第67話 女神が出会った女の子を警戒した場合(1)
どうしてこうなった?
おれの周りには、7、8人の男たちが倒れている。
暴れるつもりはなかったんだってば・・・。
でも。
仕方がなかったんです。
とりあえず、言い訳はさせてください。
おれとクレアは、麦粉の入った大袋をひとつ、持ち歩いて、貧民区を目指した。
貧民区は、「奴隷窟」と呼ばれているらしい。貧民区と呼ぶのは領主側の人たち。町で暮らす人たちは「奴隷窟」と言う。フィナスンに大草原から買われてきた人がどこにいるのか聞いたら、あっさりと教えてくれた。
大草原から口減らしで物々交換・・・物人交換か・・・されてきたどこかの氏族の子たちは、その商人の所有物となる訳ではないらしい。
辺境都市の領主が、奴隷たちを商人から麦で買い上げて、「奴隷窟」と呼ばれる貧民区に押し込めてしまう。
貧民区では、奴隷同士がある程度助け合って生きていく。奴隷は、不当に安い対価で働かされるし、理由もなく、辺境都市の奴隷ではない人たちから殴られたりもするらしい。
でも、誰かの専属の奴隷なのではなく、あくまでも辺境都市に住む一人の奴隷となる。自分で働き、生きる糧を手にしなければならない。
アコンの村で暮らす口減らしの子どもたちとは、残念ながら大きく違う。
まあ、それは当然と言えば当然か。
はるかに文化レベルが高い辺境都市からすれば、見下している大草原の氏族たちの中でも、最底辺の者たち。それが、口減らしに遭う子どもなのだ。
格安労働力を閉じ込めたスラム街が貧民区であり、「奴隷窟」である。
おれとクレアは、そこに、炊き出しならぬ、焼き出しにやってきた。
いくつかの石で簡単なかまどを用意し、お礼にもらった薪に火をつけ、いつもの平石を熱していく。土器のボウルに水と麦粉と豆を入れて、ぐるぐるに混ぜて、さらにトマトソースも加えていく。
「奴隷窟」の子どもたちが、遠巻きにおれたちを見ている。
少しねばりがでたところで、平石が十分に熱くなった。
レンゲスプーンで平石の上に混ぜたパンだねをのせて、丸く広げて薄くしていく。
片面が焼けたら、銅のナイフで平石と焦げ付きを切り離して裏返す。裏返した後はすぐに四等分に切り分ける。
子どもたちはいつの間にか、少しずつ、少しずつ、近づいてきていた。
クレアが焼き上がった薄いトマトソース味の豆パンを子どもたちに渡していく。
おれは次のパンだねを平石にのせていく。
渡された子から、渡されなかった子が奪い取ろうとして、クレアにゲンコツをもらって泣く。
「待ってたら、必ずもらえるんだから」
クレアはそう言い聞かせるが、奪い取ろうとする子どもは後を絶たない。クレアからはゲンコツがパンよりも多く振る舞われる。大人じゃなくてよかった。
でも、暴力反対~。
おれがどんどん焼いて、クレアがどんどん配る。やがて、ゲンコツはいらなくなった。
そのうち、子どもだけでなく、大人たちも近づいてきて、クレアは大人たちにもパンを配り始めた。大人たちは冷静で、子どものように奪い合ったりはしなかった。
それどころか、年寄りや、人数は少ないが女性などを優先して、クレアが渡した一切れをさらに分け合っていた。
それを見て、苦しい中で、助け合っていることが理解できた。奪い合うばかりでなく、分け合おうとする人がいるんだ。虐げられる中で、大草原の氏族のつながりを感じる。
きっと、子どもたちが先に食べられるように待っていたのだろう。世の中、悪人ばかりではないようで安心した。
がんばれ、という気持ちを込めて、パンを焼き続けたんだけれど。
「おまえたち、そこで何をしている!」
見れば分かるだろ、と思うのだけれど、分かっていて、言っているに違いない。
声の調子からも、悪意を感じる。分かりやすくて、嫌なものだ。
差別、侮蔑。
人間の醜い感情の発露。
「パンを焼いてる。見てて分からないのか?」
おれは、首だけで振り返った。
麻の服を着た男・・・たち、か。四人、五人、と増えていく。別に兵士とか、門衛とか、そういう感じではない。辺境都市の住人なのだろう。
なるほど。
服装で分かる、ということがよく分かった。
麻の服を着た辺境都市の人たちと、羊毛で編んだ、すり切れてぼろぼろの服を着た大草原の人たち、という奴隷たち。一目で違うと分かる。
服が身分証明なんだな。そう考えてみると、大森林のアコンの村は、もうみんながクマラの織った布で作った服を着ている。これも身分証明と言えるかもしれない。
なんてことをぼんやりと考えていたら、男が平石ホットプレートを蹴り飛ばして、おれのかまどを破壊したのだ。
次の瞬間、おれは立ち上がったが、その時には、既に男たちに取り囲まれていた。
逃げ場はなかったのだ。これは言い訳ではない。逃げようと思えばどうにでもなるが、逃げるための隙間がなかったのは本当だ。嘘ではない。
そして、今、冒頭の光景が広がっている。
いや、もちろん、手加減はばっちりですよ。一人たりとも、殺していません。だけど、誰一人として、すぐには立ち上がれそうにはないけれど。まあ、骨折もさせてないね。呼吸困難くらいです。あとは気絶かな。
うめき声だけが風に流されていて、まともな言葉は聞こえてこないな、と思っていたら。
「あなたたち、やめなさいっ! そんなことを・・・って、あれ?」
そんなことを叫びながら麻の服を着た女の子が「奴隷窟」へと走り込んできたのだった。おれの感覚では女の子、なのだが、こっちでは成人くらいか。高校生くらいに見える。
その女の子は、うめいている男たちを見て、おれを見て、クレアを見た。
「赤い髪・・・神殿の薬師の夫婦?」
「ふ、夫婦・・・」
クレアがまた頬を赤くしている。
もう噂になっているか。まあ、そういうものだろう。
善行だから痛いところはない。
「あなたたち、フィナスンがお父様に願い出て、神殿に泊まる許可を受けた、流れも・・・失礼。えっと、町の人を薬で助けてくれている人よね?」
あれ?
フィナスンの知り合いか?
ん・・・?
「お父様? 許可?」
「貧民区の人たちは、無事だったのかしら・・・」
確か、フィナスンは・・・。
おれたちが神殿を使う許可を・・・。
領主の・・・。
「はじめまして。辺境都市アルフィの領主スィフトゥ男爵の娘で、キュウエンといいます」
「・・・領主の許可をとったって、言ってたな、確かに」
フィナスンは、おれとクレアが辺境都市にたどり着いた時、寝泊まりする場所として神殿が使えるように領主と交渉してくれた。確か、そうだった。
これはまた、珍しい人物に出会ったかもしれない。
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