第104話 辺境の聖女は重要人物 この山師は目を合わせない(2)



「初めまして、クマラさま。辺境都市アルフィの主、スィフトゥ男爵が娘、キュウエンと申します。今は男爵家を出て、神殿に仕えております」


 私はクマラさまに話しかけて、ふと、思った。

 クマラさまは、私の言葉が分からないはずだ、と。


 以前、アイラさま、ライムさまなど、大森林や大草原のみなさんと話す機会はあったが、誰とも、片言しか、通じ合えなかった。よく分からなかったところは、オーバさまが訳してくださったのだ。


 スレイン王国の言葉と、大草原の言葉、大森林の言葉は、それぞれ、似ているものもあるが、やはり違う。


 オーバさまは、どこの言葉もお分かりになるようだったが・・・。


 不安になって、オーバさまを見つめる。

 オーバさまが少し、首をかしげた。


「・・・クマラ、と呼んでください。私も、キュウエン、と呼びますから」


 とても。

 とても小さな声で。


 クマラさまはそう言った。

 私にはっきりと分かる、スレイン王国の言葉で。


 オーバさまに向けた視線をクマラさまに慌てて戻す。


「クマラさま、私どもの言葉が、分かるのですか?」

「クマラ、でかまいません。こちらの言葉も、オーバに教わって学びました。そうしないと、ひょっとすると、とても大切な話を聞き逃してしまうかもしれないから」

「・・・」


 ・・・すごい、お方だ。


 フィナスンから聞いたが、大森林は、辺境都市アルフィからはかなり遠いところにあるらしい。

 クマラさまが、オーバさまの后として大森林にいる限り、スレイン王国の言葉を話す機会はほとんどないはず。

 それでも、スレイン王国の言葉を学び、話せるようになることに意義を見出し、実行する。


 私は、大草原の言葉も、大森林の言葉も、学ぼうとすら、しなかったというのに。


「クレアとは、とても仲良くしていると聞きました。私とも、仲良くしてほしい。だから、クマラ、と呼んでくださいね」

「はい、クマラ。そうさせてください。今回は、短い滞在だと、オーバさまに聞きました。カスタから戻るときにも、お話できると嬉しいです」

「ええ、キュウエン。帰りにも、必ず」


 笑顔が素敵な、可愛らしいお方。

 言葉ひとつで分かる、とても優秀なお方。


 おそらく、戦ったとしても、私より、強いのだろう。

 こういう后が、オーバさまの側にいる。


 大森林が豊かなところであると聞かされているが、それは、間違いのない、真実なのだろうと、クマラさまの在り方を見て、私は思った。


 ふと、私は、もう一人の男、イズタを振り返る。

 イズタが、さっと目をそらす。


 ・・・いったい、何なのでしょうね?


「先ほど、我が父、スィフトゥ男爵に仕えるこの山師イズタと、ずいぶん熱心に言葉を交わしていたようですが、どのようなお話を?」

「・・・ああ、すみません、キュウエン。イズタと話していたのは、辺境都市のことではないのです。こちらの秘密を探ろうとしていた訳ではなくて・・・。イズタの知っている、農業についての話を教えてもらっていたの」

「農業の・・・?」

「ええ。銅の話ではないの」

「クマラは、アコンの農業の中心なんだ」


 オーバさまが私にそっとささやいた。


 ・・・しまった。

 クマラさまを疑ってしまったかのようになってしまった。


 そんなつもりではなかったのだけれど、イズタが私と目を合わせないものだから、つい、気になってしまって・・・。


「クマラ、それよりも、さ・・・」


 オーバさまが、私とクマラさまの間に入る。


「ああ、あれ、ね・・・」


 クマラさまが少し離れたところにあった袋に手を伸ばし、その中から、何かを取り出した。

 その手には、布があった。


 ・・・信じられない。


 なんという、白さ。

 輝くような、白さ。


 ・・・いえ、初めて目にした訳では、ないはず。


 確か、あの砦で会ったとき、アイラさま、ライムさまをはじめ、みなさんが着ていた服は、どれもこれに近い光沢を感じた。ただし、返り血も多かったので、今、見ているような白さを感じなかったけれど。


「これを、キュウエンに。服が二着は作れるはず。アコンの村で作っている布なの。丈夫なのよ」


 いや、丈夫な布かどうかよりも、その美しさの方が気になるのです・・・。


「よろしいのですか?」

「はい。ここに来るまでに、大草原ではライムにも渡しましたし。オーバの妻には、みな、着飾ってもらいたいもの」


 ・・・クマラさま。

 綺麗な布だって、ちゃんと分かってて、言ってましたか・・・。


「今、アコンでは一番いい布なの。たて糸は五百よ」

「ごっ・・・そんなに? 何年かかることか?」


 たて糸の数だけ、よこ糸をぐりぐりと互い違いに通していって、布を織るのだ。それが五百となれば、いったいどれだけ手間がかかることか。


「うふふ、すごいでしょう? オーバと一緒に作った織り機で、ね」

「オリキ、ですか?」

「・・・あ、内緒だった」


 知りたいっっ!

 何、それっっ?


 クマラさまから手渡された布は、白くて、薄くて、それでいて、力を入れても破れそうにない。手触りも、すらっと、気持ちがいい。


 羊毛・・・?

 そんなはずはない。こんなに細い糸で織られた羊毛の布なんて、見たことがない。


 そもそも、羊毛から作る糸は太くなってしまうので、そのまま髪のように編んで、服に仕立てていく方が多い。一度布地にすることもあるが、どちらかといえばその方が珍しい。たて糸など三十もあればよい。そして、その布はこんなに薄くなりはしない。分厚いものだ。


「羊毛でも、麻でもない、布ですね?」

「羊毛でも、麻でもない布です。でも、大森林なら、実は、羊毛も、ここまでじゃなくても、細い糸にできるの」

「ええっ?」

「こんなに白くはならないけれど」

「あ、そうなんだ」

「やっと、普通に話してくれた」

「あ・・・」

「これから、よろしくね、キュウエン」

「・・・はい、クマラ」


 私は、クマラに対して、壁作るのを止めた。

 とても、敵いそうにない、芯の強さがクマラにはあるようだった。

 大森林のひとたちからすれば、私など、ただの新参者でしかないのだろう。


 クマラの表情から感じる余裕に、私は完敗だった。






 その日は、お父さまと、オーバさま、クマラ、私の四人で朝食を食べてから、オーバさまとクマラの出立を見送った。クマラがこっそり教えてくれたが、大森林では一日一食で、夕食しか食べないらしい。


 大森林の王とその后の旅だというのに、護衛は一人もいない。カスタへ向かうフィナスン組の隊商と一緒に歩いているが、あれは別に護衛ではない。

 私の常識からすれば、信じられないような話だが、思えば、オーバさまはずっとクレアと二人で行動していたし、オーバさまは私の知る限り、誰よりも強い。


 東門で、二人が小さくなるまで見送り、私は護衛のフィナスン組とともに神殿へ戻った。

 神殿で、お手伝いの未亡人数人と、クマラから贈られた布をどんな風に仕立てるべきか、じっくり話し合った。二着分は作れるとはいえ、失敗したくはない。


 みんな、とんでもなく美しい布に、大騒ぎだった。


「・・・それで、クマラさまは・・・」


 ・・・と、口にしたのはフィナスン。

 なぜか、今、神殿にいる。


 オーバさまについて行かないとは、珍しい。


「何か、フィナスン?」

「いえ、クマラさまは、羊毛の糸を細くできると・・・?」

「どこで聞いていたの?」

「いえ、イズタからの情報っすけどね」


 ・・・あの山師か。

 フィナスンともつながってる?

 私とは・・・目も合わせないのに・・・?


 いえ、よく考えてみれば、フィナスンは銅貨の製造の元締め。

 銅の鉱脈を見つけるあの山師とつながっていない訳がないのだ。


「本当っすか?」

「そう言っていましたよ」

「言ったっすか?」

「だから・・・」

「姫さん、それ、ここで、どうにかできないっすかね・・・?」

「フィナスン・・・?」


「羊毛なら、アルフィでも、手に入るっす。オーバの兄貴の服は何度も目にしました。あそこまでではなくても、細くなった糸で、今以上の布が織れるのなら、それがアルフィの新しい産物としてやれるんじゃないっすかね?」


「どうやって、細くするのかは、分かりませんよ?」

「クマラさまか、まあ、オーバの兄貴に、姫さんから頼んで教えてもらうってのは、どうっすか?」

「・・・大森林としても、重要な産物ではないかと思いますが?」


「姫さん。あっちには、それ以上の糸と布がもうあるっす。うちの者が大森林まで交易に出向いても、大草原じゃあの布の服は見かけないらしいっすよ? でも、大森林では、ほとんどの者があの真っ白な布か、それに近いものでできた服を着てるらしいっす。羊毛を細くするのは、大森林ではそれほど重要ではないはず」


 そう、なのだろうか?

 なんだか、フィナスンにうまく言いくるめられているような気がする。


「姫さん!」

「・・・フィナスン、落ち着きなさい」

「・・・アルフィは今、分かれ道っす」

「どういうこと?」


「カスタは、大森林から遠く、海に近いことで、干し魚や塩をはじめとして、オーバの兄貴が求める産物がたくさんあるっす。ところがアルフィは・・・」

「そういう産物がないのね。たくさんとれるのは麦くらいだものね。まあ、ここは、そもそも、守るための砦のようなものだもの」


「中間地点っすから、そのままでもうまく利益はあるけど、でも、それだけでは・・・」

「オーバさまに、価値を感じてもらえない、ということ?」


「・・・そうっす。それどころか、この先、大草原とスレイン王国が敵対したら、オーバの兄貴にとって、ここはただの障害物っすね」

「お父さまは、もうオーバさまと争うつもりはないでしょう」

「辺境伯領以外のスレイン王国では、大草原の恐ろしさなんて、誰も知らないっすから・・・」


 ・・・確かに、そうなのだろう。


 そもそも、アルフィの城壁がそれほど高くないのは、大草原と戦ってもこの程度の城壁で防ぐことができると考えていたからに他ならない。


 大草原の・・・いえ、大森林の方々がとんでもなく強いことは、私がこの目で見た真実。

 何も知らない王都の者たちがおかしな動きをしたら、とんでもないことになる可能性は十分にある。


「アルフィでひとつの産物が作られるようになれば、いろいろと、都合がいいっすよ?」

「・・・分かりました」


 フィナスンの考えがどうであれ、私は、オーバさまとクマラの帰路で、羊毛から細い糸を作る技術について教えてもらえるように説得することを決めた。






 ところが、予定していた期日を過ぎても、オーバさまとクマラは、アルフィに戻ってこなかった。





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