第86話 女神の奇跡を上手に交渉で用いる場合(3)



 辺境伯は、わざわざ残しておいた五人の兵士たちに、正しい指示を出すように努力した。


 男爵二人のうち、どちらか一人だけが来ること。

 軍を率いてくるのではなく、最低限の護衛だけを連れてくること。

 戦う意思は持たず、交渉のために来ること。

 貢物を用意すること。


 などなど。


 お馬鹿な総大将にしては、それなりに正しい指示が出せたんじゃないかと思う。


 太陽は沈みかけていたが、五人の兵士を出発させた。


 兵士が出発すると、辺境伯は縄を解いてくれと要求してきたが、これは無視する。

 ここからが本番なのに、なんで拘束を解かなきゃならないのか。


 フィナスンの手下が、辺境伯の両脇にたき火を用意してくれた。相変わらず、気が利く。手下どもはこれから辺境伯がどうなるか、よく分かっているらしい。さすがはフィナスン組だ。


「早く、縄を解いてくれ。もう、逆らう気はない」

「何言ってんだ。今から交渉が始まるんだよ。総大将と先に話して、内容を全部決めておいたら、部下の男爵が苦労しなくて済むだろ?

 さ、まずは、辺境都市アルフィのことからだ。

 辺境伯軍はアルフィから手を引け。アルフィはスィフトゥ男爵の支配地に戻すこと。

 実はさ、スィフトゥ男爵は、大草原とはそれなりにうまく付き合ってきた実績もあるからな。ちょっと失敗もあったけれど、ここまで攻め込んできてしまうような馬鹿が辺境都市を支配してたんじゃ、おれたちも安心して眠れないし?

 いいか、おまえは辺境都市アルフィから手を引け。軍は引き上げて辺境伯領へ戻れ。辺境都市は元通り、スィフトゥ男爵の支配地に戻せ」


「ば、馬鹿な。そんなことは認められん。あやつはこの辺境伯に逆らったのだぞ? そ、そうだ、辺境都市が蓄えていた麦を全て、そなたらに渡そうではないか。それで手を打とう。1000人の町の全ての麦だ。十分な量になるだろう?」


「やれやれ。まだ自分の立場が分かってないか」


 おれは左手に神聖魔法の祈りの光を集め、右手で木剣を握る。


「・・・な、なんだ、その光は?」


「すぐに分かるよ」


 おれは真顔で、木剣を振り下ろした。

 ごき、と辺境伯の縛られた右腕を折る。


「ぐわわああっ!」


 辺境伯の悲鳴が響く。


「骨を折ったから、痛いよな。大丈夫、すぐに・・・」


 左手の光で、骨を折った辺境伯の右腕を包む。

 一瞬で、骨折が完治していく。


「ぐは、は・・・な、なんだ、い、痛みが、き、消えた・・・?」

「知らないか? 神聖魔法って言うんだ」


「し、神聖、魔法だ、と・・・」

「そうだ。骨折だと見えにくいから分からないかな」


 おれは木剣を腰に差して、代わりに銅剣を抜く。


 同時に、再び左手に光を集めた。


 そして、辺境伯の左腕、上腕をざっくり斬る。


「ぎゃあっ!」


 辺境伯の肩のすぐ下が大きく裂けて、血が噴き出す。

 骨も見えている。


 そこに、左手をかざして、光で包み込む。


「ぐあ・・・やめ・・・、ろ・・・、い、いや、あ、あたたかい・・・なんだ、これは、き、傷口がふさがって・・・痛みも、なくなった・・・」

「これが神聖魔法だ。さっきぐらいの骨折とか、今みたいな切り傷なら、一瞬で治せるし、おれは、それを連続で百回以上はできる」


「こ、これが、伝説の、神聖、魔法・・・」

「とりあえず、おれが要求することに対して、おまえが反抗したり、否定したり、別の案を示したりしたら、骨を折る。

 なに、痛いのは一瞬で、すぐに治療はしてやる。大事な人質だからな。絶対に殺さないから、安心しろよ。

 それで、おれが要求した内容に、気が向いたら、はい、分かりましたって、言ってくれればいいから」

「な、なんだそれは? それは交渉か? そんなものは脅迫ではないか!」


 今度は銅剣で左足のふとももをざっくりと。

 肉が裂け、血が噴き出し、悲鳴が響くが、光に包まれると、傷口が消えてなくなる。


「これが、おれの、ただの捕虜に対する交渉だよ。

 いいか、そもそも、おれとおまえは、対等な立場じゃないんだ。

 おまえは捕虜なんだから。勘違いするなよ。

 戦争で負けて、捕まったんだぞ? 

 生きてるだけでありがたいと思えよ。

 おまえら、アルフィから逃げた人たちを捕まえたら、何もしないつもりだったのか? そんな訳ないよな? 持ち物は奪うし、女は犯す、そして、男は、殺す。そうだろ?」


 辺境伯の目に、怯えが見えた。

 おれが言った言葉の意味が本当に理解できたのだとしたら、いいのだけれど。

 奪おうとする者は、立場が変われば、奪われる。当然のことだ。戦場では弱肉強食、強さが全て。まあ、身分制があるスレイン王国だと、少し事情は違うかもしれないな。


 おれは銅剣を腰に差して、再び木剣に持ち替える。

 そして、その木剣を肩にのせ、とんとん、軽く自分の肩をたたいた。


「切り傷は分かりやすくていいけれど、どっちかというと、骨折の方が痛みはひどいからな。さて、続きだ。辺境都市アルフィから軍を引き上げて辺境伯領へ戻れ。辺境都市はスィフトゥ男爵の支配地に戻せ。いいか?」


「わ、分かった、そうする・・・」


「よし。それじゃ、次。辺境都市の食糧はそのままにしろ。一切持ち出すな。自分たちで運んできた兵糧はそのまま持ち帰ってもいいが、辺境都市の食糧を奪うのは認めん」

「な、なにを、馬鹿な・・・ぐわわぁぁっっ!」


 右足のすねを思い切り木剣で叩きつけて、骨を折る。

 すぐに光で包んで、治療する。


 あまり間を置かないのがポイント。

 苦痛耐性スキルを与えないようにするためだ。


 わざわざこいつのレベルを上げてやることはない。


「分かった! 分かったから! 辺境都市の食糧は持ち出さないと誓う!」

「よし。じゃあ・・・」


 おれはどんどん、要望を出して、辺境伯に認めさせていく。


 時々、悲鳴が響く。

 時々、光が輝く。


 それにしても、思ったよりも、簡単に要望が通る。


 こいつ、偉そうにしてた分、痛みに弱いんじゃないかな? わがままに育てられたのかもな。


 これなら、少々やり過ぎても、苦痛耐性スキルは身に付かないかもしれない。


 そう考えて、たまには二本同時に、手と足の骨を折ってみたり、顔面をぶっ叩いたりしながら、交渉を進めていった。あくまでも、交渉だ。個人的にムカついてることは否定しないけれど。






 三時間後、おれが提案した全ての内容を辺境伯は受け入れてくれた。


 ありがたいことだ。けっこう、無茶な要求もしたんだけれどね。


 現在の彼の体には、傷ひとつ、ない。


 現在の彼の体、だけれど。


 ただし、彼の心がどうなったかは、知らない。

 知ろうとも思わない。


 その言葉だけなら、失恋の話をしているようだ。

 彼の心がどうなったかは知らない・・・なんてな。


 全く恋愛とは関係のない、かけ離れた状況だというのに。


 彼の、その目が、おれを見ただけで、おびえていたとしても。


 どうせ、この先、あまり関わることもない相手だ。

 仲良くすることもない。


 だから、何のフォローもいらない。


 木剣を腰に差したおれに、フィナスンの手下が何も言わずに焼き立てのパンを差し出してくる。ますます、こちらの思いや希望を予想した動き、忖度がうまくなっていくフィナスンの手下たち。


 おれは、焼き立てパンを美味しく頂いた。ちなみに、辺境伯には食事を与えない。あの軍師から得た情報の中に、男爵領では、辺境伯からの増税で、多くの麦を納めなければならなくなって、食べられなくなった人々もいた、と聞いている。そういう庶民の思いを味わえばいい。


 辺境伯は二つのたき火に照らされていたにもかかわらず、どこか影が見えるようだった。


 いつの間にか、世界は夜に支配されていた。





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