第86話 女神の奇跡を上手に交渉で用いる場合(1)



 辺境伯が目を覚ますまでの間、おれはセルカン氏族の族長であるエイドと面会していた。


 別にアイラやライムから逃げた訳ではない。絶対に違うので、そこは注意してほしい。


 エイドはおれに礼が言いたい、ということだった。

 いや、それはともかく、氏族同盟からの援軍に、氏族の族長が一人加わっていたということには驚いた。こういうのって、本当は前もって知らせてほしい。セントラエスとはよく話し合っておこう。


 セルカン氏族は、エレカン氏族とヤゾカン氏族に襲撃されたことによって戦う人手が足りなかったというのが現実らしいが、この援軍に加わればおれに直接会える、ということもエイドは考えていたらしい。

 これはまた、有能な感じの族長が現れたな。負けるな、ドウラ。


「今回の、氏族間の戦いでは、大森林の助けによって、エレカン氏族とヤゾカン氏族を叩きのめすことができた。

 本当に、オオバどのには感謝している。

 ジッドどのはもちろんだが、アイラどの、ノイハどのを始め、大森林の者はみな、とても強い。

 もちろん、オオバどのも、怖ろしく強い。

 我々、セルカン氏族は、これから先、氏族同盟を裏切ることはないし、喜んで大森林の下につく」


 そう言って、エイドは片方の膝をついて、おれを見上げた。

 感謝を述べるだけでなく、おれに対する従属宣言だったらしい。


 セルカン氏族は、辺境都市に一番近い氏族だ。


 逆に言えば、大森林からはかなり遠い位置にある氏族だ。従属されても、何かをしてやれるって訳でもないのだけれど。


「エイド、いいから立ってくれ」


 おれはまず、エイドを立たせる。「これからは、オオバと呼んでくれていい。セルカン氏族は勇敢に戦ったと聞いている。これからも氏族同盟に協力してくれるというのは嬉しい。だが、大森林の下につく必要はない。おれたち、大森林のアコンの村は、氏族同盟との協力関係を望む。それに、氏族同盟の頂点はナルカン氏族だ。下につく、というのであれば、ナルカン氏族のドウラの下についてくれ。ドウラの姉のライムはおれの妻でもある。おれとドウラは義兄弟なんだ」


「・・・そうか、オオバがそう言うのであれば、ナルカン氏族のドウラに従おう。セルカン氏族はドウラに協力し、氏族同盟を支える。ところで、オオバ。うちの氏族からも、嫁取りをしないか?」


 出たよ、政略結婚・・・。

 しかも、大草原は幼女婚の習慣があるから、小さい子を送り出すんだ。

 リアルロリコン地帯なんだよ・・・。


「いや、誰かを嫁に出すなら、その相手はナルカン氏族のドウラにしてくれ。それが氏族同盟の結束につながるだろう?」


 もちろん断りますよ、政略結婚は。


 もう、アコンの村に三人の嫁と一人の婚約者がいて、ナルカン氏族にも妻が一人いるんだ。嫁さんは十分ですから。

 今だって、この場にアイラとライムがいることで・・・。


「残念だが、そう言われるのなら、そうしたいと思う。それなら、ナルカン氏族のドウラに、うちの氏族から嫁取りするよう、口添えを頼みたい。チルカン氏族からは嫁取りしたと聞いている」

「分かった、約束する。この後、ライムに必ず伝えさせるから」

「それと、厚かましい願い事なのだが、今回の戦いで借りた、馬を一頭、譲ってもらえないか?」


 おっと。

 そこに、目をつけたか。


「実は、氏族同盟に参加する前、うちの氏族はそれまで飼っていた馬を逃がしてしまった。その時は羊もかなりの数を失ったのだが・・・。馬がここまで戦いで活きるとは、その時は考えていなかった。辺境都市からもっとも近いうちの氏族は、いざという時に戦う力がほしい。それは氏族同盟のためでもあると思うのだ」


 ちなみに、その、セルカン氏族が氏族同盟に参加する前、馬や羊を逃がしてしまったのは、夜中にこっそりおれがやったんだけれどね。

 しかも、そのときの馬は今は虹池のイチの群れの中にいるしね。もちろん、そんなことは言わないよ、うん、絶対に。


 今回の辺境伯軍との戦いも、エイドが参加したエレカン氏族との戦いでも、騎馬隊の活躍で相手を圧倒した。


 馬が戦いに使える、というのは実際に参戦して、一緒に戦った族長なら気づくし、族長がやってきたからこそ、こうやって、おれと直接話ができる。


 もともと、大草原の氏族たちは、わずかながら馬を飼っているし、その馬に乗ることもある。


 しかし、羊よりも繁殖が難しく、数は増えない上に、馬は草をよく食べる。

 死んだら馬肉として食べることもあるが、基本的には肉よりも乳、馬乳の利用が中心となり、それなら羊の方が肉とするのに効率がよいので、ほとんど馬を増やすことはなかった。


 しかも、裸馬にまたがって掴まるだけの乗馬方法なので、移動手段としても、うまく使えていなかった。


 アコンの村のおれたちは虹池にいるイチたちの群れを利用できるから、これだけの頭数をそろえられるのだが・・・。


 馬の利用に目をつけたのは、芋づるロープを使ったあぶみのせいだろうと思う。馬上でのふんばりが裸馬に乗る何倍も楽で、安定する。

 だから、速度を上げても大丈夫だし、人を踏み潰していくような乗り方をしても、そのまま乗っていられる。

 あぶみがあるから、馬の軍事利用、騎馬隊として機能する。そして、別にネアコンイモの芋づるロープでなくても、あぶみは簡単に用意できる。


 このエイドってのは、年齢の分はドウラよりもしっかりしているのかもしれない。


 だからといって、馬を譲るのはなあ・・・。


「馬は、おれたちにとっても貴重なものだ。そう簡単に譲る訳にはいかない。今は、駄目だ。ただ、その希望は、すぐではないが、これから数年かけて、少しずつなんとかすることを約束しよう」


「・・・なかなか、手強い交渉相手だな。若いと思って、つい欲張ったが、こうも次々と断られるとは、な。優秀な者は年齢ではないとはよく言ったものだ」


「ほめてくれて嬉しいよ。エイド、三年だ。その三年で、できるだけ羊を増やしておくんだな。馬と交換となると、羊が5、6匹では話にならないんだ。辺境都市に近いってこともうまく使って、できるだけ羊を増やせ。いいか、ここまで親切に教えたんだ。わざわざこんなところ族長がきて、戦ってくれたことに対する、おれからの礼だと思ってほしい」


「礼とはいえ、言葉だけだが、これは大きな価値を持つな。感謝する、オオバ。しかし、ナルカン氏族には馬を譲るつもりなのだろう?」


「おれは妻を大切にする主義なんだ。自分の妻がいる氏族に甘いのは当然だろう?」

「はは、大草原の氏族は、妻の扱いがなっていないと?」

「ナルカン氏族にいるおれの妻は・・・」


「知っている。出戻り女だったのだろう? 大草原の氏族たちの、そういった女に対する扱いが嫌いだと言っておったらしいな。噂は本当だったか。やれやれ、オオバと早くに出会えたナルカン氏族がうらやましいことよ」


「ドウラはよくやっていると思う。エイドが氏族同盟を支えていけば、それはきっと、セルカン氏族にとっても、必ず成長につながるはずだ。これからもドウラをよろしく頼むよ」

「ああ、分かった。こちらこそ、よろしく頼む」


 エイドはにかっと笑った。


 その裏のない笑いに、おれはとても好感を持ったのだった。





  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る