第87話 人質の解放について女神に誓いを捧げさせた場合(1)
「おい」
フィナスンとその手下たちが特別に用意してくれた天幕に戻ろうとしたら、その直前で呼び止められた。
王都の巡察使、トゥリムだった。
「なんだ、トゥリムか。今日はよく戦ってくれたな、助かったよ」
「・・・なんで、おれの本名を・・・いや、オーバ殿のそういうところを気にしても仕方がないか。しかし、よく戦ってくれた、と言われても、な。はじめから、オーバ殿が一人で戦ったとしても、勝つつもりだったように思えるが? その証拠に、最後に一人で飛び出した後は、あっさり100人以上を打ち破って、辺境伯を捕えただろうに。以前、スィフトゥ男爵の兵士に神殿を取り囲まれても問題がないと言っていたのは、こういうことなんだろう?」
こいつ。
しゃべろうと思ったら、こんな長文でも大丈夫だったんだな。
おれは、あいまいに微笑んで返す。
暗いから、表情までは見えてはいないかもしれない。
ま、トゥリムなら、こんな夜でも、見えているかもしれないけれど。
「はじめから、辺境伯をここまで、大草原まで攻め込ませて、それから撃退するつもりだった、そういうことなんだな」
「なんでそう思う?」
「・・・援軍が、あまりにも都合よく来たからだ」
「そうか。そりゃ、分かるやつには分かるよな。当たり前のことだが、援軍が来る時間はもちろん見計らって戦った。そもそも、守城戦の勝利ってのは、敵が撤退するまで耐え抜くか、援軍が到着するまで時間を稼ぐかのどちらかのことだろう?」
もっと言えば、敵が補給を受け続けて撤退しないのに籠城するのも、どれだけ待っても援軍が来ないのに籠城するのも、どちらもあまり意味がない。
特に、相手の兵力の方がかなり大きい場合には、だ。
「守備陣を攻めて背を向けている相手を背後から討つ、か。なるほど、道理だ。しかも、あの恐ろしい獣の群れは圧倒的だった。これでは、アルティナ辺境伯、あの愚か者じゃ、相手になるまい。つまり、辺境都市から逃がした700人は、辺境伯という愚かな獲物の前に見せつけた、ただのエサだった、ということだな」
「・・・おれたちは、兵士に蹂躙されるかもしれない、かよわい人たちを必死に守っただけだろ」
「いろいろな言い方ができるものだ。まあいい。100人を相手にして圧倒できる個人の武、軍を率いて勝利を導くその策謀、分裂していた民衆をまとめる魅力、そして、いくつもの秘めたる力。その全てに申し分なし。前にも言ったが、頼む。王都に来て、その力で王国をまとめ上げて・・・」
「あのな、トゥリム。おれは大森林の覇王だ。スレイン王国には、はっきりいって興味がない。他人事なんだ。だから、本当は、辺境伯が辺境都市を攻め落とそうが、スィフトゥ男爵が捕えられようが、実際のところ、あんまり関係ないと思ってる」
「しかし、捕えた辺境伯を人質にして、辺境都市を取り戻すのだろう?」
「本当の狙いは、辺境都市なんてちっぽけなもんじゃない」
「何っ?」
トゥリムは一歩近づいてきた。「では、スレイン王国を大草原の勢力で飲み込もうとでもいうのか?」
「そんなくだらないものにも用はない」
「く、くだらないもの・・・」
「そうだよ。辺境伯の、あの横柄な態度、それからあいつがやってることを見てれば分かる。
王家は、もはや実質的に、国内の諸侯を抑える軍事力を持たないんだろう? アルティナ辺境伯みたいに、自分の領地で軍を強化し、強権を振るう領主が増えても、王家はもはや何もできない。そういうことなんだろう?
静観することが方針なんて、そんなもんは方針じゃないだろ。
既に、王国内は事実上の群雄割拠を迎えているし、それは戦乱の時代の前触れ。今回の辺境伯と辺境都市の争いも、その流れのひとつで、それが、今のスレイン王国の実態だろ?」
「そこまで分かっているなら、王国の民に救いを! それが王たる力を持つ者の務め!」
「だから、おれは、おまえらの王じゃない。おれは大森林の王なの。知らない土地までなんとかしようなんて、そんなことができるか。おれが大切なのは、自分と自分の身近な者だよ。それ以外がどれだけ死のうが知ったことか。スレイン王国のことは、スレイン王国の中の誰かが、やればいい」
当然のことだ。
スレイン王国がどのような状態になったとしても、それはスレイン王国のこと。
それが嫌なら、戦うなり、逃げるなり、自分ですればいい。
「・・・それでは、何を狙っているのだ?」
トゥリムは真剣だ。
もう、あと少しで達成できることなので、隠すことにそれほどの意味もない。
それに、トゥリムの協力があると助かる。
「トゥリムがこれから先も協力する、というのなら、教えてもいい」
おれはまっすぐにトゥリムを見つめた。
ほんの少しの間だったが、間違いなくおれたちの視線はぶつかっていた。
トゥリムは力を抜くように、息を吐いた。
「協力するも何も・・・巫女長さまがおれに与えた任務は『辺境に現れた王に仕えよ』だ。おれは、オーバ殿が巫女長さまの預言の王だと考えている。だから、巫女長さまが言われた通り、オーバ殿に仕えるつもりだ。オーバ殿に協力するのは、おれとしては、当然のことだ」
それで、トゥリムはずっと協力してくれていたのか。会ったこともない巫女長さんとやらは、自分の腹心をおれに仕えさせて、どうするつもりなんだろう?
それとも、トゥリムがおれに仕えることを、預言したのか。どうなんだ?
トゥリムの職業欄の3つ目が、それに関係しているのか・・・。
王都はかなり遠いみたいだから、確認するのも、かなり面倒なんだけれど。
それでも、王都まで、行く必要があるのかもしれない。
「おれの狙いは、おまえたちが、辺境と呼ぶ、おれたちに近いスレイン王国南部一帯の安定だよ」
「辺境の、安定?」
「そうだ。スレイン王国がどれだけ乱れても、辺境伯領さえ安定していれば、おれたちに被害が及ぶことはないからな。それに、辺境伯領が安定して、他と争わなければ、トゥリムが大好きな王都にも結局はいい方につながるんじゃないか?」
「何?」
「辺境伯領は、王都にも、他の諸侯にも付かず離れず、ただ自領のみの安定に打ち込む。そうなるように、辺境伯領内部での勢力の均衡を図る。
辺境伯を王家の剣にはしないし、辺境伯は王家の盾にもならない。ただ、王国の外に対して王国の盾であることを忘れずに、そこにあるようにする。
そもそも、そんな器じゃないだろ、あの辺境伯は。あいつが何かを企めば企むほど、スレイン王国は混乱する。だから、おまえらが辺境と呼ぶ、スレイン王国の端っこでのんびりさせるのが一番なんだよ、きっと。
本当はスィフトゥ男爵のところだけで、なんとかしたかったんだけれど、辺境都市だけでは弱い上に、おれが来たときには、既にアルティナ辺境伯とスィフトゥ男爵はもめてたし、実際に戦ってみると辺境伯の力が高まり過ぎてたからな。
ある程度、辺境伯の力を奪って男爵三人に分け与え、男爵たちに同盟を組ませて辺境伯を抑える。そういう仕組みが必要だ。
あの軍師から聞いた話じゃ、男爵たちも本当は不満たらたらで、辺境伯に本心から従っている訳じゃないらしい。
その結果として、王国内の他の勢力が争っても辺境伯領はかかわらず、大草原という外の脅威に備えるという本来の役割を前面に押し出し、安定の中でひたすら交易を拡大する。
その交易相手が、大草原の氏族同盟、つまりその背後にいる大森林、要するにおれたちのことだ。
おれの狙いは、辺境都市との間の交易で得られる利益だよ。
今から三年後、スレイン王国内が今以上に乱れて争う中で、辺境伯領だけはその争いに加わらず、交易で力を伸ばし、穏やかで豊かな暮らしを手にする。
そして、十年か、二十年か知らないが、誰かがスレイン王国と呼ばれる一帯を掌握したのなら、そこで辺境伯は、そいつに対して新たに忠誠を誓えばいい。
だから、今回のこと、しっかり王都に報告しろよ。2000の兵を率いて大草原に攻め入った辺境伯は、兵士の多くを失い、潰走したってな。大草原の氏族たちは王国の脅威。辺境伯にはその本来の役割に集中させろ。国内の争いに使おうとするなど言語道断ってな」
「・・・本当は500の兵なんだが?」
「辺境都市まで2000の兵を率いてたのは事実だし、大草原に進軍したのも事実だ。ちょっとしたズレくらい、誤解させとけばいいよな? その方が与える印象も大きいし」
「・・・そこまでするのは、なぜだ?」
「簡単なことだろ。さっきも言ったが、交易による利益を得るためだよ。おれたちのところでもいろいろな物が手に入るけれども、スレイン王国にはスレイン王国にしかない物がいろいろとあるし、それを交換することで今以上に豊かになれる。戦乱なんかに巻き込まれてたら、ゆっくり食事も楽しめないよ」
「・・・そういえば、ピザとかいう、味付けパンを売り出させたのは・・・」
「フィナスンが売ってたあれか。おれが教えたけど? 何、おまえも買ったのか?」
「あれは、うまかったな・・・」
「そっか、よかったな。いいか、トゥリム。もうスレイン王国から、辺境伯領は切り離して考えろ。別におれが支配しようってことじゃなくて、実質的には中間地点となる辺境都市が交易の中心となって栄えていくはずだ。三人の男爵や辺境伯に巡察使として恩を売って、いざという時の、逃げ場にするだけでいいだろ?」
「逃げ場・・・」
トゥリムが考え込むように口をつぐんだ。
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