第69話 女神には全ての話が一切関係ない場合(1)



 久しぶりのカスタの町だったが、考えてみたら、たった三日しか、滞在したことがなかったので、フィナスンに連れられて入った丸太を組み合わせたログハウスは初めてだった。


 木材加工でも、スレイン王国はおれたちのはるか先を進んでいるのだろう。


 なんと、ここ、フィナスンの別宅なのだという。

 うらやましい。


 本拠地には石造りの邸宅、海辺の町にログハウスの別荘。

 実はフィナスンって、この世界の、この時代のセレブなのだろうなと思う。


 貨幣はないけれど、麦を貨幣代わりに商売をして、手広くもうけている。

 辺境都市アルフィと海沿いの町カスタの往復で、それぞれの需要のちがいを掴んで、利益を上げる。手下も10人以上いるし、かなりの財力だと言える。

 保存可能な穀物は、ある程度、貨幣のような価値を持つ。それをうまく利用している。大した男だ。


 フィナスンみたいなのを青年実業家というのかもしれない。


 そんな男が、意図せず、偶然に起きたこととはいえ、クレアを前面に出した美人局的な自衛権の行使によって、今はおれたちにいろいろと便宜を図ってくれる。

 変な意味になってしまうけれど、クレアがいて良かった。フィナスンの手助けがあるとないとでは、辺境都市での生活は大違いだ。


「兄貴、交渉はこの後、すぐっす。休まずに行きますが、本当についてきますか?」

「ああ、心配いらない。大丈夫だ」


「姉御は?」

「オーバが行くのに、行かない訳ないでしょう」

「へえへえ、お熱いことで・・・」


 フィナスンは肩をすくめて、外へと歩き出した。

 おれとクレアもそれに続く。


 その後ろを手下たちが荷車を引いて歩く。手下も、よく働くメンバーだ。人材も確保できている。やはりフィナスン、優秀な男か。


 200メートルくらい歩くと、なんとなく、見たことのある町並みになってくる。ああ、そうか、ここは地引網の親方であるナフティの屋敷の近くだ。


 だとすると、この広いスペースはカスタの町の中央広場だったはず。


 ここがアルフィとカスタの交易の中心らしい。

 カスタからはアルフィを目指す商人がいないらいしくて、フィナスンは大きな利益を上げている。

 カスタは辺境伯の直轄地とのこと。辺境伯領の二つの町からカスタに隊商がやってくる。中継地点として、うまみがあるし、カスタの特産品も広められる。


 よく見ると、フィナスン以外にも、荷車と一緒にやってきた人たちがいた。合計で十二、三台の荷車が集まっている。既に、熱心に交渉している人たちも見える。


「ああ、あそこに網の親方がいやす。兄貴は、塩が目当てで良かったっすね?」

「そうだな。塩を手に入るだけ、手に入れてくれ」

「なんとかしましょう」


 そう言ったフィナスンが近づいたのは、ナフティだった。


 なんだ、おれの知ってる相手か、と思ったので、フィナスンの交渉が終わったらナフティに声をかけようと考えて、フィナスンの後ろに大人しく控えていたのだけれど・・・。


「塩を大きな麻袋に六つっすね」

「いやいや、フィナスン、それはいくらなんで吹っかけ過ぎだろう?」

「じゃあ五つ・・・」


 フィナスンは大きく求めて、少しずつ要求を下げているらしい。


「確かにいい肉だとは思う。でもなあ」

「そっちこそ、塩はたくさん取れるっすよ」

「でも・・・っ・・・あ・・・、お、おい、フィナスン?」


 ナフティがフィナスンの後ろにいたおれに気づいた。


「は、なんすか?」

「お、お前の後ろの、あいつ・・・い、いや、あのお方、は?」

「へ?」


 フィナスンがナフティに言われて、おれをふり返った。


「ああ、この猪の肉の売り主っすよ。交渉の様子がみたいってんで、連れてきたっす」

「なっ・・・、フィナスンっ! てめえっ! なんでそれを早く言わねえんだっ!」

「おえっ?」


「塩は最初に言ってた分、全部そのままくれてやる! 必要ならその倍、いや、三倍渡してもいい!」

「三倍っ?」


 ナフティはフィナスンを押しのけて、おれとクレアの前に出てきた。


「オオバの兄さん、クレアの姐さん、どうしてカスタに来たってぇのに、うちをのぞいてくださらねぇんです? 間違ってけちけちしてるような様子を見せちまうところだったじゃないですか」

「あにさん? あねさん?」


 フィナスンは混乱している。

 ナフティは興奮している。

 手下たちは呆然としている。


 そう言えば、ナフティと知り合いだという話は、フィナスンにはしていなかった。まあ、たかが三日の付き合いだったし、自慢するほどの関係でもないから。


 ナフティは相変わらず、ぺこぺこしてくる。腰の低い男だ。


 そして、なぜか、立っていただけなのに、肉と塩を交換する交渉はきわめて有利に終えられた。






 食事をごちそうしてくれる、というので、おれとクレアと、フィナスンとその手下たち、全員でナフティの屋敷へ出かけた。


「・・・いや、おれたち、行ってもいいんすか?」

「いいんじゃないか?」

「兄貴は、いろいろと何か、間違ってるっす・・・」


 お前の下っ端敬語の方がよっぽど人生を間違ってると思ったが、そのことは口にしなかった。


 玄関で出迎えてくれたナフティは、人数の多さに一瞬だけ表情を固めたが、すぐに笑顔になった。


「兄さん、姐さん、それにフィナスンところの、みんな、よく来てくれた」

「連れてくるのはダメだったか?」

「いや、そんな訳ありやせん。最高の魚介料理を期待してください!」


 フィナスンは仏頂面で、手下たちは顔を見合わせている。


「フィナスンには、辺境都市でいつも助けてもらってるんだ」

「そうでやしたか! おい、おめえら、みなさんの席を急いであけろ! ささ、こっちへどうぞ」

「前にカスタに来た時は、いつもクレアと二人だけだったから、ナフティはそのつもりだったのかな?」


 座っていたナフティの手下たちがそそくさと奥の部屋へ消えていく。

 どうやら、フィナスンたちの席はなかったらしい。


「いえいえ、兄さんの連れは全てうちの客でさあ。うちのモンのこたあ、気にしないでくだせえ」


 フィナスンが唖然としている。

 どうやら、フィナスンの知っているナフティではないらしい。偽物疑惑か?


 おれとナフティの関係は、一回けんかしてぼっこぼこにしてから、仲良くなって食事を与えてもらう関係だ。

 けんかをしたら、仲が深まるというのは、物語では重要な要素だと思う。しかも、助かる。助け合いってのは大事だと思う。


 そもそも、ナフティは面倒見がよく、最初から親切だったが、性欲のコントロールが少しだけ苦手だったために、おれとぶつかっただけだ。


 そう、元々いい奴だ。そうに違いない。

 おれやクレアにだけ特別にぺこぺこしている訳ではないだろう。


「兄貴・・・ひょっとして・・・」

「なんだ?」

「いや、いいっす。なんとなく、いろいろ分かったんで・・・」


 フィナスンが小さくため息をついた。「とりあえず、二つの町の、それなりに大きな組織を手中に収めたってゆー、自覚を持ってほしいっす・・・」


 なんの自覚だって?

 よく聞こえなかったので、フィナスンに聞こうと思った瞬間、大皿にたくさんの魚介が煮込まれたスープが持ち込まれた。


 故郷の海の香りがする。

 おれは一瞬で食べ物に心を奪われた。


 島国に生まれ育って、魚介を当然の物として育ち、前世を生きた。

 この世界に転生して、内陸の大森林で暮らしたから、辺境都市を目指す時に、出身地の偽装の意味も重ねながら、心の中では海を見たいって思った。

 そうして、もう一度、このカスタを訪れて、この魚介の煮込み。


 しょうゆで刺身とはいかなかったが、ここに来てよかった。


「オーバ、大丈夫・・・?」


 クレアの声が、弱く、優しい。


 あれ?

 どうした?


「あ、兄貴、どうしたっすか?」

「ん?」


 テーブルに落ちる水滴。

 心配そうなクレアの表情が、少しかすんで見える。


 ああ。

 どうやら、おれは、涙を流していたらしい。


 前に、焼き魚を食べた時は、ここまでにはならなかった。


 三日間の滞在で、ナフティからは魚や肉を食べさせてもらったけれど、その時も大丈夫だった。


 少し濁りのある白濁としたスープに、白身魚の切り身、黒い手のひらサイズの貝、海老、いくつかの野菜・・・。


「あ、兄さん、何か、この料理に、苦手なもんでも入ってやしたか・・・?」

「あ、いや、ナフティ、これ、食べてみてもいいか?」

「もちろんでさあ」


 ナフティが女性をあごで使って、おれの取り皿にスープを入れさせた。魚介の具材も、野菜の具材も、まんべんなく入っている。素晴らしい気遣いだ。


 おれは取り皿を両手に持ち、その端に口をつけて、スープを口に含んだ。


「っ!」


 すぐに取り皿をテーブルに置いて、立ち上がる。


「ナフティ!」

「へっ、はいっっ?」


「今すぐ、この料理の作り方を教えろっ! いいか、材料から手順まで、隠しごとはするなっ! したら、殺す!」

「うげっ・・・お、おい、い、今すぐ、兄さんをかまどへ案内せえっっ! 急げっっ!」


「あ、兄貴、い、いったいどうしたっすか?」

「お、オーバ?」


 おれは女性に導かれて、かまどへ急ぐ。

 急がなければならない。


 なぜなら。

 この味は。


 辺境都市を攻め落として、支配下におさめるよりも。

 カスタの交易を牛耳って富を獲得するよりも。


 何倍も価値のある味だからだ。





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