第105話 辺境の聖女は重要人物 その衣には値がつかない(3)
「・・・落ち着いたっすかね?」
フィナスンが水を飲みながら、あたしの顔色を確認している。
・・・落ち着いたわけではない。
落ち着けるはずがない。
内乱の王国内で、王から敵視されているのに落ち着いていられるほど、私は長く生きてはいないのだから。
そもそも私は、王都に行ったこともなければ、王に会ったこともない。お父さまだって、王に会ったことなどないだろう。
会ったこともない王に、どうして疎まれなければならないのか。
理解できても、理解したくないことだと思う。
「今、はじめて、私の置かれた状況を認識しましたよ」
「そりゃよかった」
ちっともよくない、と思う。
フィナスンが言っていることが嘘であればいいのに、と。
私は、護衛の巫女騎士に視線を動かす。
「・・・先ほどのフィナスンの話は・・・つまり、王が、私を敵視している・・・かもしれない、という話は、本当なのでしょうか?」
「・・・キュウエンさま。先ほどの話は、かもしれない、などというものではなく、その通りかと思います」
「何か、根拠は・・・」
「それが証拠だというわけではありませんが、巫女長ハナさまが亡くなった後、王は近衛兵たちに最高神殿を攻め落とさせました。まあ、そのときには、神殿関係者はほとんど王都を脱出した後だったのですが、王が最高神殿を敵視していたことは間違いありません。そのことがすぐにキュウエンさまを敵視するということにつながるとも言い切れませんが、今の王にとって、神殿とは、攻め落とすことにためらいのない存在なのです」
・・・根拠じゃないとも、根拠になるとも言えない。
でも、少なくとも、私に対して王が好意を抱いていないということはよく分かる。
「ま、姫さん、そんなに心配する必要はないっす」
この状況で何を言うのでしょうか。
心配しかないと思う。
むしろ、フィナスンにはもっと真剣な表情で心配してほしいと思う。
「なぜですか?」
「神殿騎士も巫女騎士も、完全に姫さまの味方っす。それに、王さまだろうが、諸侯だろうが、神殿騎士や巫女騎士の守りを破って、姫さんを暗殺できるような者はいないっすよ。そもそも、自覚はないようですが、今の姫さんは、巫女騎士と互角か、それ以上に強いはずっす」
「は・・・? どういうことです?」
「オーバの兄貴がそう言ってたっすから、間違いないっす」
・・・オーバさまが?
そんなことがあるのだろうか?
私が、王国最強と名高いこの方たちよりも、強い・・・?
「信じられないのなら、明日っから、みなさんとの訓練に参加してみることっすね」
・・・オーバさまがそう言うのなら、そうなのかもしれないが。
今の話で、もっと心配になったと、フィナスンは分かってるのでしょうかね?
それは、私は、王都の間者たちから暗殺対象として狙われているかもしれない、ということになるのでは・・・?
嫌な思い出が頭をよぎる。
「王都の間者については、うちの者はもちろん、男爵も万全の態勢で排除してるっすよ。あれでも、相変わらず、娘がかわいいみたいっすからね」
お父さまが?
・・・いえ、私とちがって、お父さまは現状を誰よりもよく理解なさってたことでしょうし、それを踏まえて、私を守ってくださっていた、ということ・・・?
ますます自分が情けない気持ちになる。
「・・・私は、これから、どうすればいいのです? 布づくりや糸づくりをしている場合ではないような気がします」
「逆ですって、姫さん。今のまんま、布づくりや糸づくりをしてりゃあいいんすよ。辺境伯領は、この内戦に対して防衛のみ。他領に攻め入ることなく、大草原、大森林との交易に力を入れる。王国内で戦好きが血を流してる間に、みんなで美味しい物を食べて、笑ってりゃあいいんす」
「・・・それで、いいのでしょうか?」
「そうっす。まあ、後は、このことを知ったからには、ただ守られていた今までとちがって、これからは、もっとみなさんから情報を仕入れて、王国全体の動きに目を向けることっすかね」
「・・・フィナスンや、みなさんは、私には何も知らせず、私を守っていてくれたのですね」
「ま、それがオーバの兄貴の頼みっすから」
フィナスンはにかっと笑った。
そうか。
私は、遠く離れていても、オーバさまに守られていたのか。
複雑な思いを抱きながらも、私の胸は少しだけ温かくなったのだった。
それから、私は、巫女騎士たちの訓練に参加したり、神殿のみなさんが各地から仕入れてきた情報を聞き取ったりと、これまでとはちがう、王国全体に意識を傾けるように、私自身の考えを変えた。
今までの自分の甘さ、愚かさと向き合うのは、なかなか恥ずかしいことだった。
ただ、オーバさまの言う通り、私は巫女騎士たちと互角か、それ以上に戦える、ということは実感できた。
自分のことは、意外と自分が知らないものだと気づいた。
各地を回って戻ってくる、神殿騎士や神官たちともいろいろ話して、多くのことを私は知った。
内乱当初、辺境伯領に攻め込んだ諸侯は、実は王に唆されていたこと。
今、内乱は、最初に辺境伯領に攻め込んだ諸侯の町を中心に混戦となっていること(辺境伯領に攻め込んで撃退されてしまったために、兵力を欠いてしまったことが要因。王に唆されて、その結果として自分の領地が攻められてしまうなんて、自業自得だと思う)。
王国全体では、北方のカイエン候、東部のシャンザ公、の二人がじわじわと支配圏を広げていること。
王の勢力圏は、王都とその周辺のわずかな地域しかないこと。
実は、王から、私が王都へと呼び出されていたが、それを無視して、相手にしていないこと(これには本当に驚いた。しかも、無視し続けたにもかかわらず、何のお咎めもないというのでなおさら驚いた)。
何もせずに、辺境伯領で大人しくしていれば、王もうかつに手出しができないこと(王には独自の軍勢がたくさんいるわけではなく、せいぜい諸侯を唆すくらいしかできないらしい)。
今では、王国全土から避難民が辺境伯領を目指していること(そうなるように、いろいろな噂を辺境伯領からの間者が各地で広めているという話を聞いて、しかも、それがオーバさまからの指示だと知って、そのことにも驚いた)。
「・・・フィナスン殿の言葉をお借りするなら、『戦わないのが勝つ道だ』とのことです」
「フィナスン・・・」
フィナスンは、オーバさまに学んで神聖魔法まで使える、優秀な人物だ。
なんだかんだ、神殿騎士や巫女騎士も、フィナスンやフィナスン組には一目を置いている。
神殿関係者の方が、神聖魔法を使えないのだから、それも当然なのかもしれない。巫女長ハナさまでさえ、神聖魔法は使えなかったという。
ただし、ハナさまには、神聖魔法以上に神聖さを感じさせる『預言の力』があったというから驚きだ。
「ありがとうございました。また、いろいろと聞かせてください」
「はい・・・あ、それと」
神殿騎士の部隊長を務めるその男性は、一度、席を立ちあがってから、私を振り返った。「王都では、辺境都市アルフィの衣類が評判になっているようですね」
「? どういうことでしょうか?」
「辺境都市には、とても美しい服がある、と噂になっているそうです。どうやら、キュウエンさまを遠目に見た者が、その服のことを、広めたらしくて」
「遠目に見ただけで、そんな噂になるのですか」
「おそらく、スィフトゥ男爵が辺境伯に贈られたアルフィの新しい布と、それで作った辺境伯の服を見た者が伝えた話が、どこかで混同されたのだと思います」
「お父さま・・・辺境伯にあの布を献上していたのですね」
「キュウエンさまの服と、辺境伯の服は、別物なのですよね?」
「・・・この服は、大森林から贈られた本当に特別な布で仕立てたものなのです」
「そうだとしても、王都の者にはそんなことは分からないでしょうからな。辺境都市の服だと思われているようなので、そのまま、その噂を広めて、さらに辺境伯領へと人が流れるように仕向けています」
「その噂のせいで、王から、この服と同じものを要求されても、用意できないのですが?」
「要求されても、相手にしなければよろしいのでは? 王には、辺境伯領の我々を従わせるだけの力はどこにもありませんよ?」
「王の言葉を無視しているというだけで、私には心苦しいのです」
「キュウエンさまらしい。どんな宝とでも交換することはできない、貴重な布でできた服なのだとでも言い返せばよいのです」
「そんな・・・」
「フィナスン殿のように言わせてもらえるのなら、そうですな、『この服に値がつけられるものなら、つけてみせろ』とでも言いましょうか」
「・・・あなたたちも、そういう冗談を言うのですね」
「これはこれは・・・フィナスン殿に我々もずいぶん馴染んだということで、どうかお許しを」
彼の柔らかな微笑みに、私も笑顔を返すしかなかった。
神殿騎士や巫女騎士がこのアルフィに馴染んできているのだと感じられたのは良かった。
それにしても、そんな小さな噂まで利用するなんて、本当にこの人たちは、たくましい。
新しい布は、もうすぐ完成する。
また、お父さまに差し上げて、どこかへの贈り物として利用していただくのがよいのかもしれない。
そんなことを私は考えたのだった。
フィナスン組の隊商は、だいたい、ふた月かけて、大森林とアルフィを往復している。
カスタとの交易には使わないという条件で、オーバさまがフィナスンにだけ馬を五頭、貸し出してくれた。
その馬と、荷車をつなぐ道具は、イズタがオーバさまと相談して作った。
フィナスン組の隊商は、積み荷の量にもよるが、だいたい荷車三台から五台で、馬とともに大森林を目指す。
その時に、ちょうど一枚分の、細い羊毛の糸を、大草原のナルカン氏族から届けてもらえる。
結局、ふた月に一度材料が届き、そこからふた月かけて布を織ることになる。ちょうどよいと言えば、それもそうなのかもしれない。
カーニスは、神殿にやってくる他の未亡人に声をかけて、アルフィの羊毛でなんとか細い糸を作り出そうとしていた。
細くしようとすると、糸が途中で切れてしまう、という失敗を繰り返して、悪戦苦闘しているようだ。
何か、糸の強度を高める工夫が必要なのだと思うが、そのための方法は思いつかない。
大草原の産物だからと、オーバさまはアルフィには教えてくださらなかった。
実物があるのだから、できないわけではないのだ。
それに、クマラが言っていた、『オリキ』というものも、気になる。
一度、大森林に行ってみたい気もするが、私はカスタにさえ、行ったことがない。
もし、そこまで行けば、教えてもらえるのだろうか?
それとも、そこへ行っても、教えてもらえないのだろうか?
今なら、少しだけ、分かる。
オーバさまは、大森林の王。
だから、大森林の利となるように、動いている。
私が甘えて、ねだったとしても、大森林の利を失うようなことは、しないのだろうと、思う。
大森林ではなく、大草原にいるライムさまは、いったい、どんな思いを抱えているのだろうか。私と同じように、さみしい思いをしているのだろうか。
ただ、オーバさまに、お会いしたい。本当に、それだけを考えていられたのなら、どれほど良かったことか。
この神殿と、アルフィと、カスタや辺境伯領と、そしてスレイン王国と。
私を取り巻く、いろいろなもやもやが、振り払うこともできずに、私を捕まえる。
どうせ、そこから、逃げられはしないのだ。
もうすぐ完成するという三枚目の新しい布を見に、作業小屋へ私は足を運んだ。
カーニスが、私より少し年下の若い娘に、布の織り方を丁寧に教えながら、やらせていた。
この娘も、あの戦いの時には、私たちと一緒に大草原へと逃げた者だ。この子は、あの戦いで父を亡くした。
お父さまに渡した二枚目の布は、お父さまの服に仕立てられた。
お父さまの服がとても良い物になったのはいいのだが、その服が私の服よりも格下・・・ということは、どうしても避けられなかった。
私とお父さまの関係のために、クマラからせっかくいただいた布で仕立てた私の服を使わないという選択はしたくない。
そもそも、私自身、素敵な服を着たいのだ。
三枚目の布も、完成すれば、お父さまに渡すつもりだ。
どうやらお父さまは、三枚目はそのままとっておいて、四枚目が完成してから、辺境伯領の残りの二人の男爵に、同時に贈るつもりらしい。
どちらかに先に贈るのは難しいので、そうするべきだと思う。
この布は、贈り物として、大きな効果が出ているようだ。
それが、王都で誤解された噂のせいだというのが、気になるところでは、ある。
「カーニスさん、これ、指と目がとても疲れます」
「セイレア。あきらめな。そういうものなんだよ」
「ちくちくと、たて糸とたて糸の間を通していくのはものすごく気力を消耗しますし・・・」
「だからあきらめなって・・・ああ、一本とばしたよ、戻しな!」
「ああ、もう・・・」
なんだか、この布づくりは、本当に大変そうだ。
職人を育てたいが、この困難さを乗り越えるだけの、何かがいるのかもしれない。
それとも・・・。
「そういえば、大森林のクマラが、何か、言っていた気が・・・」
「なんです、姫さま?」
「なんだったかしら。たしか、オリ、キ、とか?」
「オリッキ? なんです、それは?」
「大森林の布は、たて糸が五百で・・・」
「はあっ? あ、いえ、すみません。ちょっとびっくりして・・・たて糸が五百、ですか? 何年かかるんです、それ?」
「びっくりするわよね。それで、私もその話に驚いたのだけれど、そこで、確か、クマラがオリキ、と言ったような・・・」
かたん、と作業小屋の入口から音がした。
話をしていた私とカーニス、それに若い娘のセイレアが入口を振り返る。
そこには、フィナスンと、イズタがいた。
相変わらず、イズタは私と目を合わさず、どこか空間を見つめている。
「フィナスン? イズタも? ここまで来るなんて、珍しいこともあるものですね」
「姫さんに相談したいことがあるっすよ」
「相談?」
「あっちで、話せますかね?」
フィナスンが、くいっと神殿の方を指す。
私は小さくうなずいた。
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