第88話 女神が何本もの矢を平気ではねのける場合(1)



 フェイタン男爵との約束の夜。


 高速長駆スキルからの大跳躍で辺境都市に乗り込んだおれは、男爵の屋敷をめざした。


「スグル、屋敷の庭は敵だらけですね」

「そうだね。守りは任せる」

「もちろんです」


 セントラエスは頼もしい。


 スクリーンの光点から考えると、最低でも50の兵士が守備を固めている。これが、フェイタン男爵に押し付けられた、ユゥリン男爵を納得させる場面だろうか。


 ユゥリン男爵に、何をしても無駄だということを分からせるのであれば、正面からが一番。どうせ、セントラエスの守りを貫くことなど、できる訳がない。


 男爵の屋敷の、正門から堂々と中に入る。


 弓兵が待ち構えている。


「今だ!」


 号令の声は、フェイタン男爵のものではない。おそらく、もう一人の男爵、ユゥリン男爵だ。

 軍師どのを締め上げて確認した情報では、辺境伯に対する不満はあるものの、忠義を重んじるという美学があるらしくて、自分の忠誠心は高い、と信じているらしい。


 弓兵から、一斉に、おれへと矢が放たれた。


 おれはただそこに立っていた。


 なんか、昔、映画か何かで、見たような光景だな。大量の矢が雨のように降り注いでくるのをたった一人で受け止めるような。なんだったっけ・・・。思い出せないな。


「では、『千手守護』で防ぎます」


 セントラエスの声が優しく響く。セントラエスの固有スキルである『千手守護』は、敵の攻撃を叩き落してくれる。

 赤竜王の炎熱弾すら防ぐ、万全の防御スキル。当然だが、たかがスレイン王国の弓兵の矢では、おれには届かない。届くはずがない。


 入口の両脇にあるかがり火に照らされたおれの周囲で、次々に矢がはじかれ、折れて、叩き落されていく。


 見えない何かに守られて。


 矢は一本たりとも、おれに届かない。

 その事実を見せつけておくことに意味がある。


「・・・ど、どういうことだ?」

「無駄だよ、ユゥリン男爵。あきらめろ。おれは話し合いに来た。今なら、反撃はしない。部下の命が大切なら、早めに下がらせるんだな」


 対人評価で、そこにいる指揮官がユゥリン男爵だということは確認済。


「あきらめろ、と? 矢がはじかれる理由も分からぬままに、か?」

「目の前で見ても、分からないよな。おれは、単に女神の守護を受けているだけなんだけれどね」


「女神の、守護だと?」

「信じられないなら、もう一度だけ、試してみればいい。何本、矢を放ったとしても、女神の守護を打ち破ることはできないから」


 力押しでくるユゥリン男爵には、力押しが通じないとはっきり分からせるのが早い。


「さ、早く」

「・・・こ、後悔するなよ。弓兵!」


 ユゥリン男爵の声に反応して、弓兵が再び矢を放つ。


 さっきと同じように、おれに届く前に矢ははじかれ、折れて、叩き落されていく。

 命じたユゥリン男爵だけでなく、多くの弓兵が呆然としている。


 建物の中から、フェイタン男爵が出てきた。


「すまない、オーバ殿。ユゥリン男爵は、どうにもまっすぐでな。直接相手をしてもらった方がいいと考えた。スィフトゥ男爵から、100人がかりでも無理だと説明は受けておったから、特に問題はないと思ったのだ」


 こいつも、曲者だよな。その話はこの前、直接しただろうに。わざわざユゥリン男爵に聞かせようという魂胆だな。

 しかも、ユゥリン男爵の暴走で、もしおれを殺せたら、それはそれで、かまわないと考えていたに違いない。


 さらに言えば、この程度で、おれが怒って辺境伯を殺したり、ユゥリン男爵を殺したりはしないということも見抜いてやがる。


「ユゥリン男爵、弓兵を下がらせろ。もういいだろう?」

「わ、分かった。すまぬ、オーバ殿とやら・・・」


 ユゥリン男爵が手を動かすと、弓兵が屋敷の奥へと姿を消していく。


「・・・いちいち、常識の違いをぶつけあっても仕方がないからな。ところで、スィフトゥ男爵も、その中にいるんだろうな? おれにはいないように思えるけれど?」


 スクリーンで確認すると、スィフトゥ男爵は、建物の中にはいない。どうやら、地下牢らしきところにいるようだ。


 フェイタン男爵は、しまった、という顔をした。


「男爵三人と会談したい、というのは、やはり本気だったのか?」

「本気だよ。地下牢かな? 早く連れて来てくれると、話も早く済むんだけれど?」

「分かった。ユゥリン男爵、スィフトゥ男爵を頼む」


 フェイタン男爵に見つめられたユゥリン男爵は、少しだけフェイタン男爵を見つめていたが、ため息をついて歩き去った。


 おれはフェイタン男爵に近づいていく。


「もう、これ以上、おれのことを試すのはやめてほしいな。時間がもったいないから。スィフトゥ男爵から聞いた話は十分に確認できただろうし?」


「ああ、よく分かった。我々では、オーバ殿を止められん。スィフトゥ男爵が言っていた、オーバ殿がたった一人で、我々の陣に乗り込んで、軍師どのをさらったというのも、真実なのだな?」


「ヤオリィン軍師に、何か、思うところでも?」

「・・・あやつが来てから、いろいろとな、苦労が増えた」


 正直な、フェイタン男爵の感想だったのだろう。


 その苦労が、具体的にどのようなことまでを含んでいるのかは、分からないけれど。

 確か、トゥリムはあの軍師は北のカイエン候のところにいた、とか言っていたか。そのカイエン候ってのが、辺境伯領を乱そうと送り込んだ奴だったりするのかもしれない。


 ユゥリン男爵が、縄でぐるぐると縛られたスィフトゥ男爵を連れて戻ってきた。


 おれはその情けないスィフトゥ男爵の姿を見て、ちょっとだけ笑った。


「生きててよかったな、男爵」

「・・・まさか、500の軍勢を崩壊させて、辺境伯を捕えるとはな。辺境都市の領主として、それだけの脅威が大草原の向こうにいたことを知らなかったとは情けない限りだ」


「情けないのは縄でぐるぐる巻かれた今の姿の方だと思うよ」

「むう・・・相変わらず、嫌なことを言うな、そなたは」


「ま、会談が終わるまで、その縄に結ばれているといい。後で、キュウエンにはその情けない姿のことを教えておく」

「・・・娘に知られるか。はあ、もはや、それもよい。立派な父とは言えんしな」


 スィフトゥ男爵も笑った。

 それを見たユゥリン男爵が意外そうな顔をしていた。


 フェイタン男爵が中から手招きし、そこへ、おれと、ユゥリン男爵、そして、スィフトゥ男爵が入っていく。


 若僧の辺境伯とは違う、経験豊富な男爵たち。


 ここからが本当の講和会議だ。木剣で殴って脅すような簡単な話ではない。





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