第95話 おしゃれに心揺れる少女の話(2)



 次の日から森に入った。


 安全のために、と三列になって、それぞれが一本のロープで左の手首を結んだ。その三本のロープは全てオーバさまの左の手首につながっている。


 逃げられないようにするため、というようにも思えるのだが、正直なところ、毎日、お腹いっぱい食べられるのに、逃げようと思う子がいるとは思わない。


「ぼくたち、逃げたりしません」


 男の子が一人、チルカン氏族のザックがそう言ったのだが、オーバさまは笑って、丁寧に説明してくれた。


「そうじゃない。進んで行けば分かるけれど、この森は、木が大きくて多いから、人が近くにいても、迷子になってしまうんだ。だから、安全に大森林の中のアコンの村にたどり着くために、このロープは絶対に必要なんだ」


 私たちはこの後、すぐにその言葉の意味を理解した。


「こういう森を樹海という」

「樹海・・・」


 ザックはオーバさまの言葉を繰り返した。


 本当に、一番前でオーバさまのすぐ後ろにいた私が振り返ると、一番後ろの男の子は、どこにいるのかまったく分からなかった。


 こんな場所もあるのだ、と。

 ここからは、二度と出られないのだ、と。


 少し、怖くなった。


 でも、逃げられないし、逃げる訳にはいかない。

 結局、オーバさまについて歩くしかない。


 森の中の三日間も、夕食は豪華で、私たちはオーバさまと一緒に、いろいろと話しながら、夜を過ごすようになっていた。






 大森林のアコンの村にたどり着いた私たちは、オーバさまが手に結んだロープを外してくれている間、全員そろって、上を見上げた。


 だって、びっくりするほど、太くて大きな木があったんだもの。


 しかも、その木には、いろいろとスペースがつくられていて、家として利用されているという。


 驚かないはずがない。


 しかも。


 なんと、オーバさまは、村の長だった?

 なんで長が私たちの出迎え役なの?


 ・・・こんなに優しい村の長って、この世にいるの?


 そんな風に最初は思っていました。






 歓迎された私たちは、まず、上から水が流れ落ちてくるところで、体を洗った。


 滝、というらしい。


 そういう場所と豊富な水に驚いたのだが、それ以上に驚いたのは・・・。


 着替えが・・・。

 あの・・・。


 モイムさまと同じ・・・布。


 どうして、口減らしで連れてこられた私に、モイムさまの嫁入り衣装と同じ布を使った服を?

 いったい、これはどういうことなんだろう?


 ・・・そういえば、今日ここに来た私たち以外の、この村に住んでいる人は、みんなこの布の服を着ていたような?


「すごく、きれいな、服・・・」


 センリがつぶやく。


「ちがうわ、センリ! そんなものじゃない。これ、大草原の嫁入り衣装よりも、もっともっとすごい布でつくられた、もっともっとすごい服なの! こんなの、大草原で着てる人なんてほとんどいないの! 私たち、嫁入り衣装より、もっとすごい服に着替えたの!」

「そ、そうね・・・」


 センリが少し私から身体を引いた。「・・・びっくりした」


「そう、びっくりするよね!」


 このことに驚かないなんておかしいもの。

 なんで私は、こんなにすごい服を着ているんだろう?


「あたしがびっくりしたのは服のことじゃないんだけどなあ・・・」


 センリの最後のつぶやきはよく聞こえなかった。






 もう驚くこともないだろう、なんて、私は甘かった。


 着替えた後に食べた、これまで以上に美味しい夕食にさらに驚き、ここにたどり着いたことをみんなで喜んだ。特にお肉・・・。


 でもでも。

 もっと驚いたのは・・・。


 クマラさまと、アイラさまの服・・・。


 私の目はそこに釘付け。

 目を動かすことができないくらい、美しい布。


 あれは、ライムさまがおっしゃっていた「極目布」に違いない。

 本当に、存在していた、奇跡の布。


 でも、お二人はオーバさまのお后さまと婚約者さまで・・・。


 ライムさまのときのように、うっかり触ってしまってはいけないと、私は自分の左手で自分の右手を押さえ込むように握りつぶしていた。


 美しい。

 あまりにも美しい。

 いったい、あれは、どういう布なんだろう?


 もはや、光輝いて見える。私には。


 そんな私の肩をセンリが叩いた。


「あれ、すごい・・・」


 センリが指す方を見ると、村のみなさんが・・・戦ってる????


 氏族で、大人たちが訓練している姿をぼんやりと見ていたことがある。


 でも、子どもの私にも。

 ここで戦っている姿は、氏族の大人たちがやっていたことと、大きくちがうって、分かる。


 あれは、本気の戦いだ。


 強く打ち付ける音、激しくぶつかる音、そして、骨の折れる音。


 ここでの戦いには、訓練だという手加減など、ない。


 あり得ない。


 しかも・・・。


「光ってる・・・」


 その光に包まれた人は、倒れていても、すぐに立ち上がるし、腕が変な方に折れ曲がっていたのに、まっすぐに戻っているし。


「あれは、神聖魔法よ」


 そう教えてくださったのは、エイムさま。


 エイムさまの服は、ライムさまと同じ「本地布」だ。なんだか、これくらいでは驚かなくなってきたみたい。私の目、おかしくなってきたのかな?


「あら、大草原に行っていたオーバが戻るのは久しぶりだから、クマラとアイラが挑戦するみたいね」


 そう言われて、私はエイムさまの視線をたどる。


 クマラさま、アイラさまが、オーバさまと二対一で向かい合っていた。


 そして、そのまま、戦いが始まる。


 クマラさま、アイラさまが、次々とオーバさまに攻撃を加える。

 オーバさまは、受け流したり、受け止めたり、かわしたりと、ひらり、ひらり。


 クマラさまも、ひらり、ひらり。

 アイラさまも、ひらり、ひらり。


 お二人の光輝くような「極目布」の服が、美しく、踊るように揺れる。

 美しいを通り越して、もはや神々しく、神聖不可侵な、輝きの舞。


 見惚れていた私は・・・。


「あああっっっ!!」


 思わず叫んでしまった。


「大丈夫よ。アイラたちが怪我をしても、オーバなら・・・ほら、ね」


 オーバさまの両腕から溢れ出た光が、クマラさま、アイラさまを同時に癒す。


 お二人の怪我の心配はいらないらしい。


 ・・・私が叫んだのは、オーバさまに打ち倒されたお二人の服が、地面に触れて汚れたからだったんだけど。


 それはエイムさまには言えない、よ、ね・・・。


 それにしても、オーバさまは、優しいだけでなく、とってもお強い方なんだな、と。

 それも少しは理解できた。






 次の日の朝、女神さまへのお祈りを捧げるのだ、と早くに起こされた。


 よく分からないがこの村では、女神さまはとても重要な存在らしい。


 あくびを噛み殺して、私はセンリの横に座る。


 お祈りの仕方を簡単に説明してもらって、ふと、前を見ると・・・。


 巫女であるジルさまと、ウルさまが姿を見せた。


 私は思わず立ち上がってしまった。

 センリがあわてて私の手を引き、座らせようとしたのだが、私は座ることができなかった。


 モイムさまの「荒目布」の服も。

 ライムさま、エイムさま、オーバさまの、「本地布」の服も。

 アイラさまとクマラさまの「極目布」の服でさえもかすんでしまうような、圧倒的な、美。


 私なんかでは、もはや表現できない、超越した美。


 知らず知らずのうちに、私は涙を流していたらしい。


 ジルさまとウルさまが着ていらっしゃる、お祈りのための巫女の服は。


 人間に作れるようなものではないと思う。


 美しい。

 ただひたすらに美しい。


 私はセンリとザックに力ずくで座らされても、視線をジルさまとウルさまから外すことができなかった。


 いったいこの村は、どれだけ美しいのだろうか・・・。






 私は運動がとても苦手だ。走るのは本当に辛い。


 この村では女神に祈りを捧げた後は、たくさん身体を動かすし、戦闘訓練も激しい。ひたすら走る、走る、走る。できる範囲でいいよ、とは言われたけど。そんな訳にはいかない。


 仕事も、小さな子どもだからといって、甘える訳にはいかない。水やりだって、イモの収穫だって、どんなことだって全力だ。


 オーバさまは優しくて、強くて、そして、実は厳しい長なのだ。


 子どもだからといって、甘えてばかりはいられない。


 私は。


 ここでの生活を失うわけには!

 絶対に失う訳にはいかないのだ!


 いつか、私も。


 あの服を着るために!






 私は、この年、集められた口減らしの子どもたちの中で、もっとも信心深い女神の信徒となった。





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