第86話 女神の奇跡を上手に交渉で用いる場合(2)



 ようやく目を覚ました辺境伯を前にして、おれはにこりと笑った。


「やっと起きたか。待たせやがって」

「・・・そなたは、さっきの・・・では・・・む? これは、どういうことだ?」


 アルティナ辺境伯は、両手、両足、腰と、五か所を縛られ、拘束されていることに気づいて、疑問を投げかけてきた。「無礼な! 今すぐこの縄を解け! 私は辺境伯だぞ!」


「なんで?」

「なぜ、だと? 辺境伯とは、王家の直臣! 私に対する無礼は王家に対する無礼と同じだ! この愚か者めが!」


 もがいて、動けず、顔を真っ赤にしながら、文句を言ってくる辺境伯。


 身動きが取れないくせに、実に偉そうで、笑える。


「はあ? 王家ってなんだよ?」

「そなたは王家も分からんか? スレイン王国をまとめる偉大な王だ!」


「あっそ。でも、おまえはただの辺境伯だろ?」

「はあ? 私は王家の直臣である辺境伯だ! ええい、早く縄を解け! この場で殺してやる!」


 真っ赤になって怒っていて、とんでもなく馬鹿に見える。


 今の状況も。

 自分の仕出かしたことも。


 何も分かっていないらしい。


 きゃんきゃん吠えてて、情けないったら。


 しっかり、立場を理解させないと、困るよなあ。


「とりあえず、黙ろうか」


 おれはそう言って、木剣を振るう。


「ぐがっ・・・」


 軽く、なので骨折まではさせていない。


 でも、痛そう。

 痛みに慣れてないんだろうな。


「キサマ・・・」

「ちょっと静かになったみたいだから、よーく聞け。それで、よーく考えろよ。いいか?」


「・・・この屈辱、忘れぬ。必ず殺してやるぞ」

「はいはい、どうぞご自由に。今から自分の立場が分かっても、そう言えるといいな」


「なに・・・?」

「おまえ、ここがどこだか、分かってるか?」


「ここが? 何の話だ?」

「馬鹿にはゆっくり話さないと駄目か」


「ぐ、馬鹿だと・・・?」

「おまえは、スレイン王国の、王家から辺境伯に任命された、辺境伯領の支配者、アルティナ辺境伯なんだろ?」


「そうだ。分かっておるではないか!」

「そんで、辺境伯領の一部を任せるために任命していた男爵が反抗したから、それを攻めたよな?」


「・・・辺境都市アルフィを任せていたスィフトゥ男爵は、私の命令に従わず、納めるべきものを納めず、反抗し、辺境都市に籠城して、我が軍勢と戦い、敗れた。当然だが、私の勝利だ」


「そうかもな。それで、今、ここにいるよな? ここがどこだか、知らないのか?」

「私は、アルフィから逃げた者たちを追って、ここに来た。ここは・・・どこだ?」


「やっぱり分かってなかったか。やれやれ。辺境都市アルフィが何か、理解してないのに辺境伯だなんて偉そうによく言えたもんだな」


「何を・・・」

「辺境都市アルフィは、スレイン王国の最果ての町。そこから先は、もうスレイン王国じゃない」

「む・・・」


 アルティナ辺境伯が動きを止めて、目を細めた。


「ここは大草原だ。いいか、よく覚えとけ。

 この周辺は大草原東部氏族同盟に所属する、セルカン氏族の支配地だ。

 もはやここは、スレイン王国の外。

 おまえが偉そうにスレイン王国の直臣だとか、辺境伯だとか言っても、何の意味もない、まったく別の場所だ。馬鹿だろ? 知らなかったのか?」


「・・・辺境都市の先など、興味もない」

「そうか、別にそれはどうでもいい。おまえが知っていようが、いまいが、興味があろうが、なかろうが、もうそんなことは関係ないからな。ここはスレイン王国じゃないんだから」


「だから、何だ?」

「おれたち、大草原東部氏族同盟は、スレイン王国からの侵略者を認めない。だから、打ち倒し、殺し、追い払った。いいか、おまえは、おれたちの領土に攻め込んだんだよ」


「私は、アルフィの者たちを追ってきただけだ」

「何言ってんだ、馬鹿? 軍隊率いて、自分の国じゃないところに勝手に入り込んで、アルフィの者を追ってきただけだと? おれたちが同じように、辺境都市の者を追いかけてスレイン王国に入り込んでも、そう言えば全て許されるんだろうな?」


「く・・・」

「馬鹿だろ? 馬鹿だから・・・国を捨てて逃げた者たち、国外に出た者たちを追いかけて、外国まで入り込むことが何を意味するのか、考えてもなかったんだろ? 辺境都市アルフィよりも外の世界がどういうところなのか、スレイン王国ってのはどこまでなのか、興味がなくて、知らなければ、そこに軍隊を連れて行って、そこの砦を攻め落とそうとしても、何の問題もないって思ってたんだろ?」


「キサマら蛮族など・・・」

「はいはい、その蛮族に言い負かされて、侮辱でしか言い返せないおバカな頭の持ち主だってことはよく分かったから」


 なんか、こいつ、嫌な奴だよな。つい、言い過ぎてしまう。なぜだろうか?


「ぐぬ・・・」

「いいか、確認するぞ。

 おまえが蛮族と呼ぶ、おれたち大草原東部氏族同盟が、おまえの兵士たちを追いかけて、辺境都市に攻め込み、攻め落として、さらにはカスタや、他の辺境伯領まで侵入しても、おまえは別にかまわないって、言うんだな?

 今、ちょうど、おまえの兵士たちの生き残りが、アルフィに向かって逃げてんだけどさ?」


「・・・そんなマネをしてみろ、許さんぞ。全兵士をもって戦い、殺してやる」

「はい、よくできました。

 だから、おれたちは、おれたち大草原東部氏族同盟の領土に勝手に入ってきやがった、スレイン王国とかいう国の直臣さまであるところの辺境伯とかいう偉そうなやつの軍勢が、おれたちの砦を攻めているのを見つけたもんだからさ、許せないよな。

 分かるだろ?

 だから、攻撃して、殺して、奪って、追い払ったんだ。

 理解できたか、アルティナ辺境伯さま? 

 あ、一言付け加えるとすれば、おれたちは別に全兵士で対応した訳じゃないから。

 一部の兵士で十分だったぞ。

 おまえら、弱いよな、ホントに」


 辺境伯は、何か言い返そうとして、真っ赤な顔のまま口を開いたが、言葉を出さなかった。


 怒りが限界に届くと、言葉を失うらしい。


 おれは、言い過ぎているという自覚はあるのだが、なぜか自分を止められない。


「あれ? ひょっとして、おまえらが、おれたちにどんな風に負けたのか、覚えてないのか?」


 辺境伯が、唇を強く噛む。

 どうやら、覚えているらしい。


「覚えてるんだな。じゃあ、おさらいしようか、アルティナ辺境伯さま。

 おまえらスレイン王国軍は、おれたちの領土に侵攻し、砦を攻めた。

 おれたちは、自分の砦を守るために戦い、スレイン王国軍に勝利した。

 その戦いで、スレイン王国軍の総大将だったおまえ、アルティナ辺境伯さまとやらはおれたちの捕虜になった。

 さて、と。

 たかが捕虜の分際で、ずいぶんと偉そうな口をきくもんだな。目を覚ましてからのさっきまでのやりとり、思い出せるか?

『無礼な! 今すぐこの縄を解け! 私は辺境伯だぞ!』とか。

 ここ、スレイン王国じゃないけど。

『なぜ、だと? 辺境伯とは、王家の直臣! 私に対する無礼は王家に対する無礼と同じだ! この愚か者めが!』なんてのもあったかな。

『そなたは王家も分からんか? スレイン王国をまとめる偉大な王だ!』とか言っちゃって。

 そっちこそ、ここがどこかも知らないし、自分が何をしたかも分かってなかったくせにな。おれたちはスレイン王国くらい知ってるし、王家が何かも分かってるよ。分かってて、ここは違うって言ってんだから。

『私は王家の直臣である辺境伯だ! ええい、早く縄を解け! この場で殺してやる!』って、そんなに身動きできないくらいに縛られてて、どうやってこの場でおれを殺すんだ?

 そもそも、おれの軽~い一撃で気を失ったような奴が、どうやっておれを殺すんだ?」


 ところどころ、アルティナ辺境伯の声色をマネながら、言ってやった。言ってしまった。


 あの負け方を思い出したのなら、言い返せるはずもない。


 ああ、そうか。


 おれは、こいつにムカついてるんだ。

 身分ってものに、何の根拠もなく、寄りかかっている、こいつに。


「無礼なのはおまえの方だ、アルティナ辺境伯。

 おまえの命は、おれたちの手の中にある。

 しかも、スレイン王国と、おれたち大草原東部氏族同盟との間に、本格的な戦争でも引き起こすつもりなのか?

 スレイン王国って国は、知らないって言えば何をやってもいい国なんだろうな。

 おれたち氏族同盟では、そんなマネをしたら、周りの他の氏族たちに、よってたかって潰されると思うんだが?

 おまえは堂々と王家の直臣を名乗ったんだ。スレイン王国として、おれたちの領土に攻め込んだってことで、いいんだよな?」


「・・・ち、違う。スレイン王国は、関係ない。これはあくまでも辺境伯軍の行動で、辺境伯軍は辺境都市アルフィを攻めただけだ」

「じゃあ、なんでおまえは、大草原のおれたちの領土で捕まって、ここに縛られてるんだ?」


「そ、それは・・・」

「非を認めろ、アルティナ辺境伯。

 おまえは、おれたちの国を攻撃したんだ。

 その上で、無様に捕虜になって、身動きできないくらい縛られてここにいる。

 その意味が分からないのなら、ここで・・・」


 おれは手を伸ばし、辺境伯の耳を掴んで、口を寄せた。そして、ささやくように、言う。


「・・・死ね」


 ささやくように、そして、できるだけ冷たく、死ね、と言い捨てた。

 辺境伯の顔色は、怒りの赤から、恐怖の青へ、変化していた。


「・・・み、認める。私が間違っていた。そなたらの地に攻め込んだのは、そなたらの砦を攻めたのは間違っていた。許してほしい」

「はい。第一段階、終了だ。今回の責任は辺境伯軍と辺境伯にある。これは決まったな。

 言葉だけの謝罪じゃなくて、もらうもんはたっぷり頂くから、忘れるなよ。

 あ、ちなみに、おまえが連れてきた兵士たちから銅剣と銅の胸当てと、食料の入った袋は全部奪ったけど、これは別だから。戦場での当然の戦利品だから、謝罪と賠償は別だぞ、いいか。

 じゃあ、とりあえず、おまえの兵士を何人か連れて来させるから、アルフィにいる二人の男爵に、正しい指示を出せよ。

 おまえが指示を出し間違うと、二人の男爵もおまえみたいに、おれたちの国を攻撃して、おれたちの捕虜になるかもしれないからな。そうなったら、交渉相手がいなくなって、おまえのことも、もう殺すしかないから」


 おれはそう言うと、フィナスンに指示を出して、辺境伯軍の残していた捕虜を呼ばせた。





  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る