第88話 女神が何本もの矢を平気ではねのける場合(2)



 室内は、獣脂を燃やした火で照らされていた。


 スィフトゥ男爵以外の二人は、それぞれ護衛を一人、後ろに立たせている。


 テーブルはないが、椅子が用意されていて、三人の男爵は座った。おれの椅子もあったのだが、あえて座らなかった。悪意はなく、これからやることがあるから、座らなかっただけである。


 床はむきだしの地面だ。つまり、床ではない、とも言える。そういう造りなのは、神殿の礼拝堂と変わらないようだ。


 おれは、木炭を用意して、スクリーンに鳥瞰図を映し出し、そこにある地図を地面に描き始めた。


「何をしておる?」


 ユゥリン男爵が問いかけてくる。


「ちょっとだけ、待ってくれ。すぐに終わるから」


 おれはそう答えて、地図を描き続ける。


 辺境都市から、川の流れを描いて、海沿いの町カスタを示し、沿岸部を描いてから、山脈を描き、ひとつひとつの町に印を付けていく。

 町の位置は、光点が明るく集中しているところだ。人口が多いと明るさが違う。淡い光点の小さな村は、描き込まないようにした。

 軍師情報で、三人の男爵はそれぞれひとつの町の支配者だということは分かっていた。辺境伯の直轄地には七つの町がある。辺境伯領は合計、十の町がある領地だ。

 これは、スレイン王国でも有数の規模を誇るらしい。辺境を守るために必要な領地は分配されているのだろう。


 フェイタン男爵が椅子に座ったまま、椅子を引きずって近づく。ユゥリン男爵もそれにならう。スィフトゥ男爵は縛られているため、そういう動きはできないようだ。


「何だ、これは?」


 ユゥリン男爵が再び問いかけてくる。


「・・・これが、川の流れで、ここが海だ。こっちの線は山脈で、こっち側が大草原、こっち側がスレイン王国だな。そして、ここが辺境都市アルフィ。こっちが海沿いの町、カスタ」

「ほう・・・」


 フェイタン男爵が感心したように息を吐いた。「ならば、カスタの北にあるのはハオランの町、そしてこの中心がサリフ、だな。ここは、ヨーインか」


「・・・辺境伯領の町の位置が示してあるのか。ならば、ここがエルバだのう」

「何のつもりだ、オーバ?」


 縛られたままのスィフトゥ男爵がおれを見た。


「何のつもり、か・・・」

「いや、分かったぞ。辺境伯の直轄地から三つの町を譲るという条件について、考えるために描いたのであろう?」


 おれではなく、フェイタン男爵がスィフトゥ男爵の疑問に答えた。ま、フェイタン男爵は、人質解放の条件を確認した当人だから、当然とも言える。


「三つの町を譲る、だと? 馬鹿な?」

「アルティナ辺境伯ご本人が、そのことを承認しておるぞ、ユゥリン男爵」

「辺境伯が・・・?」


 フェイタン男爵の言葉にユゥリン男爵が首をかしげる。「まさか、そんなことを認めるとは・・・」


 辺境伯のこれまでの言動からは、考えられない条件らしい。


「それで、オーバどの。どの町を選ぶつもりなのだ?」

「その前に、フェイタン男爵と、ユゥリン男爵の町がどこか、教えてくれ」


「ん? ここだ。ここがわしの町、イーハム。こっちの端にあるのが、ユゥリン男爵の町、エルバだ」


「それなら、譲ってもらいたいのは、ここと、ここと、あとはカスタだ」

「ヨーインと、キュナン、それとカスタか。ううむ・・・なぜ、わしらのところの隣町ばかりを狙ってくるのだ?」


「ヨーインって町はフェイタン男爵に、キュナンって町はユゥリン男爵に、カスタはスィフトゥ男爵に譲るためだよ」


「はあっ?」

「馬鹿な?」

「何を言ってる、オーバ?」


 男爵が三人とも、驚いている。


「何をって、今、言ったまま。そのままだけれど。男爵にはひとつずつ町を譲る。これで、男爵の支配地が広がるし、力が強まるはずだろ」


 三人の男爵が、互いに視線を交わらせている。おれの言ったことを考えながら、それぞれがどう感じたのか、探り合っているようだ。


 こっちとしては、男爵たちの利を示しているつもりなんだけれど、伝わりにくいよなあ。


「いや、オーバどの。辺境伯から町を譲るという条件を認められたのは、オーバどのであって、わしらではない。男爵がひとつずつ町を譲ってもらうというのは、おかしいではないか?」


 フェイタン男爵は、そう言いながらも、目が動いている。本当は、町がほしい、と思っているに違いない。エサにかかった魚みたいなもんだな。


「もちろん、辺境伯からおれが譲ってもらう町だ。それで、譲ってもらった町なんだから、それをおれが誰に譲っても、別にかまわないだろ?」

「つまり、辺境伯から町を譲られるのはあくまでもオーバで、我々は、オーバから町を譲られる、ということか?」


 スィフトゥ男爵がまじめな顔で言う。その体はぐるぐる巻きに縛られているので、なんか、滑稽な感じがする。


「む、それならば、確かに、問題はないかもしれんのう」


 フェイタン男爵はちらり、とスィフトゥ男爵を確認してから、ユゥリン男爵を見つめた。「ユゥリン男爵、どう思う?」


 ユゥリン男爵は、あごに手をあてて、つぶやいた。「いや、辺境伯の町を自分の手にするなど、そんなことはできん」


 声が小さくなったのは、強く否定したくないから、と受け止めよう。

 本当は、ほしい、けれども、忠義の臣としては、そういうことをする訳にはいかない、と。


 それがユゥリン男爵のスタンスだろう。忠義という、かっこよさ、を見せたいのだ。本質ではなく。


 フェイタン男爵は目を見開いて、おれの方を見てくる。目は口ほどにものを言うとは、こういうことかもしれない。ほれ、なんとかユゥリン男爵を説得してくれ、早く、早く、とか、そんなことをフェイタン男爵の目は言っていた。


 まあ、説得というより。


 ユゥリン男爵の、偽物の忠義って奴をはっきりさせるだけだけれどね。


「ヤオリィン軍師は、ユゥリン男爵がもっとも、辺境伯への忠義が厚い、と言っていたよ」

「う、うむ。そうであろう」


 一度、持ち上げておく。


「辺境伯が、男爵たちが納めなきゃいけない麦の量を増やしたときも、求められた分だけ増やして納めたし、そのことに何も文句を言わなかった」

「その通りだ。それが、臣下としてあるべき姿」


 そう言ったユゥリン男爵は、ぐるぐる巻きに縛られたスィフトゥ男爵を見た。「臣下の道を外れたら、かかなくてもよい恥をかくものだ」


 スィフトゥ男爵は不満げに目を反らす。


 うん。いい流れ。

 いいセリフ。


 パクらせていただくとしよう。


「でも、それって、本当に、辺境伯に対する忠義だったと、言えるのかねえ?」

「な、何?」


「今、辺境伯が大草原で捕まって、縛られて、まさに『かかなくてもよい恥をかく』状態なんだけれど、そうなったのは、忠義の心を持つ、本当の臣下がいなかったからじゃないの?」


 フェイタン男爵がおもしろそうに、おれを見た。スィフトゥ男爵も、不思議そうな表情でこっちを見ている。


「・・・人質交換の条件について取り決めは済んでたはずなのに、なんか、その条件を守る前に、辺境伯を助けようとした兵士がいたもんだから、夜の間に皆殺しにして、寝ていた辺境伯の目の前に並べといたんだ。そして、陽が昇った瞬間、辺境伯の情けない悲鳴が響いてさ。自分を助けに来て命を落とした勇敢な兵士の姿を見て、びっくりして叫ぶって、王家の直臣って、何だよ?」

「う・・・」


 アルティナ辺境伯に直接耳打ちされて、救出隊を手配したフェイタン男爵の表情が変わる。おもしろがらせるつもりはないからな。これも牽制だよ。


「ああ、そうそう。スレイン王国では、王家の直臣である辺境伯って、戦いで傷つけられることがないらしいね? フェイタン男爵が教えてくれたけれど、王族や王家の直臣は、捕まえられたとしても、最高の待遇でもてなされるのが普通だとか?」

「その通りだとも。フェイタン男爵にしては、珍しく、正しいことを言ったな」


 ユゥリン男爵が満足そうにうなずく。一方、フェイタン男爵は不満そうだ。


「それなら、どうして、辺境都市から大草原へと向かった辺境伯を止めなかったんだ? もしくは、大草原で負けたら、スレイン王国のようには、扱ってもらえないことをどうして教えない? 男爵たちの方が年上で、経験も豊富なんだろ? スレイン王国の外で、スレイン王国のやり方に関係のない相手に負けたら、殺されても仕方がないってことすら、辺境伯は知らなかったみたいだけれど? あいつ、何も考えずに大草原の砦を攻撃したぞ?」

「いや、それは・・・」


「どうせ、何を言っても聞かない奴だし、それほど危険もないとか、その程度の認識だったんだろうけれど、結果として、辺境伯は大恥をかいたよな? 王都の巡察使が見ていたから、このことは王家にも伝わるぞ」

「巡察使だと? 本当か?」


 ユゥリン男爵が椅子から立ち上がって叫んだ。「どういうことだ?」


「・・・辺境伯領での、辺境都市と辺境伯の争いを確認するために派遣されていたらしい。アルフィには王都から、少なくとも三人、派遣されていたようだ」


 縛られたままのスィフトゥ男爵が説明する。


「そんなことが・・・」


 ユゥリン男爵がそのまま立ち尽くす。


「もし、アルティナ辺境伯に、本当の忠義の臣下がいたのなら」


 おれは、ユゥリン男爵とは逆に、用意されていたおれのための椅子に、ゆっくりと腰掛けた。


「辺境都市アルフィを陥落させた後、大草原へ向かうのは止めただろうし、止めないにしても、スレイン王国の外で戦うことの意味を、危険を、きちんと教えただろうよ。まあ、辺境伯が、男爵たちの意見を聞き入れない奴だった、ってこともなんとなく分かるんだけれどね」


 おれはそこで、三人の男爵と、一人ずつ視線を合わせていく。「でも、さ。そういう辺境伯にしてしまったのは、あんたたちだろ」


「なんだと?」

「ユゥリン男爵。なぜ、男爵領の人たちが、食糧不足になって困ると分かっていて、アルティナ辺境伯の要求に応じる? そもそも、辺境伯が多くの麦を求めたのは、なぜか? 中央への野心、だろ?

 銅の鉱脈を見つけて、剣と胸当てを作り、武具と防具をそろえて、さらには兵力を増強。辺境伯の直轄地では、若者を兵士として奪われた村々で麦の生産量が落ちたそうだな。ヤオリィン軍師がそう言ったぞ? そのせいで、男爵たちが、麦を要求された。あんたたちは、若者の減少と麦の生産量の低下、その関係が分かってないんじゃないか?

 まだ若いアルティナ辺境伯が、勘違いして調子に乗ってしまうのは、分かる。

 だが、その勘違いや間違いを、臣下とはいえ、年長者である男爵たちが、誰一人、諌めることなく、まるで辺境伯の野心を後押しするかのように、自領の民衆を犠牲にして、多くの麦を納めるとは、ね。

 そんなことが、なんで忠義なんだ? ユゥリン男爵?

 領主としてあるべき姿も知らないわがままな子どもを躾けることもできずに、結果として、国外で大恥をかかせたのは、王家の直臣にただ従うことが忠義だと思い込んで、辺境伯を立派な領主として育てようとしなかった、辺境伯の人生の大先輩であるユゥリン男爵、あんただよ」


「そ、んな・・・」

「あんたの忠義ってのは、薄っぺらいね、本当に。辺境伯の相手がおれじゃなかったら、今頃、アルティナ辺境伯は国外で死亡している。そして、まだ10歳の弟が、次の辺境伯になる、と。しかも、直轄地の若者は、たくさん命を落とし、大怪我をして、村々はますます荒れていく。そんな辺境伯領の未来は、どうなるって言うんだよ? 10歳の子どもに、何ができるんだ? まだ分からないのか? 何が忠義の臣下だ。辺境伯領を滅ぼす寸前まで追いやって、それで忠義だとか、よく言うよな」


 ユゥリン男爵は真っ青だ。しっかり反省すればいい。ただの盲従を忠義だなどと笑わせてくれる。


 そんな本質に欠けた忠義だから、さっきもおれの力を確かめないと話し合いもできないなんて、勘違いができるんだ。





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