第89話 女神がもうひとつ強力なスキルを保有していた場合(1)
辺境都市アルフィから撤退した辺境伯軍は、先遣隊が最初に攻め寄せた日につくった本陣へ集結している。
その中の一部である、フェイタン男爵の兵士200人と、ユゥリン男爵の兵士200人は、さらに本陣を出て、新たな支配地となる町へ向かった。
辺境伯が自由になってから、口出しされてごたごたするのを防ぎ、確実に占領するためである。
残念ながら、スィフトゥ男爵には、カスタを支配下に置くだけの兵士が足りない。それだけ多くの命を辺境都市アルフィは失った。
とりあえず、スィフトゥ男爵は、カスタに対して、スィフトゥ男爵領となることを伝える使者だけは送った。
それがカスタの町に、どのように受け止められるかは、分からないところだ。
大草原から、避難民は帰還してきている。フィナスンとその手下たちは、キュウエンと協力して、縄でぐるぐるに縛った辺境伯を歩かせながら、アルフィの西門を入った。
クレアは神殿に戻り、敵、味方関係なく、重傷者の治療にあたっている。まるでナイチンゲールのような聖女ぶりだ。
アイラたちは辺境都市までは来ていない。言葉があまり分からない地域には、抵抗を感じるのが普通だと思う。イチたち、馬の群れも、虹池に戻してほしいしね。
アルフィで、縛られたアルティナ辺境伯と、解放されたスィフトゥ男爵が対面した。
不満が顔に出た辺境伯と、穏やかな表情の男爵は対照的だった。
「そなたは、既に解き放たれておるのか」
「辺境伯の温情に感謝いたします」
「・・・まあいい。二度と、互いに争わぬことだな」
「はい。そうありたいと思います。つきましては、今後は男爵領から辺境伯さまへの麦の上納は不要という取り決めをお聞きしました。しっかりと麦を蓄え、力をつけて、領地を安定させ、王国を守る盾となることを誓います」
「ふん・・・」
辺境伯は男爵から目を反らし、二人の会話はそこで途切れた。
おれは、辺境伯と二人で、アルフィの町を歩いた。東門へ向かい、そのまま、辺境伯軍の本陣へ行く予定だ。
「そなたが、人質解放の場に行くのか」
「ああ、そうする」
「そうか。見たところ、辺境都市は、焼け野原だな」
「火をつけさせた当人が言うな」
「それが戦場では当然の命令だろう」
「そう言われれば、そうかもな」
「辺境都市には、ほとんど兵士も残っておるまい」
「生きている兵士は、怪我人ばっかりだ」
「もはや、アルフィは戦えまい」
「復興には、時間がかかるだろうな」
辺境伯が不意に立ち止まる。
「そなたは、辺境伯領の直轄地から三つの町を譲り受けて、どうするつもりだ?」
「もらったからには、おれのものだろ。好きにさせてもらう」
「・・・そなた、我に仕えよ。それでこそ、町を支配する意味もあるのではないか?」
「嫌だよ。自分より弱い奴に仕えるなんて」
「なっ・・・」
「いいから、もう行くぞ。歩けよ」
「・・・後悔するなよ」
「はいはい。後悔しませんって」
二人で歩いて、東門にたどり着く。
「門扉は、破壊されたままか」
「そうみたいだな」
「こんな状態なら、簡単にアルフィを陥とせるではないか」
「簡単だろうな」
辺境伯は笑った。
「大きな穴があいた袋のようなものだな、アルフィは。誰でも簡単に手を入れることができる。そして、その中に、今はどんどん、大切な物を入れて、ふくらませておるわ」
「門は開いたまま。兵士はほとんどいない。住民は荷物とともに帰還した。だから?」
おれと辺境伯は、門の外に出て、丸太橋を歩く。
「もう一度言う。そなた、我に仕えよ」
「嫌だよ、面倒だな、もう」
「これだけ言っても分からんとはな。後悔するなよ」
「はいはい」
言いたいことは、分かっている。
解放されて、辺境伯軍と合流したら。
きっとまた、愚かなことをするのだろう。
辺境伯軍の本陣まで500メートルくらいのところで、おれは立ち止まる。辺境伯に結んだ縄を持っているので、辺境伯も立ち止まる。
二人の男爵が本陣から出てくると、それに続いて辺境伯軍が整列し始める。
どんどん兵士たちが並んでいく光景は、辺境都市の籠城戦が始まった頃に、一度見た覚えがある。
あれは、辺境伯軍の本隊が先遣隊に合流した日のことだった気がする。
今思えば、あの先遣隊は本当に手強い相手だった。大草原で相手をした、へなちょこ軍団とは全く違った。
およそ1000人の兵士が整列を完了すると同時に、フェイタン男爵が叫ぶ。
「約束通り、我々は辺境都市アルフィを放棄し、この本陣まで後退した。その他の条件についても、女神に誓って必ず実現させる。辺境伯を解放せよ」
「女神への誓い、聞き届けた。今、辺境伯を解放する」
おれもフェイタン男爵に叫び返す。
このやりとりも、打ち合わせ通りだ。問題ない。
そして、そのまま、辺境伯を縛っていた縄を解く。
辺境伯は、一歩踏み出し、立ち止まる。そのまま、おれを振り返る。
「これが最後だ。我に仕えよ」
「何度も、気を遣わせて悪かったな。おれはあんたに仕える気はないよ」
「そうか」
辺境伯はそうつぶやくと、おれに背中を向けて、辺境伯軍へと歩き出した。
ある意味で、これも三顧の礼か、と思う。どっちかというと、三顧の無礼かもしれない。
アルティナ辺境伯は背筋を伸ばして、堂々と歩く。
その姿だけなら、立派に見えなくもない。
堂々と歩き切った辺境伯は、自分の兵士たちの前にたどり着いた。
そして、最後の悲劇の、幕が、上がる。
「勇敢な我が兵士たちよ!」
アルティナ辺境伯が叫ぶ。堂々とした大きな声だ。「大草原の蛮族の卑劣な罠にかかり、囚われの身となったが、今、解放された! 待たせてすまなかった!」
卑劣な罠、と言えなくもないし、真正面から叩き潰した、と言えなくもない。どっちも正解な気がする。
大草原までおびき出したのは罠で間違いないし、最後は真正面から叩き潰したというのも間違いないことだ。
「敵兵は傷つき、倒れ、城門は開け放たれたままだ! しかも、今は財産を持って戻った避難民があの中にはあふれておる! 女も、数え切れぬほどいる!」
辺境伯軍の中央では、兵士の目の色が変わる。
財産とか、女とか、そういう部分に過剰に反応するってのが、人間らしくて、とても醜い。
「疾く、駆けよ! 城門を抜け、アルフィを陥とせ! 奪い、犯し、殺せ! 辺境伯に逆らう者を許すな! 全軍っ! 突撃っっ!」
兵士たちの咆哮がこだまする。
辺境伯の直轄地の兵士たちがアルフィに向けて駆け出す。
その場で、何百という兵士に、たった一人で相対するおれを振り返り、辺境伯は満足そうに笑った。
ところが、二人の男爵と、その周辺の兵士たちは動かなかった。
そして、その事実に、アルティナ辺境伯も気づいた。
「フェイタン男爵! ユゥリン男爵! 兵を動かせ! 再びアルフィを陥とすのだ!」
フェイタン男爵はちらりと辺境伯を見て、そのまま再び正面に向き直った。もちろん、兵士を動かしたりはしない。
ユゥリン男爵は、辺境伯に向き直り、口を開いた。こちらも、兵士は動いていない。
「アルティナ辺境伯! 今すぐ、兵を止めるべきだ! この戦いはもはや人の手を離れた! 女神への誓いを破ってはならん!」
「愚かな! ユゥリンよ! フェイタンよ! 我が命に逆らうか!」
辺境伯は二人の男爵を交互に見やった。
「逆らうのではない! ただ、神を畏れるのみっ!」
フェイタンの怒声は、アルティナ辺境伯の何倍も大きく、その場に響いた。
その怒声が、最後の審判となった。
セントラエスが最終確認をしてくる。
「それでは、本当にいいのですね?」
辺境伯の行動は、まあ、予想通り。
そして、二人の男爵の行動は、まあ、なんというか、打合せ通り。
あの二人の男爵の兵士たちは巻込まないし、巻込まれないように動かないと取り決めてある。
辺境伯が予想を裏切り、そのまま撤退したら、放置だったのだけれど。
予定通り、動きますか。
おれは振り向かずに、背中にいるセントラエスに答えた。「ああ、もういいよ。それに、どこかで一度使っておかないと、それがどれだけのものなのか、どういう効果があるのか、ずっと分からないままになるからな。これも実験だよ、実験」
「分かりました。それでは、『天罰神雷』」
セントラエスが優しく、可憐な声で、ひとつのスキルの名を、そっと告げた。
その一言で、空が、落ちた。
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