第95話 おしゃれに心揺れる少女の話(1)



 私たちの氏族では、役立つかどうか、ということが小さな頃に決められてしまう。

 そして、役に立たないのであれば、口減らしとして、氏族から追い出される。


 それが大草原で生きる者の、普通。


 私が4歳のとき、ナルカン氏族からモイムさまが嫁入りなさった。

 その時、私は、モイムさまの美しい姿を一生忘れないだろう、と思った。


 見たこともない、真っ白な、美しい布でつくられた衣装。


 何色もの色川石の飾り。


 嫁入りに力を入れるということは、なんとなく知ってはいたけど、それが形になるとこんなにも素敵なのだと。


 しかし、母や姉に言わせると、あの美しさは別格だという。


 母や姉でさえ、あんなに美しい白い布は見たこともないし、あんなにたくさんの色川石での飾付けも初めて見たらしい。


 私にとっては、全てが初めてだったので、比べようもなかったが・・・。


 ナルカン氏族というのは、なんだかとてもすごい氏族のようだ。


 母が言うには、ナルカン氏族のことはよく分からないらしい。

 少し前に、チルカン氏族と争って、これをあっさりと打ち破り、屈服させたらしい。

 でも、その、さらに前には、大森林の部族とも何かもめていて、そのときは、手も足も出ずにやられて、たくさんの羊を奪われたという。


 ナルカン氏族は強いのか、弱いのか、すごいのか、すごくないのか、よく分かんないね、と姉が言った。


 そうかもしれない。


 でも。

 ナルカン氏族はすごいと思う。

 だって、モイムさまの美しさは、母も姉も、見たこともないような美しさだったのだから。


 ナルカン氏族は強いと思う。

 だって、チルカン氏族をあっさり打ち破って、屈服させたんだもの。


 そう考えたら。

 本当に強いのは、大森林なのではないかしら・・・。






 ある日、夜がなんだか騒がしいと思ったら、翌朝、氏族の馬や羊が逃げていなくなっていた。

 大草原で暮らす私たちにとって、羊とは食糧そのものだ。

 このままでは、冬を乗り切れないかもしれない。


 いつもよりも多くの子どもたちを口減らしで氏族から出さなければならない。


 大人たちは話し合い、そして、チルカン氏族の話題が出た。


 一年前、似たような状況になったチルカン氏族は、その頃、大森林と争って敗れたばかりのナルカン氏族に攻め込み、羊を奪おうとしたという。


 以前、聞いたことはあったが、そういう話だったのか、と納得した。二つの話は別々のもののように語られていたのだが、実はつながっていたのだ。


 自分たちも、どこかの氏族に攻め込むのか。


 それとも、辺境都市へいつもよりも多く、ひょっとすると、今の子どもたちのほとんどを口減らしで氏族から出してしまうのか。


 大人たちの話は、私の運命につながる。


 氏族に残ることができるか、それとも口減らしで氏族から出されてしまうか。


 正直なところ、私はあんまり氏族の役に立たない。

 羊の世話も、見張りもうまくできないし、羊毛の処理も遅くて、作業の足手まといだ。


 たくさん口減らしが行われるのであれば、私は間違いなく、氏族から出されてしまうと思う。


 ・・・辺境都市では、ひどい目に遭うと聞いている。


 私は自分の体をぎゅっと抱きしめた。


「ナルカン氏族へ。族長のドウラにいさま、そして、ニイムおばあさまに使者を出しませんか」


 その言葉を、かわいらしいお声で響かせたのは、昨年、あの美しい布の衣装で嫁入りされた、モイムさまだった。「ナルカン氏族なら、食糧の支援ができると思います」


「それは本当なのか?」


「戦いに敗れたチルカン氏族は、ドウラにいさまに娘を差し出し、恭順を誓いました。ドウラにいさまは攻め込んだチルカン氏族を許し、食糧を支援したのです。攻め込んだチルカン氏族でさえ、助けたのです。もちろん、何らかの借りはつくることになるでしょうが、攻め込んだりするのではなく、使者を送って助けを求めれば、支援は受けられるはずです」


 モイムさまのそのお言葉で、大人たちの雰囲気はがらりと変わった。


 反対派も少しはいたのだが、反対するだけで、解決策は何も示さなかった。


 だから、ナルカン氏族への使者は大急ぎで旅立った。






 結果として、私は大森林へと行くことになった。


 氏族はナルカン氏族からの食糧支援を受け、羊の貸付も受けることができたのだが、氏族同盟に加わることを約束させられ、さらに、口減らしの子どもたちは、ナルカン氏族を通じて、大森林へと送られることが決まったという。


 辺境都市ではなく、大森林とはいえ、口減らしの子どもたちが送られるところだ。


 大したちがいがあるはずもない。


 私には氏族が求める才能がなかった。

 それだけのことだった。

 氏族は生き延びたが、私は氏族を追い出された。


 大人たちは、これでモイムさまは、子どもを産めなかったとしても、ナルカン氏族に戻されるようなことはないだろうと言っていた。


 あんなにキレイな衣装を着て、モイムさま自身が何かの役に立たなくても、ナルカン氏族が強いから、食料を分けてくれるから、という理由で、モイムさまは守られているのだ。


 氏族を追い出される私にしてみれば、なんだかちょっと納得できない。


 でも、それが大草原。

 そうとしか言えない。






 ナルカン氏族までの旅路は、おなかがすいたなあ、という記憶しかない。


 口減らしの子どもたちが、私と男の子が五人で、合計六人。

 女の子は私だけ。


 他の女の子は、まだまだ「使い道」がある、らしい。


 氏族の大人たちはそんなことを言っていた。


 一番やせて、一番不器用で、一番弱いのが、私。

 氏族の役に立たない私。


 なんだか、自分が本当にいらない人間なんじゃないかと思えてくる。


 ナルカン氏族まで私たちを連れていく大人は一人だけ。

 その人が、私たち、特に私に向ける目は、まるでゴミでも見ているかのような感じがする。


「辺境都市まで行けたら、ちょっとはうまいもんでも食えたかもしれねえってのに・・・」


 氏族に捨てられ、追い出される私たちに聞こえているのに、大人って、自分が美味しいものを食べられるかどうかの方が大切みたい。


 そういう大人の姿を見ると、なんだか、氏族のことなんて、どうでもよくなってくる。


 ナルカン氏族のテントにたどり着いたら、私たちを連れてきた大人は、そのまま折り返してすぐに帰って行った。


 大森林までは来ないらしい。


 ナルカン氏族での食事もとらず、すぐに帰る。失礼な人だな、と思う。


 ナルカン氏族では、スープを飲ませてもらった。うすい色なのに、なんだか美味しい。体の奥から力が湧いてくるような、不思議な温かさ。なんだろう? どうやらイモのスープらしい。


 これを飲まずに帰ったあの人。


 ふふ。なんだか嬉しい。

 こんなに美味しいって、知らなかったんだね。


 どうぞ、お気を付けてお帰りくださいな。






 氏族から送られてきた女の子が私一人だということで、族長のドウラさまのお姉さまだというライムさまが、私を身綺麗にしてくれた。身体をふき、髪を結んでくださる。


 私は驚いた。


「どうしたの? 目がびっくりするくらい大きくまん丸に開いてるわ?」


 ライムさまから、私の目がそんな風に見えたらしい。


 びっくりしたのは、ライムさまの服。

 あのとき、モイムさまが着ていた、あの美しい白い服よりも、もっと白くて、つやつやで。


 思わず、手を伸ばして触ってしまった。


「っ! ・・・ご、ごめんなさいっ!」


 やってしまった!?

 叱られる!?


「あら。ふふ・・・。やっぱり女の子だと、これが気になる? いい布でしょう?」


 ライムさまは怒ったりしなかった。


 ・・・助かった、のかな?


 ライムさまはにこにこと笑っている。


「・・・あの?」

「なあに?」

「この布、モイムさまが嫁入りで着ていたものと似ています。でも、あれよりも、もっといいものに見えるんです・・・」


 そんなはずはないのに。

 そんなものがこの世にあるはずがないのに。


「ああ、あれを見たのね。モイムが嫁入りで着ていたのは、「荒目布」というの。大森林で作られた布よ。それで、こっちは「本地布」っていうの。もちろん、大森林で作られた布よ。「荒目布」よりも、縦糸の数が多くて、品質が高いの」


 ・・・この世にあるはずのないものが、ここには存在していた。


「大森林にはね、これよりもまだきれいな「極目布」というものがあるみたい。見たことないけどね」


 さらにその上までっっっっ????

 大森林って、いったい何っっっっっ?????


「あらあら、今度はお口が大きくあいてるわ」


 ライムさまはそう言って、私の頭を優しくなでてくださった。






 ナルカン氏族のテントに、大森林からの迎えが来た。


 ライムさまがとっても嬉しそうな顔をしていると思ったら、あれは私の夫なの、と笑って言う。

 ライムさまの旦那さまは大森林の方らしい。


 オーバさま、という。


 ナルカン氏族の族長であるドウラさまが、絶対に失礼のないように、と私たちに言い聞かせていた。ナルカン氏族は大森林との争いに負けたというから、気を遣うのだろう。


 うちの氏族以外にも、口減らしの子どもを差し出した氏族がいくつかあったようで、オーバさまが連れていく子どもの数は13人だった。女の子は私を含めて4人。あとの9人は男の子。


 オーバさまはナルカン氏族のテントに一泊して、翌朝、私たちを連れて出発した。


 たくさんの馬が一緒で、自分で馬に乗れる男の子は、馬に乗るように言われ、乗れない子たちは、ナルカン氏族の人たちが乗る馬に、一緒に乗せてもらっている。


 私はもう1人の女の子と一緒に、オーバさまの馬に乗せていただいた。


 ライムさまから私のことを頼まれた、とオーバさまは言っていたけど。


 ・・・ひょっとして、私はライムさまに気に入られたんだろうか?


 まあ、ナルカン氏族のテントで暮らす訳ではないし。ライムさまに気に入られても、ね・・・。


 そんなことよりも。

 オーバさまの服。


 これもライムさまのものと同じ布だ。


 同じ馬に乗せられて、まるで抱きかかえられているかのような位置に座っているので、私の頭、髪、首筋、背中に、たくましいオーバさまの体とともに、とても柔らかく感触のいい美しい布がずっと触れている。


 どうやら、大森林というところには、大草原の氏族たちでは目にすることがない布がたくさんあるみたい。


 それだけではなくて。


 ナルカン氏族のテントまでの旅とちがい、まず馬上にあるということはもちろん、夜営の時には、オーバさまが、「見張りは任せて、子どもは安心して寝なさい」と言ってくださる。それに、何より、毎夕、温かくて美味しい食事は出るし・・・。


 ・・・今まで聞いてきた口減らしの子どもたちが受けるひどい話は、嘘だったのかしら・・・?






 三日で、大森林にたどり着いて、ナルカン氏族の人たちは馬をおりて、歩いて帰っていった。この馬たちは、ナルカン氏族の馬じゃなかったみたい。じゃあ、誰の? 大森林の馬ってことかな?


 虹池と呼ばれたところで、たくさんの馬に囲まれて、ちょっと怖かったけど、馬と一緒に寝たら、なんだかとっても温かくて。


 もちろん、この日もとっても美味しい夕食付き。


 ナルカン氏族のうすいスープなんかよりも、たくさん具は入っているし、果物も分けてもらえるし、いったい、これはどういうことなんだろう? 果物なんて生まれて初めて食べたんだよ?


 果物を分けてもらえたのは、ナルカン氏族の人たちがいなくなったから、らしい。


 オーバさまの話では、果物をナルカン氏族の人たちにも分けてしまうと、大森林までの付き添いの仕事がナルカン氏族の中で奪い合いになるかもしれないから、らしい。


 ・・・確かに、そうかもしれないと思うくらいに、黄色の実のこの果物は、甘酸っぱくて、とても美味しかった。


 こんな美味しいものは生まれてから初めて食べたと思う。あ、果物そのものが初めてだったか。


 そう思ったのは、私だけじゃないみたい。


「本当に、ひどい目にあうのかな・・・?」


 私と一緒にオーバさまの馬に乗っていた女の子、テラカン氏族のセンリがそう言った。

 私には何も答えられなかった。きっと、センリも私と同じように、口減らしの子どもがひどい目に遭う話を聞かされて育ったに違いない。





  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る