第105話 辺境の聖女は重要人物 その衣には値がつかない(1)



 私は久しぶりに神殿を出る。


「あー、うー」


 胸に抱いた娘のティティンは、もうすぐ一歳。

 よく泣き、よく笑う、可愛い我が子。


 私という娘しかいないお父さまは男児の誕生を強く願っていたが、生まれたのは女児だった。

 私にとっては、性別に関係なく、私とオーバさまの間に生まれた、大切な、大切な子。


 お父さまとの会話のそこかしこに、互いにすれ違ってしまうような言葉のやりとりが増えて、私たち親子の関係は、今、最悪の状況かもしれない。

 娘を抱いて歩く私の両脇に護衛の巫女騎士が、後ろに巫女が一人、付き従う。


 めざすのは、辺境都市アルフィの政庁。つまり、お父さまの邸宅だ。

 本当は行きたくない場所。


 私は、辺境都市を支配する男爵の娘だが、すでに家を出て、神殿を住処としている。


 移り住んだきっかけは、私が暗殺されかけたからなのだが・・・。


 今ではすっかり、神殿が私の居場所となっている。


 それに、あの頃より、神殿は拡大していた。

 王都の最高神殿を中心に、スレイン王国の各地から神殿関係者がアルフィの神殿に移住してきたからだ。

 もともとの神殿の建物だけでは足りず、周囲の建物の多くを神殿の領域として占有した。

 そこに住んでいた人たちには、別の建物を与えはしたが、結局は追い出してしまった。かなり強引なやり方だったのかもしれない。


 オーバさまと出会う前は、それが当たり前なのだと思っていたが。


 弱者を救いたいという思いは、もともと私にもあった。

 だからといって、何かができた訳ではなく、私は男爵の娘らしく、上からいろいろと命令するだけだった。

 その結果、どこかの弱者に何かの負担がかかることも知らずに、だ。


 神殿を拡大することについてお父さまと相談したときも、やはり言い争いになった。

 代わりの住処など関係なく、追い出せばいいだろう、などというお父さまと、もともと自分は同じような考え方をしていたのかと思うと、今では恥ずかしい。


 追い出された人たちから、何かを言われた訳ではない。それどころか、別の建物を与えたことで感謝されたくらいだ。

 それに、アルフィの神殿は、オーバさまがアルフィの人たちに薬で治療を施していたことから、住民からの人気があったことも、悪印象を与えない方向に影響している。もちろん、オーバさまがいない今も、神殿での治療活動は継続している。


 そもそも、アルフィの領主たるお父さま、スィフトゥ男爵が抱える兵士たちよりも、神殿に移住して私に仕えると誓った神殿騎士や巫女騎士の方がはるかに強かった。

 加えて、私をオーバさまの妻として支援しているフィナスンとフィナスン組も、男爵であるお父さまよりも、私の味方となっている。


 私自身はそんなつもりはないのだが、辺境都市アルフィでの支配権をお父さまと私が争っているように他の人たちからは見えるらしい。

 しかも、私がお父さまを圧倒しているという。そんな愚痴をこぼすと、フィナスンはいつも苦笑しか返さないのだが・・・。


 アルフィの政庁である私の実家、お父さまの屋敷の門の前で、私は小さくため息をついた。






「そろそろ、婿をとってくれんか?」


 開口一番、お父さまはそう言った。


 久しぶりに顔を合わせるというのに、これだ。


 私が胸に抱いた娘、お父さまからは孫となるティティンのことなど、話題にもならない。


 そもそも、私が婿をとる、という話にはならないはず。


「お父さま。分かっていらっしゃると思いますが、私は女神さまに仕える身です。婿をとって、お父さまの跡を継ぐ気はございません。そもそも、私の夫は、オーバさま、お一人です」

「その夫は、この町に居着かぬ。この政庁を任せることもできん」


「その夫のおかげで、あの戦いを乗り越え、今、この町があると思いますが?」

「・・・そんなことは分かっておる。だが、この政庁を動かし、この町を統治するということには、オーバ殿は役に立つまい?」


「このアルフィそのものの平穏は、大森林と大草原を統べるオーバさまがいてこそ、だと思います。あれだけの兵士を失い、それでもこの町は統治できているではありませんか? 大森林からは多くの食糧の支援を受け、今ではお父さまの領地となったカスタからの税収も加わり、この政庁の懐は以前よりも温かいはずでしょうし?」


「生まれた子が男児であったのなら、このようなことは言わぬ」

「この可愛いティティンを、男児ではないというだけで否定なさいますか」

「その子が可愛いことを否定しておるのではない」

「・・・とにかく、私は婿をとる気はございません、お父さま。諦めてくださいませ」

「キュウエン、そなたは、このアルフィを憂いてはおらんのか?」

「アルフィばかりを見ているお父さまの視野がせまい、としか思えませんね」


 私とお父さまは、まっすぐににらみ合う。

 そして、お父さまが目をそらす。


 最近は、いつも、こうだ。


「・・・それで、今日は、何の用だ? 珍しくここに帰ってきたのだ、用事があるのだろう?」

「そうでした。これを」


 私は後ろに控えていた巫女に手で指示を出し、お父さまに一枚の布を差し出させた。

 受け取ったお父さまが目を見張る。

 そして、手触りを確認し、お父さまは目を細める。


「できたのか?」

「その一枚だけでふた月、かかりますが、ね」

「ふた月、か」

「たて糸は二百。それ以上増やすと、半年はかかるかと」


「いや、二百で十分だ。このような上質な布など、王都でも手に入らないだろうしな。まあ、そなたが着ているそれとは、それでも比べ物にならんが・・・。この布であれば、いい値がつくだろう」


「・・・これは、オーバさまも、大森林から出す気はないようですからね。フィナスン組の者の話では、贈り物としては、少しだけ大草原でも見られるそうですが、商品として何かと交換してはいないようです。大草原でも、贈られた者は、みな自慢げに着て、手放さないとか」


「そなたの衣には値がつけられぬのだな」

「それでも、大森林では、当たり前の衣服だということです。そんなところの王を知らずに敵に回したお父さまは、本当に残念です」

「そなたは一言多い。今ではオーバ殿と敵対などしておらんしな・・・。まあ、そういうところが噂となって、大森林へと人を集めるのだろうな。ふむ、だが、ふた月で一枚とは、時間がかかるものだな」


「二百ものたて糸に、ひとつひとつよこ糸をくぐらせていく職人の苦労を思ってくださいませ。そもそも材料となる細い羊毛の糸自体が希少ですから、作る機会も少ないでしょうし。この糸は、オーバさまが約束通り、大草原の氏族たちからアルフィへと仕入れられるように手を打ってくださった分だけです」


「麻とは手触りからしてちがうし、羊毛の太い糸で編んだものと見た目も異なる。大草原ではこの布を作らぬのか?」

「大草原では、細いこの糸でも、そのまま編むそうですね。太い糸で編むものとはちがって、薄い衣類ができるので、夏にはとてもよいとか。それでも一度、布として織るのとはちがって、荒い出来になるようです。それに、まだ作り始めたばかりで、数はほとんどないようですよ」


「・・・一番よいのは、オーバ殿から大森林の布を仕入れることなのだが、それが叶わぬというのであれば、この新しい糸での新しい布というのは、正解なのだろう。それで、どのくらいはできるのか?」

「お父さま。ふた月に一枚ですから、年に六枚です。それ以上の数が作れるようになるには、手に入る糸の量が増えて、布を織る職人が育たないと無理です。成果を求めるのなら、数年待つことになるでしょう」


「・・・そういうものか。カスタでは今年、麦の値が下がるほど、新しい穀物が実ったというが」


「米、の話ですね。その噂は、本当だとフィナスンも言っていました。これまで使えなかった低地が農地に変わり、麦だけでなく、食べられるものが増えたとナフティは大喜びだったそうです。昨年の収穫のほとんどは種として、今年、来年、再来年と、植える広さを大きくしていくそうですから、大森林からの食糧に頼らずともやっていけるのだとか。アルフィの麦がカスタでは売れないとフィナスンが頭を悩ませていました。これでカスタはますます栄えるでしょうね。お父さまの領地ですよ、良かったですね」


「栄える地は全て、大森林からの影響を受けておる、か。ここ、アルフィも栄えてほしいのだがな」

「移住者は増えているのでしょう?」


「そのうちの半数以上が、ここを抜けてその先にあるどこかを目指すのだ。アルフィ自体に魅力を持たせなければそれを止められぬよ。たった一度の戦で、ここまで苦しむとはな」

「数年辛抱すれば、状況は変わるでしょう。あの戦をそのように後悔していらっしゃるのなら、アルフィの立て直しに全力を傾けてくださいませ」


「分かっておる・・・やれやれ、そなたが男であったのなら・・・」

「また、そういう話ですか。それでは私は神殿へ戻ります。お父さまはティティンを抱く気もないようですからね」


 そう言って、私はお父さまの前を辞した。

 慌てて私を呼びとめようとしたお父さまを無視して、私はそのまま歩き去る。


「その布は、どうぞ、お父さまの思う通りにお使いください」


 そう言い捨てて、私は政庁の外へと出た。






 そのまま神殿に戻るのではなく、私はイズタの工房へ立ち寄った。


 カン、カン、という大きな音を立てていた作業の手を止めて、イズタが振り返る。


 相変わらず、私とは目を合わせないのだが。


「キュウエンさま、どうかしましたか?」

「神殿を出て、政庁へ行く用事があったので、その帰りにここをのぞいてみようと思っただけです。イズタは元気にしていましたか?」


「はい、元気ですよ」

「今は、何を作っていたの?」

「ああ、これです」


 そう言って、イズタは私に、黒い塊を渡す。


「矢じり、ですか? 銅のような輝きがないようですが、これは、石?」

「石ではない、ですね。これが、鉄、です」

「これが、テツ・・・」

「そうです」


「・・・イズタが以前、言ったように、この矢じりなら、銅の胸あてを貫くことができるのですか?」


「これでは、まだまだです。改良が必要です。炉の温度も、まだ上げていかないと、硬い鉄はできません。それに、量も作れません。あと、銅の胸あてを貫くのであれば、弓自体も強化しないと無理でしょうね」


「・・・驚きました。ずいぶんと、流暢に話すようになりましたね」

「勉強、しましたから」


 イズタは恥ずかしそうにうつむいた。


「・・・本当に、テツ、の材料は、スレイン川から採れるのですか?」

「あのへんの川砂の中には、砂鉄が多く含まれているようですね」

「サテツ、ですか?」

「ええ、砂のような状態の鉄のことです」

「砂のようなテツ・・・そのような小さな粒を集めて、これを作るのですか?」


 それは、とてもなく大変な作業のように、私には思えた。


 そもそも、このアルフィからスレイン川へ行こうとすれば、断崖絶壁が待っている。イズタは、カスタの方へと一日歩いて、安全なところからスレイン川へと踏み込んでいると聞く。


「粒を集めて、という訳でないのですが・・・」

「製法は秘密、でしたね。すみません」

「いえ、キュウエンさま」

「改良には苦労しているようですね?」


「それは、そうですが、材料を集めたりすることには、フィナスン組が手を貸してくださるので、ずいぶん作業が進んでいます」

「・・・本当に、この、テツは、銅剣での戦いを大きく変えてしまうのですか?」

「全ては、どのくらい量産できるか、ですが・・・」


 イズタが、私の胸に抱かれて眠るティティンに目をやった。「キュウエンさまの、お子さまですか」


「ええ、そうです。ティティンと言います。かわいいでしょう?」

「そうですね」


 お父さまも、せめて、そういう姿勢があればいいのに。

 イズタを見て、私はそんなことを思ったのだった。





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