第85話 女神が奇跡の力を遺憾なく発揮した場合(1)
戦場全体を照らすように、光が満ちていく。
敵、味方、関係なく、空を仰ぎ見る。
光の中に現れたのは、一柱の女神。
おれとフィナスンがいる櫓よりもまだ高い位置で。
光を背負って、その姿を現したセントラエス。
避難民たちは歓喜に。
辺境伯軍は驚きに。
それぞれが、その動きを、止めた。
奇跡は、戦場でさえ、止める。
『愚かなる辺境伯の軍勢よ。
ここは大草原。
草原の民が暮らす大地。
そなたらが武器を手に侵してよい地ではない。
後悔するがよい。
この地に足を踏み入れたことを。
この地を汚そうとしたことを』
セントラエスの声が、高らかと、美しく、大地に響く。
全ての人に聞こえるように。
セントラエスは上級神として持つ自身のスキルを駆使している。
奇跡を演出するために。
本当は奇跡なんかじゃなくて、セントラエスのスキルでできることばかり。
『私の声に応じた子らよ。
アルフィの民よ。
あと少しです。
立ち上がり、戦いなさい。
奇跡はあなたたちの手で掴み取るのです』
昨夜、話し合って決めたセリフを言い終えたセントラエスから、光があふれ、守備陣の中に広がっていく。
フィナスンや手下たち、それにキュウエン。つまり、既に信仰スキルを身に付けた、女神セントラの信者となった者。彼らに対しては、セントラエスの神術が普通に届く。だから、彼らを狙いうちで、神聖な光に包みこんでいく。
戦闘不能となっていた手下たちの傷はたちまち癒え、戦闘不能ではなかった者も含めて、全ての手下たちとキュウエンは、大きく削られていた生命力さえも回復していく。
さすがは上級神。
ここまでの、広範囲での治癒と回復は、おれにはとてもじゃないが、できない。精神力や忍耐力のステータス値の桁が違う。
手下たちの傷は治療され、生命力は完全回復し、避難民の守備陣を支える主力が20人、一度に復活を遂げた。
しかも、セントラエスからの加護として戦闘支援も加えられているので、戦闘力についても一時的に増している。
さっきまで、起きあがることができなかったフィナスンの手下たちが復活して剣を握ると、それに勇気づけられた避難民も再び戦意を取り戻す。
目の前に広がる奇跡の光景に、守備陣の避難民の一体感は、最高の状態に入った。この状況でなら、差別意識とかなんとかは、吹き飛んだはずだ。
逆に、辺境伯軍の兵士たちはまだ呆然としている。
柵の中に侵入したにもかかわらず、呆然としてしまった敵兵たちを、復活したフィナスン組の連中は一気に切り倒し、柵に取り付いていた敵兵たちもあっという間に突き落としていく。
『アルフィの子らに!
光、あれ!』
もう一度、大きく輝き、そして、その光が消えると同時に、セントラエスも消えた。
異常な興奮状態となった避難民たちとフィナスンの手下たちは、雄叫びをあげて獅子奮迅の活躍を続ける。
一方、直接避難民たちと対峙していない辺境伯本陣の軍勢は、セントラエスが消えた空を見上げたままである。
光のイリュージョンで、辺境伯軍の意識をセントラエスに集中させる。
作戦通りだ。セントラエスは目立つ。つまり、囮。
だから、辺境伯軍は、後ろから迫ってきていた、本当に怖ろしい存在に気づかなかった。いや、気づくのがかなり遅れたのだ。
ドドド、という地響きに、空を見上げていた辺境伯の兵士の何人かが、後ろを振り返る。
ふり返った時には、もう遅い。
そこには、30頭を超える馬の群れが、その背に人を乗せて、迫ってきていた。
何度も言うが、援軍のない籠城に勝利はない。
だから、全ての戦力が辺境都市アルフィの中で完結していたスィフトゥ男爵は、いずれにしても辺境伯に敗れるしかなかった。
辺境都市アルフィはスレイン王国の果てにある。
そのさらに先から援軍など来るはずがない。隣町のカスタは辺境伯領で、東側からの援軍も望めない。
ところが。
同じ籠城でも、この大草原でのおれたちの守備陣での籠城は、少し異なる。
おれは、大草原の氏族同盟とつながりがある。
しかも、エレカン氏族との衝突のせいで、今、大草原の氏族同盟には、大森林のアコンの村から応援が来ている。
そして、セントラエスの分身を通じて、その大森林からの応援とは、実はばっちり連絡は取れている。
ここで、この守備陣で一日、夕方まで辺境伯の軍勢を押し留めて、粘ってさえいれば。
スィフトゥ男爵と違い、おれのところには、援軍が来る予定だったのだ。
辺境伯軍にはいないような、強力な力を持った、最高の援軍が。
援軍のない籠城に勝利はない。
しかし、ここでは、この守備陣では、籠城すれば、時間が経てば、援軍がやってくる。
最高の援軍が。
そして、その援軍は、セントラエスの姿に惑わされ、隙だらけとなった辺境伯軍を背後から遠慮なく襲う。
実はスレイン王国には馬がいない。
馬がいないだけでなく、辺境伯領では、羊と山羊以外の動物はまだ家畜にされていない。だから隊商の荷車は人間が押したり引いたりする。
もちろん、辺境都市の中には、馬のことを知っている者もいたはずだが、辺境伯たちにとっては、馬は初見の動物である。
当然のことだが、騎馬隊など見たことも考えたこともなく、その猛烈な破壊力など、想像もできない。ただただ、見たこともない何かへの恐怖に動けなくなる。
騎馬隊と辺境伯軍は、もはや避けられない距離に接していた。
そのことに気づかせないように、セントラエスはあえて目立つような光を輝かせたのだ。
さあ、仕上げといこうか。
「抜剣不要! そのままの速さで、敵軍を斜めに横切るわよ! それっ! 踏みつぶせっ!」
先頭のイチにまたがったアイラが後続を振り返りながら叫ぶ。
おう、と応じてアイラに他のメンバーが続く。
直前まで騎馬隊が迫ると、動けなかった辺境伯の兵士たちはさらなる恐怖にかられ、背を向けて逃げようとした。
見たこともない大きな動物に乗って現れた人たち。
高速長躯スキルに匹敵するその速さも。
人間を上回るその大きさも。
彼らにとってはただひたすらに恐怖でしかない。
しかし、背を向けたことによって、馬たちからすると、より簡単に踏み潰せる状態となっていた。
もちろん、辺境伯軍の誰一人として、そんなことなど知りもしない。
先頭のアイラ。その両脇のすぐ後ろにジッドとノイハ。アイラの真後ろにウル。ウルの右にライム、左にエイム。さらに後ろには、氏族同盟の男たち。
馬の群れは矢じりの形、菱形にかたまって、辺境伯の本軍を後ろから斜めに駆け抜け、次々に踏み潰していく。馬上で余計なことはしない。ただ、人を踏み潰しながら駆け抜けるだけ。
それだけで起こる悲鳴と怒号と。
そして、混乱。
守備陣を攻めていた辺境伯の兵士たちも、本軍があっという間に文字通り蹴散らされていく様子を呆然と見ていた。
いったい何十人が踏みつけられたのだろうか。
辺境伯の本軍を駆け抜けた騎馬隊は、そのまま守備陣を攻めていた兵士たちの後方の部隊をさらに蹴散らし、大きく円を描くように向きを変え、再び辺境伯の本軍へと向かった。今度は側面を突く形だ。
「ノイハ! 進路前方の何人か、こっちに向こうとしてる! 邪魔だわ!」
「分かった!」
アイラの言葉で、ノイハが弓を引く。大草原を二人で旅した時に身に付けた「騎乗弓術」スキルが発揮されている。
一射、二射。
ひと手で三本、ふた手で計六本の矢が飛び、合計六人の敵兵が倒れる。
ノイハの持つ、弓術に関する特殊スキル、「三本之矢」だ。
しかも、的中率100%とは、弓矢に関して、ノイハは天才という他ない。
さすがはノイハ。弓矢を使うと五倍増しでかっこいい。
しかし、そんなノイハでも、アコンの村の四天王では最弱なのだ。
ま、そういう話は、今はいいか。
ノイハの騎射で六人が倒れ、そうして崩れた一角を入口にして、再び騎馬隊は辺境伯の軍勢を猛烈なスピードで蹂躙していく。
「どんどん踏み潰せっ! 大草原に入ったことを後悔させてやるのよ! こっちまで二度と来ないようにね! あいつらの心を折るわよっ!」
アイラの叫びに、おう、と答えて、馬の速度がさらに上がる。
辺境伯軍は混乱を極めた。
蹴散らされていく辺境伯軍を見て、守備陣からは歓声が響く。
ここまで耐え抜いた守備陣の避難民たち。
崩れていく辺境伯軍を見て歓喜の声があふれる。
隣にいる者と抱き合って喜ぶ姿に、アルフィ人だとか、大草原の人だとか、小さな違いは関係ないようだ。追い詰められて、それを乗り越えられたことで、何かが変わるきっかけが生まれたのかもしれない。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます