第70話 女神には不可能な作戦がなかった場合(1)



 カスタの町からの帰路は、特に危険なこともなく、辺境都市アルフィへと戻った。


 行きよりも隊商の荷車が増えたのは、塩袋が多かったからだ。増えた分の荷車を運んだのは、ナフティの手下たちで、神殿に塩袋を置いたら、空の荷車でカスタの町に戻っていった。もったいないが、その方が早く戻れるし、より安全だ。


 彼らの無事を女神セントラエスに祈りながら、手を振る。


 久しぶりに神殿に戻ると、すぐに来客があった。


 小さな怪我や、熱を出した子ども、足をくじいたおじさんまで、薬を求めて行列ができる神殿になった。ついこの前まで、廃墟も同然だったのだから、えらい変わりようだ。


 あとは、祈りがあれば、本当に神殿らしくなるのだけれど。


 人の流れが途切れて、治療院としての本日の営業は終了。


 薬の材料を取りに、門を出て、山へ向かう。


 門衛も、軽く手を上げるだけで、そのまま通れる。ずいぶん馴染んだものだ。


 山へ入って、ちらりと後ろを見る。


 うん、やっぱりな。


 その後は奥へ、奥へ。


 セントラエスが中学年の姿で実体化し、次々とおれとクレアに指示を出す。


 必ず、おれとクレアが中学年セントラエスをはさんで正反対に位置するように指示を出しているのは、意図的だと思うが、意外と薬草採集を楽しんでいるクレアには通じていないのがおもしろい。


 ついでに、というレベルではできないことだが、鹿を二頭、しとめて、木に吊り下げ、血抜きした。持ち帰るのは明日でいい。


 神殿に戻ったら理科実験が始まる。いや、本当は高度な製薬作業だ。まあ、おれとクレアは声だけになったセントラエスの操り人形として動く。


 今度の薬は、目薬と胃薬らしい。

 もちろん、女神の祝福つきだ。効果はこれで間違いない。


 今日の行列からすると、明日は客が少ないだろう。


 フィナスンに鹿を運んでもらうには、都合がいい。






 翌日、フィナスンの屋敷で朝からパンをごちそうになって、そのまま、鹿の回収に向かった。

 辺境都市は朝夕の一日二食。カスタの町もそういう生活だった。

 大草原も、大森林周縁部も、一日一食。この習慣の差は、そのまま食糧の差だったのだろう。

 アコンの村は、一日二食の食糧は十分に賄えるのだが、この習慣を変えていない。


 鹿の運搬を頼むと、フィナスンは二人の手下と一緒について来た。


 フィナスンたちは、おれとクレアのすぐ後ろをぴったりとついて歩く。森で迷わないために、必要なことでもある。


 おれは山へ入って、ちらりと後ろを見る。


 うん、やっぱりね・・・。


 その後は、まっすぐ、鹿のところへ。もちろん、一切迷うことなくたどり着く。


「・・・でかいっすねえ。なんでこんなでっかい獲物ばっかっすかね」

「ああ、言い忘れてたけど、もう一頭、しとめてあるから」

「・・・もう、何も言えないっすよ」


 フィナスンは手下に指示を出しながら、手をひらひらと振ってそう言った。


 どういうボディランゲージなんだか。

 そこは肩をすくめるところだと思う。


 さて・・・。


「しかし、この山、いい獲物がたくさんいるよな。町の人も来ればいいのに」

「・・・この山に入るようなマネをするのは兄貴と姉御ぐらいっす。町の人は、危険だからこの山には入らないっす。生きて戻れないっす。兄貴と姉御がいないなら、おれたちも入らないっす」


 そうだろうね。

 この前の猪とか、今回の鹿はレベル7から9くらいはある。


 大草原よりは少しマシだが、辺境都市の人たちはだいたいレベル3か4だ。

 大草原だと、レベルの高い人が4で、普通は1か2だ。貧民区の人たちは低いが、麻服を着ている者は、貧民区よりも平均が少し高い。優秀だと考えられるフィナスンはレベル5。

 もちろん、レベルだけでは計り知れない部分もある。

 例えば、死んだタリュウパはレベル2だったけれど、斥候、情報担当としては優れていたと思う。

 しかし、単純な戦闘という部分では、やはりレベル差は大きく影響する。特に、種族補正が少ない人間ならばその傾向は顕著だ。


 そんなレベルの低い人たちがこの山の森に入るのは危険過ぎる。


 実際のところ、山に危険な猛獣が現れたら、領主が兵士をたくさん率いて退治に行くらしい。


 ちなみに男爵令嬢キュウエン姫はレベル8である。

 初めて会った時、彼女は貧民区で暴れている人を止めようと駆けこんできたのだが、あれは地位を振りかざして暴れている連中を止めようとしているように見えるが、実際には、物理的に、力づくで止めることができる力量を持っている。

 あの若さで、大草原の天才剣士と呼ばれたジッドと同じレベルだ。もちろん、実際に戦えば、積み重ねた経験の差、つまりスキルレベルの差でジッドが勝つとは思う。まあ、ジッドも若いころからレベル8だっただろうとは思う。


 キュウエンとの世間話で、領主の子には師父と呼ばれる家庭教師のようなものが付き、口伝で一族の歴史や国の歴史について教わることは判明している。

 隠すようなことでもなく、世間話で話題になるのは、領主でもなければ子どもに家庭教師など付けられないからだろう。

 この家庭教師役の師父は、領主の子が跡を継いで領地を治める場合に宰相として治世を支える存在だという。

 師父自体のレベルは口伝を受け継ぐ専門家なので、領主や領主の子どもたちより低い。これからはアコンの村も、自分たちの歴史を残して伝えていくべきだと思う。


 他にも、キュウエン姫は身を守るためだけでなく、戦うために剣や槍の修行もしているらしい。この世界で生まれる大きなレベル差はほぼ間違いなく、教育環境の差だと思う。


 話が反れた。


 町の人は、危険だからこの山には入らない。生きるための当然の知恵だ。兵士でさえ、領主に率いられなければ、ここには近づかない。


 だから、おれたちはこの山でいろいろなことができる。もちろん、セントラエスの実体化も含めて。


 確認は済んだ。






 翌日、おれとクレアは鹿肉を貧民区で焼いて配った。


 キュウエン姫も、手伝いに来た。


 もちろん、姫も鹿肉を食った。こういうところがお姫さんらしくなく、辺境都市の多くの人たちから愛されているらしい。


 まあ、舌打ちして、姫さまを睨んでいる者もいるが、少数派だ。


 姫さんと世間話をして、いろいろと質問をする。

 キュウエン姫も、その質問に世間話として答える。ただし、この姫さんは、情報提供のつもりだろうと思う。おれを王都の密偵だと勘違いして、しかも利用しようとしているから。


「西門の外・・・大草原側は、作物が育ちにくいのだけど、三年前から少しずつ、麦畑を広げてます。羊の牧場は、西門の外に中心を移しています」


 辺境伯が軍勢を率いてきたら、籠城戦は大草原の反対側、つまり東門になる。まあ、西門側に回り込めなくはないが、かなり難しい。大軍がそういう無茶な移動に対応できる訳はないし、攻め寄せたのと反対側の門の前に少数の敵部隊が現れても、その効果は薄い。


 西門、大草原側を開発するというのは、辺境伯との争いに備える意味が強い。


 三年前から、というのは、その頃から辺境伯との衝突やそのための兵糧の確保を意識していたということになるかもしれない。


「もちろん、辺境伯に届ける麦を増やすためですから」


 その上で、どちらにでもできる場所で、どうともできる言い訳を考える。

 ここの領主、男爵は優秀で、かつ、したたか、なのだろう。


 キュウエン姫をこういう風に育てたことすら、実は偶然ではないのかもしれない。

 いざというとき、町の人々をまとめ上げる旗印とするために。


 ただ、この姫さんは、まっすぐ過ぎて、勘違いのまま突き進んでしまうようだが。


「それにしても、大きな鹿だったのでしょうね」

「そうかな」

「これで二頭分もないと、聞きましたが」


 確かに。

 一頭の半分は、フィナスンの取り分にしてある。


 ここでの炊き出し・・・焼き出しは、一頭と半分の肉だ。


 まあ、言われてみれば、日本で見かける、奈良公園とかの鹿とはかなり大きさが違う気もする。そういうところも異世界鹿だ。まあ、知らないだけで日本以外には巨大な鹿がいるのかもしれないけれど。


「山地の森に、クレアさんと二人で入っていると聞いてます」

「ああ」

「この町の者は、まず立ち入らないところです。こんな鹿がいたんですね」


 やっぱり、立ち入らないところですね。


 そうだと思っていました。





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