第73話 女神が薬はダメと叫んだ場合(1)



「薬師どのっ! 薬師どのっっ!」


 叫び声が、神殿に響く。

 治療待ちの数人の患者が神殿の入口を振り返るのにつられて、おれも入口を見た。


 外が明るいので、まぶしくてよく見えないが、女性が抱きかかえられて、運び込まれている。


 声のトーンは、あせりを感じる。

 救急患者だ。


 順番を守っている場合ではなさそうな、慌てぶり。


「姫が、姫がっ」

「姫?」


 おれとクレアは立ち上がって、入口へ走った。


 治療待ちの人たちがざわめく。

 救急患者はキュウエンらしい。


 大急ぎでスクリーンを出し、対人評価をかけて、ステータスをチェック。

 患者はキュウエンで間違いないようだ。


 しかも、急速に生命力、精神力、忍耐力が減少している。


 男はキュウエンの護衛だ。いつも、少し離れたところから、キュウエンを見守っている奴だ。何度も見たことがあるから、間違いない。


 その護衛が抱いているキュウエンは、口から吐血し、腹部に何かが刺さって、そこからも大量に出血している。


 あれは、銅のナイフ?

 内臓がやられて、口まで血が逆流しているのか?


「薬師どのっっ! 姫を・・・」


 護衛の言いたいことは分かるが、言葉になっていない。


 ただ、悲痛な思いだけが伝わる。


 キュウエンの生命力が一桁に突入した。


「スグル! 薬では、もう・・・」


 セントラエスの、おれとクレア以外には聞こえない声が大きく響く。


 そりゃ、そうだろう。

 見れば、分かる。


 これは、傷薬とかでは絶対に無理だ。


 護衛にも、そのことは、理解できているのだろう。


 薬で治療できる範囲を超えている。

 こんな状態から、助けられるはずがない。

 そんなことは、あり得ない。


 しかし・・・。


 なんでまた、この護衛は、男爵のところじゃなくて、こっちに運んできやがった?

 おれたちに何を押し付けるつもりだ?


「オーバ! オーバ!」


 クレアが叫ぶ。「キュウエンを助けてっ! お願いっ! この子はっ・・・」


 分かってる、クレア。


 いい子だって、言いたいんだろ。

 そんなことは、おれにだって分かってる。


 そんなクレアがいい子だと思うよ、ほんと。


 やれやれ。

 なんて運のいい護衛と、姫さまだ。


 たまたま、本当に、偶然。

 おれとセントラエスがここにいたんだから。


 まさに、一生分の幸運を使い果たしたんじゃないか?


 まあ、キュウエンを助けることによって起きるはずの、この後の面倒ごとは・・・もう、あきらめるとするか。


「クレア! 合図をしたら、腹に刺さってるナイフを抜け!」

「うんっ!」


 おれは祈りを捧げて、両腕にそれぞれ光をまとい・・・。


「今だっ」


 おれの声に反応して、クレアがナイフを抜く。


 キュウエンの腹部から、さらに血が噴き出す。


 おれとクレアに、キュウエンの血流がそそぐ。


 次の瞬間。

 キュウエンは神殿の外の明るさを超える光の奔流に包まれた。






 キュウエンを包む神聖魔法の光が消え去った時。


 あれほどざわめいていた神殿の中には音がなかった。

 唐突な静寂。


 理解不能な事態を前に、人は動けなくなるのかもしれない。


 おれはキュウエンを護衛の手からそっと奪い取り、頭を傾けて、のどにあふれた血を全て吐かせ、袖でキュウエンの口をぬぐった。


 キュウエンの意識はない。

 状態異常の表示は麻痺だ。

 ただし、生命力などの減少は止まっている。


「護衛のおっさん、姫さんの意識はすぐには戻らない。奥の寝台で休ませるぞ」


 おれは護衛にそう声をかけて、そのままキュウエンを抱いて歩き出す。


 はっとして、護衛は顔を上げた。

 ようやく、キュウエンを奪われたことに気づいたらしい。


「い、今のは・・・」


 正直なところ。

 もう、どうしようもないとは分かっているのだが。


 それでも、できることなら、見なかったことにしてほしい。


「神聖、魔法・・・」


 そのつぶやきは、護衛ではなく。

 治療の列に並んだ、一人のお年寄りの口からこぼれた。


「おお、おお・・・き、奇蹟じゃ・・・司祭さま・・・トゥエイン司祭さまの奇跡のお力と同じ!」


 お年寄りのつぶやきは、最後は叫びに変わった。

 神聖魔法を知ってる人がいたのか。


 昔、ナルカン氏族のニイムが、辺境都市には神聖魔法を使う人がいたと言っていた。

 トゥエインって名前の司祭だったのか。


 静寂が満たされていた神殿に、ざわめきが戻ってくる。


「静かにっ!」


 おれはできるだけ大きな声で叫んだ。

 再び、神殿に静寂が戻る。


 早めに叫んで良かった。

 ざわめきが大きくなり過ぎるとどうやったって止められないからな。


「いいか、かつてここにいたトゥエイン司祭は、この力があったから、命を狙われ、亡くなられた」


 ということにしておこう。

 ずいぶん昔のことだ。この神殿が荒れてたようすから考えて、さっきのお年寄りも含め、ここからいなくなったトゥエイン司祭がどうなったかなんて、誰も知らないだろうし。


 もちろん、おれも知らない。


 こういう、もっともらしい話は、意外と信じてもらえるはず。


「この話が広まれば、おれとクレアはここを出ていくことになる」


 それぞれが顔を見合わせた後に、神殿内の全員の視線がおれに集まる。


 見渡すと、全員、唇を強く噛みしめている。

 何か、言葉を飲み込もうとするように、だ。


「頼む」


 おれは、そこで少し、言葉を切る。


 演技には、セリフには、間が、大切だ。


「誰にも、言わないで、ほしい」


 最後は、声のトーンを落とす。


 そして。

 もう一度。


 ダメ押しで。


「頼む」


 小さく、静寂の中だからこそ、やっとのことで聞こえるような声で、一言。


 静寂に支配された神殿の中で、さっきの奇跡を目撃した人たちは、みな、下を向いた。


 まあ、秘密なんて、守られるはずはないけれど。

 ちょっとでも効果があるといいなあ。


 残りの治療はクレアとセントラエスに任せて・・・といっても、セントラエスは指示を出すだけなのだけれど・・・、おれはキュウエンを奥へと運びながら、護衛に声をかけて、奥へ来るように命じた。


 命令できる立場ではないけれど。






 寝台に寝かせたキュウエンの胸はゆっくりと上下している。

 呼吸が安定している。


 まあ、おれの神聖魔法なら、これくらいはできる。というか、これ以上のこともできる。


 瀕死の重傷でも、生命力が0になる前なら、なんとかなる。

 だから、もはや命の危機は脱しているのだけれど。


「あ、あの、し、司祭さま・・・姫は?」

「司祭ではない」


「あ・・・いえ、申し訳・・・」

「それはいい。姫さんは、今のところ、安定している。ただし、助かるかどうかは、これから二、三日、ようすを見なければ分からないな」


「そ、そんな・・・」

「何があった?」


 おれはキュウエンから目を離し、護衛をにらんだ。

 護衛がびくりと反応する。


 さあ、情報を寄越せよ。


「言え」

「は、はい。この神殿を目指して、姫は町を歩いておりました。それが、突然、膝から崩れ落ち、倒れられたので・・・」


「倒れる前に、何もなかったのか?」

「・・・いえ、誰かとぶつかった・・・あ、まさか・・・」

「そいつが犯人だな。どんな奴だ?」


 まあ、予想はついているけれど。


「いえ、どんな・・・あ、いや、覚えていません・・・」

「護衛のくせに、男爵に殺されても文句を言えなさそうだな、おまえ」


「ひっ・・・」

「どうせ、いつもみたいに離れて護衛してたんだろう」


「・・・気づいて、おられたのですか」

「・・・まあいい。それで、どのくらいの人に見られた?」


「あ、いや、その場にいた者には取り囲まれるような状態になったので、かなりの人が見ていた、と」

「倒れたのが姫さんだって、分かる状態か?」

「はい・・・」


「なら、もうこのことは噂になってるな。当然、神殿に運び込まれたことも」

「はい、そうだと思います」

「面倒なことになった」


「申し訳・・・」

「なぜここに運んだ?」

「それは、ここに司さ、薬師ど、さまが、いらっしゃるので、それに、ここが近くて・・・」


 そうか。

 神殿の近くで刺されたのか。


 暗殺者としては、油断だよな。素人っぽい犯行だ。

 噂の薬師の近くなら、キュウエンが助かるかもしれないと、その可能性について考えない程度の、暗殺者。


 うん。

 素人だ、これ。


 その裏の裏で何か、というようなものだったとしたら、こっちとしてもどうしようもないレベルになるけれど。


 まあ、でも、まあ・・・。


「スグル・・・」


 あ、きたね。


「ソリスエルから連絡がありました」


 やっぱり。

 あいつか。


「イズタがキュウエン姫を刺したとのことです」


 犯人は予想通り。


 ただし、男爵たちには、分からないし、見つけられないだろう。


 それなら・・・。


「いいか、男爵には、姫さんは死んだことにしろ、と伝えろ」

「えっ・・・」


「姫さんは死んだということにしろ、と伝えるんだ」

「な、なぜ?」


「・・・おまえは考えない方がいい」

「あ、は、はい」


「それと、夕方に、荷車を一台、神殿まで来させろ」

「はい・・・」


「あと、姫さんが死んだことは住民を不安にさせるから秘密だ、と男爵に近い者には言い広めるようにしろ、と伝えろ」

「はい・・・」


 護衛はうなずいた。「あの・・・」


「なんだ?」

「姫は、死ぬのでしょうか?」


「そうならないよう、全力を尽くすが?」

「は、はい! ありがとうございます」


「いいから、早く男爵のところへ行け」

「分かりました」


 護衛が飛び出していく。


 やれやれ。

 もうちょっとマシな人材を護衛にした方がいいんじゃないか?


 まあ、忠誠心は高そうだけれど。


 しっかし、上から、偉そうにしゃべるってのも、面倒だな。


 それに、イズタ、か・・・。


 あいつの転生前の日本は、おれと同じ日本なのだろうか?

 殺しに、ためらいがなさ過ぎるだろう?


 それとも、こっちで十年も生きると、そういうものはなくなるのか・・・。


 そもそも、守護神に裏切られている時点で、救いようもないのかもしれない。





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