第104話 辺境の聖女は重要人物 この山師は目を合わせない(1)
およそ、ふた月ぶり、だろうか。
久しぶりに、オーバさまにお会いできる。
昨日、陽が沈みかけた頃、辺境都市に入られたオーバさまは、お父さまと面談され、そのまま辺境都市の政庁であるお父さまの屋敷にお泊りになった。
お父さまからは、神殿まで使いが来て、私も屋敷に戻るようにと連絡があったが、屋敷を出て神殿に仕える者として、明らかに泊まりになるという時間帯に、私はお父さまの元へ行くことに抵抗を感じた。
オーバさまに早くお会いしたいという気持ちはもちろん強かったのだが・・・。
つまらない意地を張っていたのかもしれない。
男爵家の一人娘である私が屋敷を出て、神殿での生活を続けている現状は、お父さまにとって、本当は望ましくないはず。
私がお父さまに反発し、政庁である屋敷にめったに顔を出さないのは、あの、辺境伯との攻城戦の最中に、お父さまが神殿のオーバさまを攻めたことが原因だ。
お父さまの失策は明らかで、そのせいで辺境都市アルフィは一度、辺境伯によって陥落した。
オーバさまはそのせいではないとおっしゃるけれど・・・。
陥落する前にアルフィを脱して大草原へと移動し、アルフィから追撃してきた辺境伯の軍勢を打ち破り、辺境伯を捕らえたのはオーバさまだ。
そうして、オーバさまは全ての状況をひっくり返し、辺境都市アルフィを取り戻した。お父さまの今があるのは、全てオーバさまのおかげ。
愛しいオーバさま。
オーバさまは、全てをお許しになってらっしゃるけれど、私はお父さまを許せない。
そんな気持ちが、神殿から屋敷へと足を向けないことにつながっている。
お父さまとしては、私が婿を迎えて、男爵家の跡取りをはっきりさせたい。
その婿がオーバさまであるとすれば、お父さまはよりいっそう、喜ぶはず。私も、オーバさま以外の方など、考えたくもない。
でも、オーバさまは辺境都市アルフィに定住する気はない。そもそも、アルフィごときにおさまる方ではない。辺境伯でさえ、何一つ敵わないお方なのだ。
あの戦を終えてしばらく過ぎたが、私も何度か、オーバさまのお情けをいただいている。
オーバさまと寝所を共にするのは、本当に幸せなこと。
今月は、月のものがなく、おそらく・・・という状態だ。
婿として、オーバさまをアルフィに迎えることはできなくとも、私が男の子を産めば、スィフトゥ男爵の孫として、お父さまが跡継ぎにはしたいと言ってくるだろう。
男爵の娘が正式に結婚もせず、婿も取らずに、ということも言われるのだろうが、そんなことはもう、私にはどうでもいい。
オーバさまだけ。
オーバさまだけ、いればいい。
でも・・・。
私は、私とオーバさまの子を産んだとして、その子をお父さまに差し出すことができるのだろうか、と思ってしまう。
辺境都市の男爵家など、別の者に代わっても、いいのではないか、と。
屋敷を飛び出した身だからこそ、そんなことを思ってしまうのか。
まあ、今のお父さまが、辺境都市から西側、大草原から向こうを掌握しているオーバさまに対して、不埒な真似をするはずもないとは思うけれど。
・・・そんなつまらないことを考えるよりも。
もうすぐオーバさまにお会いできる。
そのことだけを本当は考えていたい。
「キュウエンさま、護衛の者がそろったんで、そろそろよろしいですかね?」
フィナスン組の古株が、部屋には入らず、外から声をかけてきた。
私はすっと立ち上がる。
「今、行きます」
そのまま、さっと部屋を出る。
フィナスン組の古株と目が合う。
「・・・ま、ほんとのとこは、あっしらよりお強い、キュウエンさまに護衛ってのも、おかしな話なんですがね」
「・・・気遣いは、とても嬉しいのですよ」
「なんというか、お守りするってより、代わりに刺されたり、切られたりする役だと思ってください」
「そういうことにならないよう、気をつけたいと思います」
私は笑顔で答える。
古株さんがそういうことを言いたいのは、かつて、私が刺されて死にかけたことがあるからだ。
しかも、この神殿のすぐ近くで。
今も、その犯人は捕まっていない。
犯人が誰かも分からない。
瀕死の状態から、私はオーバさまに、そして女神さまに救われたのだ。
あれから、もうすぐ、一年になる。
「おんや、姫さん、遅かったっすね」
護衛を残して政庁に入ると、そう、話しかけてきた男がいた。フィナスン組の親分である、フィナスン、その人だ。
「こちらに来ていたのですね、フィナスン」
「ええ、まあ。兄貴がいるっすから」
「オーバさまはどちらに?」
「西の離れっすけど・・・」
フィナスンの口調が、少し、気になった。
何か、あるのだろうか?
「フィナスン?」
「ああっと、その・・・なんと言うべきなのか」
「なんなの? はっきり言ってもいいですよ?」
「あー・・・、オーバの兄貴は、今回、お一人ではないっす」
「あら、クレアも来ているのね?」
「あー・・・、それがっすね、なんというか・・・クレアの姉御ではない、というか」
「?」
クレアではない?
オーバさまが辺境都市にやってきて、辺境伯との戦に臨んでいたとき、共に行動していたのが赤髪赤瞳の美女、クレアだ。
その頃、クレアはオーバさまの妻として行動していたし、今ではオーバさまと結ばれている。そんなクレアは私にもとても優しくしてくれた。
クレアではない、誰かと一緒にオーバさまがいらっしゃった?
オーバさまに多くの妻がいることは、大草原での戦いの後、知ってはいるのだが?
「誰か、オーバさまの・・・?」
「・・・そうっす。大森林のお后さまの一人が一緒っす」
「ライムさま・・・はちがうはずね。大草原の方だったもの。じゃあ、アイラさま?」
「いんや、姫さんはまだ会ったことのないお后さまっす。おいらも今回、初めてでして」
「どなた?」
「クマラさまっす」
「クマラさま?」
「・・・声が小さい方なので、気をつけてほしいっす」
「それを伝えるために、入り口の近くで私を待っていてくれたの?」
「・・・ま、そのへんは、忘れてほしいっす」
そう言うと、フィナスンはその場を離れ、門衛に軽く手を上げて、門を出ていった。
・・・きっと、心の準備をさせてくれたのだろう。
いくら、オーバさまが、たくさんの妻を娶っていると分かっていても。
私自身がよく知らない相手だと、不安になるだろうと考えて。
ふぅー、と私は長めの息を吐く。
確かに、初めて会う方というのは、緊張する。
でも、オーバさまが選んだ方。
アイラさまも、ライムさまも、もちろんクレアも、みな親切にしてくれた。
きっと、クマラさまも、優しい方にちがいない。
私は西の離れへと足を向けた。
西の離れの入口には、一人、衛士が立っていた。
本当は、重要な来客の宿舎に衛士が一人、ということはない。
こういうところに、まだ、あの戦いの爪痕が見える。
少しずつ、この辺境都市アルフィも復興してきているが、失われた人の数は簡単には増えない。
その衛士は私に気づくと、少しだけ頭を下げて、離れの中へ入った。
私が来たことを伝えにいったのだろう。
とくん、とくん。
心臓が、少しだけ、早く、音を鳴らす。
離れへと近づく足が、やたらとゆっくり動く気がする。
離れの入口から、人が出てきた。
あ・・・。
私を見て、にっこりと笑う、愛しいお方。
「オーバさま」
「キュウエン。元気にしていたかな?」
その笑顔も。
優しい声も。
全てを自分のものにしたいと。
心の奥底では願う。
こうやって会えばなおさら・・・。
私は、そのまま、オーバさまの胸に体を預けた。
オーバさまの後ろから、衛士が出てきた足音が聞こえたが、どうせ見えない位置だ。
オーバさまが私の背中に腕を回す。
「お会いしたかった・・・」
知らず、涙が出る。
「久しぶりだね。神殿は、大丈夫か?」
「はい・・・相変わらず、アルフィの人たちが、治療のために通ってきます。フィナスンのところの者たちもよく協力してくれますし、砦で一緒に戦った未亡人の中には、神殿の手伝いをしてくれる者もおりますから」
涙が出たことは、気づかせないように。ゆっくりと話す。
「うん。あいつらも神聖魔法が使えるし、手伝ってくれる女性もいるなら良かった」
「オーバさま、今回はどのくらい、こちらに?」
「うん? ああ、今回は、カスタまで行くんだ。明日には、アルフィを発つよ」
「カスタまで? では、お帰りはもう一度?」
「そうだね。でも、長居はしない予定なんだ」
「そうでしたか」
もう一度泣きそうになるが、ぐっとこらえる。
オーバさまに優しく抱きしめられたまま、その顔をそっと見上げる。
「・・・フィナスンが、お后さまの、クマラさまをお連れだと・・・」
「ん、ああ、中にいる。このあと紹介するよ。今は、いろいろと話してるみたいで」
オーバさまが私の背中に回していた腕を戻し、私の手を取った。
そのまま、離れの中へ連れて行かれる。
中は、外の明るさから考えると、薄暗い。目が慣れるまでは。
「・・・」
「・・・・・・」
「・・・・・・」
「・・・・・・」
何か、会話が聞こえてくるような、こないような。
そういえば、フィナスンが・・・。
声が小さい、とか?
「・・・・・・・・・」
「・・・・・・・・・」
確かに、女性の声ではないか、と思える声は、とても小さい気がする。
でも、もう一方の男性の声は、普通に聞こえる。
それなのに・・・。
「・・・・・・・・・」
「・・・・・・・・・」
聞こえていても、何を話しているのか、さっぱり分からない。
この二人は、私の知らない言葉で会話している。
あれは・・・。
イズタ?
あの戦いで、辺境伯から寝返って、お父さまに仕えることになった男。
この一年で、辺境都市に近いふたつの銅の鉱脈を見つけた異才を持つ、今ではこのアルフィに欠かせない山師。
もう一人は、なんとも、可愛らしい女性。
この方が、クマラさま、か。
「クマラ、イズタ、ちょっといいかな?」
オーバさまが二人に声をかける。
オーバさまは、二人がよく分からない言葉で話していたことを気にもしていないようだ。
オーバさまには分かる言葉なんだろうか?
オーバさまの言葉で、クマラさまが、オーバさまに手を引かれた私を振り返って、ふわっと微笑んだ。
・・・ああ、なんと、愛らしいお方。
あれは、オーバさまに愛されている自信に満ちている微笑み。
たとえ、オーバさまと離れていたとしても、私のように、不安になったりしないのだろう。
そう感じさせられてしまったことが、少し、悔しい。
そして。
その、クマラさまの向かいにいた、山師イズタ。
クマラさまと同じように、私に視線を向けて・・・。
すぐに、目を、そらす。
この山師は、なぜか、私と目を合わせないのだ。
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