第103話 巫女姉妹は重要人物 妹巫女の出陣
森都アコンは、相変わらず、にぎやかだけど、落ち着いている。
大草原の氏族たちは多くの騎兵を出し、アイラを総大将として、辺境都市を越えて、スレイン王国へ侵入した。もちろん、アコンからも何人も参加している。
スレイン王国でこの数年間続いていた内乱は、最終局面に入ったとオーバは言っていた。
王国北部をまとめた勢力と、王国東部をまとめた勢力が、それぞれ、辺境伯領と接する混乱地域に侵攻し、いずれ、辺境伯領へもその手を伸ばすことが明白である以上、ここに至っての静観は意味がないらしい。
アイラ、ノイハが騎兵を率いて先発し、ジッドとトゥリムが歩兵を率いてその後を追った。
女神さまとの話では、すでに、スレイン王国内でいくつかの戦いが行われて、オーバは戦況を優勢に進めているようだ。
今回、あたしは居残り組の方だった。
ジルと一緒に、アコンにいた。虹池にはクマラが、ダリの泉にはケーナが入り、大森林の守りを固めている。ちなみに、クマラは三人目の女の子を出産した。
あと数日で、あたしも成人となる十五歳だ。
だけど、今、アコンにはオーバがいない。
ジルとオーバは、エイムの作戦通り、結局は結ばれた。
ジルが十五歳となった、その日の夜に、だ。
オーバと一緒に、大草原から辺境都市アルフィを経由して、海沿いの町カスタまで旅したジル。
ジルなりに、オーバに好きだ、好きだ、と言い続けたらしい。
・・・実際、どこまで言えたか知らないけどさ。
そして、その日。
夜伽はアイラの予定にしてあり、実際にアイラがオーバの前で獣脂の灯りを消したんだけど。
そこで、足音を消した薄衣一枚のジルがオーバに抱き着いて、唇を重ね・・・。
あたしは、ジルが強引にでもオーバの寝床に入れるかどうかを確認し・・・。
すぐにオーバに気づかれた。
「・・・ジル?」
「・・・はい」
オーバに名前を呼ばれて、小さく、まるでクマラのように返事をするジル。
真っ暗闇でも、オーバには分かるんだよね・・・。
「なんで・・・」
「だって、今日は私の成人の日で、私は、オーバが好き、だから・・・」
「いや、アイラは?」
「アイラは、私たちの味方、です」
「えっ?」
「アイラだけではありません、オーバ。クマラも、ケーナも、みな、この瞬間をつくるために、手を貸してくださいました」
うんうん。
それは、あたしのお手柄だよ、ジル。
忘れてない?
「ジル?」
「女神さまからも、認めて頂いています」
「セントラエスまで?」
「ずっと、ずっと・・・オーバが私とウルを助けてくれた、あの、子どもの頃から、ずっと。オーバだけが、私にとって、たった一人の恋しい人です。オーバ以外の男性と結ばれるなんて、私には、考えられない」
「あ、いや、ジル、そぅ・・・うく・・・」
ジルは再度、オーバの唇をふさいだらしい。
ふわさっ、というほとんど聞こえないくらいの音が、した。
薄衣がジルから離れ、寝台から床へと落ちたのだろう。
女性らしく成長してきたジルと肌を合わせて、何も思わないはずがない。
オーバは、それでも、源氏の君かと、紫の上かと、なんだかよく分からないことを言っていたのだが、ジルが泣きながら、オーバと結ばれることがないのなら、もう、このまま裸で森を出て死ぬ、とまで言ったところで、ようやくオーバも観念したらしい。
ふぅ、とオーバが息を吐く音が聞こえた。
「・・・ウル、そこにいるんだろう?」
「・・・え、えへへ?」
やっぱり、見つかってた?
アイラは、とっとと、退散してたんだけど、あたしは残って、結果をきちんと見届けたかったもんだから・・・。
「まったく・・・しょうがないな。ウル、今日は、そうだな、クマラのところで休みなさい」
「はあ~い」
私は、素直に返事をして、クマラの部屋、あっと、宮、か、に向かった。
あたしを自分の宮に戻らせると、ここに来るのをとめる者がいないとオーバは考えたのだろう。クマラなら、あたしをきちんとそこで我慢させられる、と考えて。いやいや、オーバがちゃんと、ジルを后にするんなら、あたしは大人しくしてますよ。もちろんですとも。
こうして、その夜、ジルは長年の想いを叶えた。
これで来年は、私の番が来る。
クマラに寄り添って目を閉じながら、その時のあたしは、そう思っていたのだった。
現実は厳しい。
スレイン王国の内戦は、優位な戦いを進めているらしいけど、あたしの成人の日までに決着はつきそうにない。
つまり、あたしの成人の日に、オーバはアコンにいない。
そんなことにあたしは、ちょっと、いらいらしてたんだけど。
突然、すぐに来てほしい、と、ジルの新しい付き人に呼び出されて、あたしはジルの宮へ向かった。
シイナとセンリが追いかけてくる。
ジルは宮の外、竹板の床のデッキに出て、空を見上げていた。
「ジル、どうしたの?」
「ウル・・・」
ジルは、そのまま空を見上げたままで、あたしの名を呼んだ。
なんか、変。
あたしは、そのままジルに近づいて、ジルの手を握る。
「どうしたの? なんか変だよ、ジル?」
「分からないの・・・でも」
「でも?」
「オーバが、何か、黒くて大きな、怖ろしいものと向き合ってるみたい・・・」
「黒くて、大きな、怖ろしい、もの?」
「分からない・・・」
あたしは、ジルが見上げる空を一緒に見た。
特に、空がおかしなことはないように思えた。
だから、ジルが何を見ているのか、何を怖れているのか、まったく分からない。
「女神さまは、スレイン王国での戦況は優位に進んでいると言ってたけど・・・」
「人と人との争いではない、何かが、見えたの・・・」
「ジル・・・?」
ジルはまだ、空を見上げている。
あたしはジルに移した視線を、再び空へと向けた。
すると、空が、突然、光った。
小さな光は、白から金色へと変化し、まぶしさを増していく。
これは、いつもの・・・。
「め、がみ、さま・・・?」
「何が・・・?」
光がはじけて、女神さまの姿が現れたと思ったら、すぐにもう一度輝きはじめて、光が膨らむ。
とくん・・・。
自分の心臓の音が、はっきりと耳に入った。
何かが、ちがう。
これは、いつもと、何かがちがう。
何か、特別なことが起きている・・・?
光がいつも以上に大きく、まぶしくなったと思ったら、はじけて、消える。
その中から、小さな、女神さまが、降りてきた。
久しぶりに見た、小さな、女神さま。
てのひらや、肩に乗る、小さな、小さな、女神さま。
いや、そのことよりも・・・。
あたしは降りてきた女神さまに左手を差し出し、てのひらで受け止める。
「め、女神、さま・・・実体化されては・・・」
ジルがつぶやく。
・・・そう。
小さな女神さまは、女神さまの分身が実体化した姿。
そして・・・。
「そのままだと、時間が経てば、オーバとともにある本体に吸収されてしまうのでは・・・」
ジル・・・。
その通りだよ・・・。
なんで、女神さま?
このままじゃ、アコンから、いなくなっちゃう?
「神力を振るうには、分身とはいえ、実体の方が適しています。時間がありません、ジル、ウル。アコンや虹池、ナルカン氏族のテントには、ある程度、結界をかけます。いつまで効果を維持できるかは分かりません」
「結界? 女神さま?」
「オーバに何かあったのですか?」
ジルが言っていた、黒い、何か。
女神さまが慌てるなんて、オーバに何かあったとしか・・・。
「今は、まだ、何も。ただ、スグルはこれから、とてつもなく危険なところへ向かいます。私が、スグルを護るために、アコンに分身を残せないほど、危険なところです」
「・・・それは、スレイン王国ではない、ところ、ですか?」
「その通りです、ジル」
ごくり。
あたしは、唾を飲みこんだ。
「スレイン王国の内戦は終わったのですね?」
「いいえ、ジル。終わっていません」
「では・・・」
「ウル、女神セントラエスの名において、スレイン王国への出陣を命じます。できるだけ早く、スレイン王国の内戦を終わらせなさい」
「女神さま、それなら、私が・・・」
「お黙りなさい、ジル」
あたしの左手に乗った小さな女神さま。ただし、その威圧感はオーバに勝るとも劣らない。「異論は認めません、ジル。あなたは、今、月のものがきていないでしょう?」
あたしはびっくりして、ジルを見つめた。
ジルがすっと、目をそらした。
じゃあ・・・。
「ジル、オーバの子が、おなかに?」
「ウル・・・まだ、分からないわ」
「いいえ、ジル。今、あなたのおなかに、新しい命が、スグルとあなたの子が、育っていますよ」
女神さまが言い切る。
それなら、もう、間違いない。
ジルを戦場に出す訳にはいかない。
「ジル、だめだよ」
「ウル・・・」
「ジル、あなたはおなかの子と、このアコンを守りなさい。スグルがこの世界で、必ず最後に戻ってくる、この場所を」
「・・・はい、女神さま」
「虹池からアコンへ戻るように、すでにクマラには伝えました。代わりにシエラを虹池へ行かせるように」
「すぐに伝えます」
「時間がありません。私はこの後、すぐに結界を整え、スグルのもとへ向かいます。ウル、全ては、あなたに。スレイン王国を早く、なんとかしてください。私が与えた、いかなる装備の使用も許可します」
「あ・・・」
い、今、なんて?
女神さま?
「聞こえませんでしたか、ウル?」
「い、いえ、聞こえましたが、聞き間違いか、と?」
「では繰り返します。ウル、女神セントラエスの名において、スレイン王国への出陣を命じます。できるだけ早く、スレイン王国の内戦を終わらせなさい。そのためなら、私が与えた、いかなる装備の使用も、許可します。分かりましたか?」
「はいっっ!!!」
あたしは全力で返事をした。
その時、シイナとセンリの顔色が、死人のようになっていたというのは、全てが終わって、ジルの付き人から教えてもらうまで、あたしは知らなかった。
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