第105話 辺境の聖女は重要人物 その衣には値がつかない(2)



 神殿に隣接する作業小屋で、一人の女性が作業の手を止めた。


「ああ、手を止めないで、カーニス。ごめんなさい、邪魔をしたようね」


 私は慌ててそう言った。


 その女性、カーニスは、半年ほど前、病に倒れていたところを神殿で助けた未亡人だ。辺境伯との戦で亡くなった夫との間に一人、男の子がいた。

 息子は素直な少年だった。フィナスン組が神殿まで運んでくれなかったら、危なかったかもしれない。


 病は快癒し、自宅へと戻ったが、神殿には毎日顔を出し、いろいろな手伝いをしてくれていた。

 手先が器用で、まじめで大人しい性格をしていて、単純な作業の繰り返しを丁寧に行うことを決して嫌がらない。


 私は、カーニスに新しい布づくりを任せたのだった。


「姫さま、新しい布が、気になりますか?」

「ええ、もちろんです。でも、本当に気になっているのは、一日でどのくらい作業が進むのか、ということなのだけれど」

「一日で、ですか? そうですね・・・」


 カーニスは織っている途中の布を指し示す。「ここらあたりから、今朝は始めたと思います。もう二百回くらいはよこ糸を通したと思いますが、日暮れまで作業をしたとしても、この倍にはならないかと思います」


 私はカーニスが示した範囲を確認し、指で測ってみた。その幅は、人差し指の長さにも足りない。


「やはり、このくらいですか。完成まではふた月、かかりそうですね」

「姫さま、糸が細いですから、そりゃ、そうなりますよ。まあ、ずいぶんと慣れてきましたから、ふた月よりは数日、早く仕上がるとは思います。ウチの子は、この神殿の孤児たちと一緒に遊んでいますし、ここでの静かな作業はあたしには向いてますから」


「・・・布づくりの職人をもっと育てたいのですが」

「・・・ん、姫さま、それは難しいと思います」

「そうですよね」

「そうですよ。分かってらっしゃいますよね?」

「材料、ですね?」


「はい。今は、あたしが一人で作業をするだけで、もう他に残っている糸はありませんよ? 職人を育てたとしても材料がない。職人を育てようにも材料がない。まあ、麻布づくりはそれぞれの家でもやっているので、職人はそれほど育てるのに時間もかからないと思いますから、糸づくりを進めてはどうですか?」


「糸づくり?」

「そうです。大草原からこの細い羊毛の糸は分けていただいていると聞きました。大草原で作れるのなら、アルフィでもできるかもしれません。それに、できなくとも、今よりも少しでも細い糸になれば、それで布づくりをしてみてもいいのではないでしょうか?」


 糸づくりに、アルフィで取り組む。


 ・・・考えてもみませんでした。


 オーバさまに教えていただけなかった時点で、私にそういう発想はありません。

 言われてみれば、確かにそう。


 大草原から分けていただいたこの糸ほど細くなくとも、これまでの羊毛の糸よりも細いものをアルフィで作り出せば、それがアルフィの産物につながることは間違いありません。


 やってみた方がいいのではないか、と思う。


「誰か、手伝ってくれそうな者は・・・」

「姫さま、それこそ、たくさんおります。この町の未亡人はみな、姫さまと司祭さまの味方です。はっきり言って、男爵さまよりも、姫さまと司祭さまを慕ってますから」


 ・・・とんでもないことを聞いてしまった。


 カーニスの言う司祭さまとは、実はオーバさまのこと。

 このアルフィであの戦いにおいて、大草原まで一緒に逃げた人たちは、そう思っている。

 私も、フィナスンも、オーバさまが本当は大森林と呼ばれる一帯の王なのだとは、いちいち説明していない。

 国といえばスレイン王国しか知らない人たちに、オーバさまが王だのなんだのと伝え広まるのは、まずいだろうというフィナスンの考えに私は従った。


 私とお父さまの関係がうまくいかないのは、私自身の個人的な問題だけではないのかもしれない、ということに、私はようやく気付いた。


 あの戦いを生き残ったアルフィの人たちの多くは、お父さまよりもオーバさまのことを慕っているのだ。


 まあ、それも、お父さまの自業自得なのでしょうが。


 オーバさまのお顔を彫った最初の銅貨は、ほとんど利用されなかったので、フィナスンがお父さまの顔を彫った銅貨を新たに鋳造したら、みんなが使うようになったという笑い話すらある。


 今のアルフィは、お父さまが何かを命じて動かすよりも、私がそうする方が、より効果的に、より多くの人たちの協力が得られる状態なのかもしれない。


 そうだとすると、お父さまの苦悩は・・・。


 私は別に、お父さまと敵対するつもりはない。

 でも、お父さまとの不仲が知られていたとすると、これは、まずいのかもしれない。


 私はカーニスに礼を言うと、作業小屋を出て、フィナスンを呼び出してもらえるように頼んだ。






 神殿にやってきたフィナスンとの面会に、巫女騎士が護衛につく。

 二人きりで話したいところだが、いろいろと、立場が難しい。特に、聖女だとか呼ばれるようになってからは、その傾向が強い。


 フィナスンは気にしていないようだが・・・。


「姫さん、珍しく、慌てた呼び出しだったみたいっすね」

「・・・フィナスンに、聞きたいことがありましたので」

「何か?」

「今の、アルフィのみなさんは、お父さまの命令に、きちんと従っているのでしょうか?」


「はぃ?」

「その、何というか、お父さまよりも、私やオーバさまの方を重んじているのではないか、と・・・」

「・・・それを聞いて、どうなさるおつもりっすか?」

「どうするか、と言われても・・・」


「姫さんは、男爵を引退させて、この町を自分で統治する気があるのかどうか、と聞いてるっす」

「そんなつもりはありません・・・」


「それなら、気にせず、忘れておくといいですよ、その話は。町の者が、誰に従い、誰を慕うかは、それぞれ別の問題っす。それよりも、姫さんのことが心配になるのは、今頃、そんな程度のことで悩んでるってことっすよ。現状は、それどころじゃないっすけど?」


 フィナスンがあきれたように、ふぅっ、と息を吐く。「もはや、姫さんが心配しなきゃいけないのは、男爵と、というよりも、王と、ということの方っすから」


「はあっ?」


 思わず大きな声を出してしまった。


 それは、いったいどういう意味でしょうか?

 王?

 オーバさまのこと・・・ではないとすると、王?

 王都の、王?

 男爵と、私、というよりも、王と、私? という意味?

 どういう意味?


「フィナスン・・・? よく分からないのですが?」

「・・・おいらとしても、どっから説明したもんだか・・・」


「できるだけ、はじめの方から、教えてください」

「んー・・・姫さんはもちろん、神殿騎士や巫女騎士、神官や巫女たちが、どうしてアルフィへとやってきたかはご存じで?」

「はい。亡くなられた巫女長さまの遺言だとお聞きしましたが?」


 辺境の聖女に仕えよ、という遺言だったと聞きましたが、自分を聖女なんて言うのは少し恥ずかしいので言いませんとも。


「そして、王都の最高神殿をはじめ、王国各地の神殿関係者が、ほとんど、ここに集まっている、ということまではいいっすかね?」

「それも、理解しています」


「王国内からほとんどの神殿勢力はなくなり、それが辺境伯領の各地に配されているということもいいっすか?」

「そこも大丈夫、理解できます」

「では、神殿騎士や巫女騎士が、どのくらい強いのか、ということは分かってるっすか?」


「・・・みなさんから直接聞いたわけではありませんが、いろいろな方から、王国でも最強の戦士たちであると、聞いております。おかげで、この神殿の守りは万全ですし、この内乱の当初、辺境伯領に侵入した諸侯の軍もあっさり撃退できましたから」


「・・・つまり、姫さんは、今、王国で最高の軍事力を握っているということになるっすよね?」


 ・・・それは、確かに、そうかもしれません。


 お父さまの指揮下にあるアルフィの兵士たちよりも強い、フィナスン組のみなさんが私に協力的でいて、それよりも強いとされる、最高神殿の軍事力が私の・・・。


 あれ・・・?

 お父さまよりも、私の方が、大きな力をすでに握ってしまっている?

 いえ、それどころか、王国内各地の諸侯よりも・・・?

 もっと言えば、王都の王よりも?


 まさか、そんな・・・?


「姫さんは、お父上の男爵よりも、もっと言えば、王都の王さまよりも強い力、それも戦う力を握ってるっすよ」

「・・・まさか、と思いましたが、本当にそうなのですか?」


「本当にそうなのでございますですが?」

「フィナスン、言い方がとても変です」

「変にもなるっすよ、まったく・・・」


 フィナスンがあきれているのがよく分かる。


 ・・・そんなにあきれないでほしい、と思うのは、だめですよね。


 私は一度目を閉じて、それから目を細めて、フィナスンを見た。

 フィナスンはまっすぐに私と目を合わせる。


「つまり、王は、自分よりも大きな力を持つ私を敵視している、ということですか?」

「・・・まあ、それもそうなんですが、実際はもうちょっと、単純っす」

「単純・・・?」


 もうすでに、複雑な気がするのだが・・・。

 どこが単純なのか?


「姫さんは、王さまと巫女長さまのことをどのくらい知ってるっすかね?」

「・・・確か、前の王が亡くなられた後、今の王を支えて王位につけたのが巫女長ハナさまだったと聞きました。ちがいますか?」


「そこは、その通りっすね」

「そこは・・・?」

「そうっすね。それだけ聞くと、巫女長さまは王さまの味方って、聞こえるっすから」


 ええと、そうとしか、考えられないのだが・・・。

 フィナスンの言い方だと、そうではなく、その逆であるかのように、聞こえる。


「ま、今の王さまは、姫さんみたいなもんっす」

「はい?」


「要するに、親に反発する娘と同じってこと」

「はぃぃ?」


 ・・・否定はできないところがつらい。

 確かに、私は、そう。

 それと、同じ・・・?


「今の王さまは、幼い頃に、巫女長さまの助けで王となって、そのまま巫女長さまに支えられてきた。大きくなって、自分で王らしくやりたいと思うけど、巫女長さまが偉大過ぎて、うまくいかない。巫女長さまのおかげで王になったけど、巫女長さまが邪魔で仕方がない」


「フィナスン殿、もう少し、言い方というものが、あるのではないでしょうか・・・」


 私の護衛である巫女騎士がそう口をはさんだ。

 思わず、という感じで。


 私とフィナスンの会話に口をはさむなんて、初めてのことだ。


「間違ってるっすか?」


 フィナスンが護衛の巫女騎士を見つめる。

 巫女騎士は、すっと目をそらした。


 ・・・間違ってはないんだ。


「つまり、王さまと巫女長さまの関係は、王さま側からみると、どちらかと言えば、敵対的な関係だったと、そういうわけっす」

「つまり、と言われても・・・」


「王さまが敵視していた巫女長さまの遺言で、巫女長さまの最高戦力である神殿騎士や巫女騎士を味方につけた姫さんのことを、王さまはどう思うのかって、こと・・・っすけど、姫さん?」


 フィナスンが、びっくりした顔で、私を見ていた。


 私は、しばらくの間、あいた口を閉じることができず、そのままの顔で固まったのだった。


 だって!

 そんなこと、知らなかったし、知りたくもなかったんだから!





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