第64話 女神が辺境都市の情報を精査する場合
辺境都市の情報、といっても、世間話程度だが、やはりそこに住む兵士の話は、興味深い。
以前から、文明レベルの違いは気になっていた。
おれが来るまで、大森林の周縁部で暮らしていた人たち、ジッドやノイハたちだが、狩猟と採集、そして漁労を中心とする生活で、イメージとしては縄文時代の文化、社会だ。
セイハは土器作りの専門家で、石器、骨角器、土器での生活だ。大牙虎によって全ての村は滅んでしまったけれど、それくらい脆弱な存在だった。
でも、銅のナイフを見つけた時に、金属器が全くないという訳ではないと知った。
ジッドから銅のナイフは大草原からもたらされたと聞いて、実際、大草原に行ってみた。
そこでは、遊牧、放牧のテント生活で、羊とともに暮らす氏族単位の遊牧民がいた。
スクリーンの鳥瞰図で簡単にナルカン氏族のところに行くおれや、上空から位置を確認してすぐに場所が判断できるクレアが、移動しても移動しても、あっさり氏族のテントを訪ねてくることを族長のドウラはとても不思議がっていた。
遊牧民とはいっても、大草原の人たちの乗馬は裸馬にまたがって抱き着いているだけで、とても騎馬民族などとは言えない。
今はまだ、馬とはいっても、家畜化されただけで、大きな羊のようなもの、らしい。乳と肉、皮革の利用はしている。
銅剣は何本も大草原で入手できたが、銅剣自体は辺境都市との交易で入手したものであり、大草原でも貴重なものだった。
だから、辺境都市から向こうは、農耕文明があるのだろう、と想像していたし、そこでは既に金属器が利用されていると考えていた。そして、それはその通りだった。
まあ、タリュウパから聞いた話は、予想以上でもあり、予想以下でもあった。
その夜は、アイラと共に過ごして愛し合い、それからアイラがサクラのところに戻ったので、おれは一人になった。
そうすると、これも、いつものことだが、クレアがやってきて、セントラエスが実体化する、ということになっている。お約束、とでもいうのだろうか。疑問だ。
セントラエスはその気になれば実体化できるし、上級神になってステータス値が急上昇したことで、消費される精神力や忍耐力も、ほとんど問題がないらしい。
それでも、ずっと実体化していては女神様らしくないし、人族の生活を妨げるかもしれない、ということで普段は見えないようにしている。
まあ、神眼看破のスキルをもつおれには、見えないようにしているセントラエスが見えるし、触れるのだけれど。
「どうして、いつもいつも、この時だけは、はっきり出てくるの?」
「あなたこそ、どうして、いつもスグルのところに来るのですか? アイラが戻ってからは、スグルと私がこれからの村について話し合うとても大切な時間ですけれど」
「それならいつもみたいに声だけでいいじゃない」
「あなたがスグルに襲い掛かりそうですから、それを止めるためです」
「何、それ、嫉妬?」
「し・・・嫉妬ですか? 嫉妬など、あなたとスグルの関係のどこに嫉妬する必要がありますか。私の役割は守護、乱暴なトカゲからスグルを守護神として護っているだけです。あなたこそどうなんです? 用がないなら戻ったらどうです、赤トカゲさん?」
「あ、赤トカゲですって? 竜族は魔の領域でもっとも高貴な存在なのよ? その失礼な言い方、そっちこそ本当に神族なの?」
「女神の結界でトカゲを吹き飛ばして、神族の証明をいたしましょうか?」
「そういうところが神族としての品格が足りないって言ってんのよ、この駄目神!」
「赤トカゲ!」
「駄目神!」
まあ、どっちもどっちだ。
うるさくて寝られないし、話し合えないので困る。
「さて、どっちも黙ろうか」
「・・・」
「・・・」
「はい、よくできました」
少なくとも、おれがこう言えば、そうしてくれるだけ、マシなのだろうと思う。
クレアが来てから、セントラエスにけんか友達ができたみたいで、まあ、それもいいか、と。
人族からは、尊崇の的、だからな。
普段が窮屈すぎるんだろう。
これはこれで、くだけすぎとも思うけれど。
「それで、辺境都市のことだけれど・・・」
「確か、男爵が治めている、ということでしたね」
おれと一緒に、というか、すぐ後ろに控えて、タリュウパの話を聞いていたセントラエスが答えた。
「男爵?」
こういうときのクレアは合いの手の係だ。
「そう。タリュウパは、その名前まではっきりとは言わなかったが、辺境都市は男爵が治めていると言っていた」
「それがどうしたの?」
「爵位があるってことが気になったんだ」
「身分のちがい、ですね」
そう。
そこだ。
辺境都市から向こうには、既に階級社会が成立しているらしい。まあ、ジッドが「王」という概念を知っていた時点で、その可能性も考えておくべきだった。
辺境都市の男爵は、辺境伯という伯爵の配下になるらしい。くわしいことはタリュウパも分かっていないようだ。おそらく、辺境伯が治める領地の一部を任されているのが男爵なのだろう。
古代封建制度による階級社会が成立している先進農耕地域。
「文明レベルに差があることは、分かってはいたけれど、族長とか村の長とかの自然発生的なリーダーのレベルじゃなくて、爵位を受けたり、与えたりする上下関係がある階級社会。道具とは異なる、政治システム的な進歩に差があるってことは、人口に大きな差があるってことだし」
「タリュウパは辺境都市の人口をはっきりと把握していませんでしたね」
「商人なのに?」
「あれは偽装です。タリュウパは商人ではなく、兵士が本業です」
「・・・それにしては弱いわ」
「アコンの村のみんなが強過ぎるのです」
「その中で、一番強いのは私だけれどね」
「一番はスグルです」
「オーバは別枠でしょ」
「トカゲだって別枠です」
「またトカゲって言った!」
「はいはい、そこまで。セントラエス、トカゲって言わないように」
「スグルがそう言うのであれば、言いません」
セントラエスは、竜族に対して、意外と挑発的だったりする。
まあ、以前、岩山で赤竜王にからまれた時、おれを護り切れなかったことを悔やんでいたし、いつかはやり返してやろうって、気持ちもあるのかもしれない。
「で、人口の話だけれど、タリュウパは、辺境都市には300人以上は住んでるって、その程度の認識だったんだよな」
「300人って、多いの? 少ないの?」
「ここと比べたらかなり多いし、おそらく500人から1000人くらいは人がいると予測している」
「あの話からどのようにして推測したのですか?」
「門を守る兵士の数から、かな。辺境都市の門は東西にひとつずつ、それぞれの門に50人の兵士が割り振られて、交代で門に詰めると言っていた。まあ、商人のくせに兵士にくわしいってのは、自分の正体を隠す気があるんだか、ないんだか・・・。10人をひとグループで、日中を7人、夜間を3人で担当して、門に詰めない日は訓練、または休みだそうだ。門を守るためだけに100人の兵士を常備しているってことは、300人程度の規模じゃないだろうと思うし、辺境都市だけでなく、その周辺にはいくつか村もあるらしいからな。門衛以外にも兵士はいるだろうから、都市で暮らす人たちと合わせて、多くて1000人くらいじゃないか、という単純な予測。まあ、人口が何人でも、辺境都市自体が遠く離れ過ぎてて、おれたちにはあまり関係ないけれど・・・」
「それだけの人口を支える力がある、ということですね」
セントラエスが目を細めた。
その通りだ。農耕文明が進めば、人口は増える。農業なしで、多くの人口を支えるというのはあり得ないはずだ。とんでもない魔法でもない限り。
「辺境都市自体は、大草原を横切る川の流れに沿って、山地の切れ目となる谷にあるらしい。南側は川が険しい渓谷を流れていて、人が通れる道を塞ぐように辺境都市がある。西門が大草原側らしいな。まあ、関門とか、関所の町ってとこか」
「食料をどうしてるんだとスグルが確認したら、辺境都市の東門を出て川沿いに下ると平原があり、そこで麦などを育てているということでしたね」
「麦畑ひとつひとつの規模はアコンの村とは段違いに広いって言ってたな。もちろん、家畜としている羊を食べたりもしているみたいだけれど。まあ、驚いたのは都市を守る外壁の高さは3メートル足らずってことと、商人はいるのに物々交換で貨幣がないってことか」
「貨幣?」
クレアが首をかしげた。
「辺境都市は、境界線を維持する城塞都市ですが、大草原の氏族たちが攻めていくようなことがないから、高い外壁はいらないのでしょうね」
「ねえ、貨幣って何よ?」
説明の難しいところにクレアが喰いついてきた。
知っている者には簡単なことだが、知らない者に説明するのは難しいよな。
「セントラエス、説明してやって」
「いいえ、スグル。私も分かりません。貨幣って何でしょうか」
セントラエスもこっちの世界の者だったか。
おれは、この夜から何日かに一度、セントラエスとクレアの二人に貨幣についての講義をさせられるようになった。
一番重要だと考えていた情報は整理できずに、である。
十日後の朝、タリュウパはいなくなった。
ノイハとリイムが心配していたが、気にしないように伝えた。
アコンの村の情報を辺境都市に伝えるため、脱出したのだろうと思う。
それにやっぱり、タリュウパは優秀な斥候だった。兵士としては、うちの村ではこてんぱんにやられてしまうけれど、情報を得るという点では、優秀だったと言う他ない。
ネアコンイモとか、米の種もみとか、かぼちゃとか、使えそうな作物を持って逃げたしな。
それに賢い。
大森林の脱出ルートも、考え抜いての選択だろう。
川沿いを歩いて確認したりしているのは知っていたのだが、タリュウパが選んだルートはちがった。
森を突き進めば、樹木を避けるたびに方向が狂い、必ず迷う。川沿いは、森が深まったところで地下水脈となってたどっていけないし、そこで潜ったりしたら間違いなく水死する。
それなら、森と森ではないところの境目なら、どうか。スクリーンの鳥瞰図で確認すると、タリュウパは、大森林と石灰岩台地の絶壁との間を東に向かって歩いていた。
そこなら、大森林を抜け出られる可能性はあった。
考える力のある男だった。
できれば村に残ってほしかった。
「タリュウパを止めなくてもいいのですか?」
「何もする必要がないからな」
セントラエスの問いに、おれはそう答えた。
タリュウパが選択したそのルートはおよそ100から120キロ、歩き続けることができれば、大森林を抜けられる可能性はある。
ただし、その可能性はきわめて低い。
レベル2のタリュウパでは、特にそうだ。
なぜなら、そのルートには灰色火熊の群れが棲んでいるのだから。
ちなみに、同じ考え方で西へ向かうルートも存在するけれど、西には大牙虎が棲息する花咲池があるので結果は同じだ。
大牙虎や灰色火熊を倒せない者では、大森林を抜けられない。
三日後、スクリーンからタリュウパの光点は消えた。
消えたところに、灰色火熊を示す光点がいくつもあったことは、書き残しておく。
ただの兵士だったなら、アコンの村で平和に暮らせたものを。
冥福は祈りたい。
だが、タリュウパからは得られるだけの辺境都市の話は聞いた。
死んだからといって、惜しむこともない。
おれは、灰色火熊の生息地に踏み込み、警戒する灰色火熊を殺すことなく追い払いつつ、かつてタリュウパだった死体から衣服や持ち物を回収して、その場を後にした。
おれが戻った後、ノイハは熊肉がないことに腹を立てていたが、それは無視した。
今回の一件でよく分かったのは、辺境都市や大草原の氏族の者が、大森林のアコンの村を目指してもたどり着けないだろうということ。そして、大森林で得られる情報や物産には高い価値があること。もし辺境都市から兵士たちが送り込まれたとしても、簡単に対処できること、だった。
アコンの村の短い冬は終わり、亜熱帯の、これまた短い春が来た。
アコンの四季は夏だけが長く、春、秋、冬は短い。
麦の収穫と同時に、稲の苗作りをはじめ、刈り取った麦畑に家畜が放たれる。
クマラの妊娠が発覚し、お祝いムードでジッドが焼肉祭りを開催したり。
ケーナの出産で夜通しばたばたと過ごして、生まれた女の子にアオイと名付けたり。
その五日後にリイムが出産して、ノイハのところに男の子が生まれたり。
頼まれた名付けを断ったら、長の仕事がなんたらとジッドに説教されて、結局サイハと名付けたり。
そして、秋の終わりに氏族同盟から来た口減らしの子どもたちがすっかりアコンの村に馴染んだ頃。
おれは、石灰岩台地の上で、セントラエスから辛辣な言葉をかけられていた。
「アイラとケーナは子育て、クマラは妊娠と、結局、妻たちが忙しくなって相手にされなくなると、浮気の旅に出る、ということでしょうか?」
なんだ、その認識は。
どうして、旅立つとそれは浮気をするということになる?
「え? 私、オーバの浮気に協力するのはちょっと・・・」
竜の姿に戻ったクレアが不満をもらす。
いつもはあれだけ言い争うのに、どうして今に限って同調してんだよ。
「これは調査の旅。必要なことで、クマラたちも認めてること。クレアも、セントラエスの言い分に同調しない」
「あー、認められてるってのは、確かにそっかー」
「いいえ、竜の姫さま。スグルにはアイラの妊娠中に、旅先でライムを妊娠させた過去がありますよ」
「そういえば、ライムの子って、オーバの子よね?」
「そうです。スグルは旅立つと次から次へと女性を連れてくるのです」
「ライム以外にもいるの?」
「あなたがそうです、竜の姫」
「私? え、知らなかったけど、そうなの?」
「どうでもいいから、早く乗せてくれ・・・」
二人の・・・いや、一柱と一頭の不毛なやりとりを強引に打ち切り、おれはクレアの背に乗って旅立ったのだった。
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