつけた植物が、見渡す限りの範囲で群生していた。


 それは不思議な光景だった。


 ふわふわで白い、花のような、花ではない、何か。


「・・・綿花」


 オーバさまが小さくつぶやいた言葉が、私の耳には届いた。


 メンカ、とは?


 お父さまが近づいて、白いふわふわを取る。


 何度か握ったり、引っ張ったりして、確認している。


 私はオーバさまの隣に立ち、そっと、その手を握って問いかける。


「オーバさま? これは、何でしょう? ご存じなのですか?」

「・・・おそらく、これは綿花。たぶん、糸の材料になるものだね」


 振り返ったオーバさまが微笑んだ。「どうやって糸にするかは、試行錯誤が必要だけれど」


 糸の、材料。

 それが、アルフィからほど近い森の中に。


「キュウエンさま、お役に立てたでしょうか?」


 ジルさまが、私に向き合って首を傾げる。


 お役に立てたどころか・・・。


「・・・これで、アルフィは救われるのかもしれません。ありがとうございます、ジルさま」


 私はオーバさまの手を握ったまま、まっすぐにジルさまを見つめて微笑んだ。


 ただし、誰が、どうやって、この危険な森の奥までこれを採りに来るのか、という問題は残されたままだった。


 オーバさまの指示で、全てを摘まないようにしながらも、白いふわふわはそのほとんどを採集した。


 オーバさまは白いふわふわだけではなく、根を残すようにそのまわりの土ごと、この植物を五株、採集してかばんに納めた。


 私も白いふわふわに触れてみた。確かに、糸にできそうな気がする。羊毛よりも柔らかくて、手触りはすっとすべるような感じだ。油がないからだろうか。


 どうすれば、簡単に糸にできるかはオーバさまもよく分からないようだった。


「アルフィでも育てられるでしょうか?」

「うーん。気候は、この森から近いアルフィでなら問題ないだろうけれど、土がどうかな? まあ、それも、実験の繰り返しだよ。フィナスンところの連中に、土ごと何株か、持ち帰らせるといい。とにかく、いろいろと試してみないとね。なかなか難しいと聞いたことはあるけれど」

「そうですか・・・分かりました。お願いできますか?」


 私が振り返ると、フィナスン組の若者は、へい、姫さん、任せてくださいな、と土を掘り始めた。


「オーバ殿」


 お父さまがオーバさまのところに歩いてきた。「帰りは、ジル殿と共に後ろからついてきてもらえるだろうか? アルフィの者でここまでの往復ができるか、試したいのだが」


「分かった、そうするよ。でも、危ないと思ったら、手を出すけれど?」

「・・・そうならんように努めよう。キュウエン、神殿騎士や巫女騎士の力を借りてもよいか?」


「はい、かまいません、お父さま」

「そうか、助かる」


 お父さまが笑った。

 なんだか、お父さまの笑った顔を見たのは、久しぶりのような気がした。


 帰りは森を出るまでに三頭の大きな猪を倒したが、フィナスン組と神殿騎士たちが力を合わせて戦っても、猪を倒すまでにジルさまの何倍もの時間がかかった。


 神殿騎士たちは、ジルさまの圧倒的な強さ、自分たちとの力の差を思い知ったのだった。






 白いふわふわはカーニスたちがなんとか糸にしてくれたが、思ったほど細い糸にはならなかった。ただ、手触りが羊毛の糸よりも優しい感じがした。

 糸づくりの中心となったカーニスが言うには、この糸は羊毛の糸よりも水をよく吸うらしい。

 すぐに布にするのだとカーニスはセイレアを連れてオリキのところへ向かった。明日には布になっていることだろう。


 フィナスン組が持ち帰った株は、アルフィで植えてみたがすぐに枯れた。

 すぐにもう一度取りに行かせるとフィナスンは言ったが、枯れた原因も分からないのに次の株を持ちこんでも意味がないと私は断った。

 森の奥の群生地を荒らしては、それこそ白いふわふわが手に入らなくなってしまう。


 今はまだ、あの群生地を守りながら、アルフィであの白いふわふわのメンカを育てられるように、実験を繰り返していくしかない。


 そういう意味では、手強い獣がたくさんいるため、なかなかあの森の奥まで行くことができないというのも、今はちょうどよい。


 まだ私たちには、この宝を収める力が足りないのだから。





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