第85話 女神が奇跡の力を遺憾なく発揮した場合(2)
さて、と。
これにて準備は完了。
最高の援軍である騎馬隊と。
混乱してまともに戦えない辺境伯軍。
もはや勝負はついた。
予定通り、敵を逃がすことなく、ひたすら追い詰めていくことができる、完ぺきな舞台が整った。
「そんじゃ、フィナスン、守備陣は完全に任せた。おれは、行ってくる」
「へ? あ、兄貴? どこへ・・・」
おれはひょいっと櫓から飛び降りて、すたん、と着地すると、一気に走り出した。
「兄貴っ!」
フィナスンの叫びが聞こえるが、振り返らない。
右手に握った金属の短い棒が、ぐんっ、と伸びる。
おれは、その棒を、棒高跳びの要領で、ぐいっと地面に刺して、大きく跳躍する。そして、棒とともに、木の柵と一緒に敵兵たちを高々と一気に飛び越え、守備陣の外に着地する。
着地と同時に、棒を少しだけ短くして、それを前に構え、辺境伯の本軍へと走る。
騎馬隊は、アイラを先頭とする群れと、ライムを先頭とする群れ、ジッドを先頭とする群れに分かれて、それぞれが三角形の陣形で辺境伯の本軍を囲い込むように追い詰め、ぐるぐると回るように駆けながら、軍勢の角に位置する兵士たちを踏み潰しては着実に削っていく。
一頭だけ単独行動をしているノイハが、馬上から弓を引くたびに、敵兵が倒れていく。くそ、ノイハのくせにかっこいいな、おい!
守備陣を飛び出したおれの接近に気づいたアイラは、一人の少女の名を叫んだ。
「ウル!」
呼ばれた少女は、ちらりとアイラをふり返ると、小さくうなずき、ひらりと馬から飛び降りて、おれとは正反対の位置から、辺境伯の軍勢に接近した。
ジルを連れて、大牙虎の群れを狩りに行った時のことが思い浮かんだ。
今となっては、懐かしい思い出だ。
ジルにはあの時、手加減とか、許容とか、そういった言葉にはしづらい何かを伝えたつもりだったし、ジルも何かを感じて、大牙虎は滅ぼさず、逆に大牙虎のタイガとともに村で暮らす道を選んだ。
それがたったひとつの正解だとは言わないけれど。
違った答えもあるのだろうけれど。
ウルは、そんなジルとは少し、違う。
ウルにはそういう時間と機会を与えることができなかった。
だから、ウルは、敵に対して容赦しない。
手加減など、ない。ウルは最恐の戦士だ。
おれは自分の前に立っている兵士たちを次々と金属の棒で殴り倒していく。殴られた兵士たちは、目を見開き、膝をついて、倒れていく。
守備陣の中から、まるで天まで届く悲鳴のような、大きな歓声が轟く。
アイラに学んだ戦闘棒術だ。
そして、セントラエス特製の、金属の棒。
手のひらに握りこめる短さから、3~4メートルくらいの長さまで、伸縮自在。しかも、折れることや曲がることがない、とてつもない硬度を誇る、名も知らぬ神の金属でできている。
使用者が望めば、相手を打った瞬間に電撃を食らわせ、意識を奪うこともできる。ただし、加減ができないので、気絶でとどまらずに殺してしまうこともある。
セントラエスと二人でよく話し合って、くわしくおれの希望を伝えて、神器創造のスキルでセントラエスに作ってもらった、おれの特製の武器だ。
伸縮自在棒、電撃付き。分かりやすく言えば、スタンガン機能付きの如意棒。伸びる長さには限界があるし、電撃の強さは調節できないけれど。
おれは神器を振り回して、敵兵をなぎ倒し、どんどん進んでいく。
おれとは反対側から、ウルは無手で、次々と兵士たちを屠っていく。
殴打と蹴撃が、兵士たちには見えないような速さで繰り出されている。
ウルは、体格の違いによる問題など、全く感じさせない。
ウルに蹴り上げられた敵兵は、そのまま宙に舞う。
スキルとレベルで組み立てられたこの世界では、ウルという少女はもはや最強の一角にいると言える。
転生してきたおれと、最初に出会った二人の少女のうちの、一人。
スキル獲得年齢となり、いきなり20レベルを超えた、奇跡の少女。
おれと向き合っている兵士たちも、おれがどんどん兵士を倒していくことに驚いているようだが、ウルと向き合っている兵士たちの方が、その驚きの度合いは深刻だろう。
こんな少女にここまで簡単にやられるなんて考えてもみなかったはずだ。しかも、武器を持たずに。
おれとウルは、まるで無人の野を歩くかのように、辺境伯本軍の中心へと進む。そして、おれたちが進んだ後には生死いずれかを問わず、人が倒れている。
目を反らしたくなる現実と向き合えば、おれやウルから逃げようと思うのは当然だし、兵士たちがそうしてしまうのも分かる。
でも、そうすれば、本軍の中心であるそこから逃げ出せば、その先には騎馬隊が待ってましたと踏み潰しにくる。逃げても、結局は同じだ。
おれは伸縮自在棒で、軽く、百人以上は叩き伏せただろうか。ウルも、五、六十人は殴り倒し、蹴り倒したようだ。当然、何人もの死人が出ている。
電撃で気絶させようとして、殺してしまうこともある。電撃はこっちで強さを調節できる訳ではない。
おれが持っているのはそれだけ危険な棒だし、ウルの拳や蹴りは、一撃でも兵士たちの生命力を大きく削る。死人が出ないはずがない。
おれとウルが進み出ると、そこに道ができる。立ち塞がる者たちがいても、すぐに倒れていく。
その道の先には、待ち焦がれた獲物がいた。
アルティナ辺境伯、その人、である。
「な、なんだ、これは。なぜ、こんなことに、なぜ、こうなったのだ・・・」
辺境伯が、何か言っているが、おれは何も答えない。
まあ、答えは何かというと、まんまと騙されて、おれたちの領土である大草原にまで、わざわざおびき出されてくれた、欲望にまみれた愚かな指揮官がいた、ということではないだろうか。
それでも、勝敗を分けたのは、辺境都市を出発するタイミング。または、追撃してきた部隊がどれか。紙一重といえば、そうだろう。
もし、辺境伯が、追撃に足の速い部隊だけを送り出すのではなく、すぐに今の部隊で追撃をかけていたら、避難民たちは、援軍である騎馬隊の到着まで、守備陣を守り切れなかった可能性だってあった。
または、追撃してきたのが、辺境伯の直轄地の部隊ではなく、どちらかの、または両方の男爵領の部隊だった場合、そして指揮官がどちらかの男爵だった場合は、やはり守備陣を援軍の到着まで守り切れなかった可能性が高い。
もちろん、そうなった場合には、セントラエスとおれの出番を早めるという対応はとっただろうけれど、こっちの被害も大きくなったに違いない。
ひょっとしたら、クレアが暴れ出すようなことにもなっていたかもしれない。クレアが、本来の姿で暴れたりしたら・・・スレイン王国と交易できなくなるよな、たぶん。
ま、結果としては、かなりいい感じに進んだ。ちょうどいい感じに追い詰められたってことだ。
さて、そんな愚かな指揮官である辺境伯だけれど、さすがは総大将、近くの兵士たちは逃げずに守ろうとして壁になる。
でも、その壁は、おれの伸縮自在棒の一振りで、バチバチっと電撃を受けて、ふらつきながらばたばたと倒れていく。
おれは辺境伯と対峙し、伸縮自在棒をまっすぐ突き付けた状態で、立ち止った。
「ええい、こやつを、こやつを早く、なんとかしろっ」
辺境伯が叫ぶが、おれが伸縮自在棒をさらに一振りすると、動いた者から順に倒れて動けなくなるだけだった。なんだか、叫べば叫ぶほどに、見苦しい。
さて、と。
見た目だが、辺境伯は、やっぱり若い。そして、若いだけあって、やはり未熟も未熟。身分が高いだけの、駄目領主、そのものだ。
やっぱり年齢はおれより少し上ってところか。
レベルだけは、スィフトゥ男爵と変わらない。それはスレイン王国の領主教育の成果だろう。
でも、支配下にあるはずの三人の男爵の方が、経験豊富で、したたかだ。
スィフトゥ男爵は数で負けた。対等な勝負は望めない中で、男爵は善戦したと言えるだろう。勝てないまでも、よく戦ったと心の中でスィフトゥ男爵を誉めておく。
そもそも、戦った相手は、辺境伯ではないとさえ、言えそうだ。相手が本当にこの辺境伯だったなら、勝ったんじゃないか、と思う。
辺境伯の後ろの兵士たちが二、三人、倒れるのが見えた後で、小さなウルが姿を見せ、おれと目を合わせて、にっこりと笑った。
その笑顔に、敵兵は身を引いている。怖ろしいのだろう。戦場でにっこり笑う少女。確かに怖いかもしれない。あり得ない光景だ。
それとほぼ同時に、左右からそれぞれ、馬に乗ったアイラとライムも到着した。
おれたちは、立ち尽くす辺境伯を四方から完全に包囲した。
「何者なのだ? どういうことなのだ? 私はどうなる?」
「いい夢見たか? 次に起きてからも、楽しい夢が浮かぶといいな。ま、無理だと思うけれど」
おれはそう言って、伸縮自在棒でこつんと辺境伯のアゴを突いた。
電撃がアゴから全身を振るわせ、辺境伯は膝から大草原に崩れ落ちた。膝をつき、そのまま前へと倒れ込む姿が、おれにはスローモーションのように見えた。
途中まではいい夢見てたかもしれないが、最後の方は悪夢だったのではないだろうか。
おれは伸縮自在棒を一番短くして懐に納め、ちらり、と馬上のアイラを見た。
アイラがこくりとうなずき、抜剣した銅剣の刃で天を指しながら叫んだ。
「おまえたちの総大将は倒れた! 武器を捨てて降伏せよ!」
馬上からのアイラの叫びに、他の騎馬隊の男たちも、同じ内容を叫ぶ。スレイン王国の連中に、大草原の言葉は片言しか通じないが、降伏勧告に逆らう敵兵は少ないようだ。一部、抵抗しているが、ジッドの率いる馬群が追い詰めているから、それも時間の問題だろう。
彼ら自身の目で見た、彼らの常識を超えた光景に、辺境伯の兵士たちは考えることをやめたのだ。
大草原での守備陣を守る戦いは、こうして終結した。
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